ハロプロのダサさ考
#ドラフト
ハロプロはしばしばダサいと言われるように、グループ名、歌、衣装、グッズのダサさには定評がある。
「ダサい」は「センスが悪い」ことを意味するネガティヴな評価であって、わざわざダサくするからにはダサさからもたらされるなんらかの利益や機能があるはずである。
ハロプロはなぜダサいのか。
売れるから
「アーティストが嫌う、泥臭く少しダサい曲の方が売れるんです。」とつんく♂は語る。
https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20120320_62277/
(TechinsightJapan2012年03月20日)
これはモーニング娘。の黄金期などは別として、今のアイドルシーンの売れ線から見てはピンとこないんじゃないか。
消費者を安心させて繋ぎ止める
つんくの持論に解釈を加えると、ハイソサエティのハイセンスで排除しないほうが大衆への訴求が見込める。親近感を与えて平凡化し、客層を広く確保するためにダサさを利用している。
前衛的な試みの余地を残すため
平凡化と矛盾するようだが、ダサさによって量産型の最適化から逸れる可能性がある。
ダサさが1周回っていい感じに差別化される。1.5周以上回っていくといわゆるトンチキソングになるのかもしれない。
忠誠心を植え付けるため
グッズTシャツはファンとしてのアイデンティティ、およびファンコミュニティへの帰属意識を表現する支持体であり、アイドルにとってはファンの帰依度を測るアイテムになる。
典型例として、道重さゆみの公式グッズに道重Tシャツというものがある。
https://scrapbox.io/files/667511eff9a43f001dc1b40d.png
https://www.elineupmall.com/ufgoodsland-b/240da91e35e7823f46595ea7be722e52/
(e-LineUP!Mall)
常人の感覚では袖を通せそうにない部屋干し必至のデザイン。
道重さゆみの現場にはこのピンクTを着た集団がわらわらと湧いてくる。この光景が"新興宗教の集会"と形容される所以である。
事実上はドレスコードなどないにも関わらず、ファンは半能動的な順応によってダサいTシャツを着用する。
ダサいTシャツがファンの自意識を改変し、主体的洗脳を促進・達成させるのだ。
(ハロプロの思惑を離れて観察するなら、この行動様式には「与えられた衣装がダサくても職務遂行のために着るしかないアイドルを、ファンがLo-fiにミラーリングしている」という解釈も可能かもしれない。)
演者のアンクルウェイトとしてのダサさ
ハロプロのメンバーには「どれほどダサい衣装や楽曲や振り付けであっても、かっこよく/かわいく見せられるか?」という試練が課されているように見えてくる。
ダサさという重りによってパフォーマンスの伸び率を高める狙いはハンディキャップ理論の実践として理解できる。
コンテンツがダサかろうと余剰が生み出されるかは演者の表現力にかかっている。そのときダサさは減算から乗算へ、コントラストとして作用する。