正解と自由
結論
教師と生徒のような監視の関係の中で、生徒に対して「自分で考えて行動しろ」は無理ゲー
考えさせたい範囲では、やっていいこと、悪いことを明確に定義する必要がある
理由
生徒は教師がこれから何を行おうとしているのかが予測できない
例
紙に名前を書く→匿名で集めたいから勝手に書くなと言われる
紙に名前を書かない→自分で考えてかけと言われる
その判断は先生ごとに、課題ごとに異なり、複数の選択肢として考えることはできても1つに特定できない
特定できたとしても、それを行って失敗した場合のデメリットが大きすぎるため、何もしない
これは教師の結果に対する評価が正解1つを求めているためである
しかし、同時に「自分で考えろ」と、過程に自由を求めると矛盾が発生する
過程に自由を求めるなら、結果でも自由を尊重して、間違いを怒らないなどの対応が必要だと思う