ニュースに悲しめない
結論
ニュースで〇〇な人が事故に遭いました、暴行されて死亡しました 的なニュースを見たときに悲しむのに抵抗がある
ニュースにコメントで、涙が止まりません 的なコメントに違和感がある
理由
行動しないのに悲しむのは卑怯だと思っているから
まず、思いは伴って生じる行動によって評価できるという考えがある
ニュースを見て悲しむだけは意味がなく、本当に悲しんだなら何か行動を起こすべきだと思ってしまう
そして、本当に行動を起こすなら、世界には同じような不幸な目に合っている人が五万といるため、その人たちを平等に意識しないといけない
ニュースで映されるまで何も行動を起こしていない自分は、悲しんだと言ってもどうせ何もその後しないにはわかっている
そんな自分が悲しむのは卑怯だと思ってしまう
逆に何も行動しないのに悲しむだけする人は、感動ポルノ好きなんだなとか思ってしまう
理由2
本当に遺族のことを思ったりしたら、その人のことを全く知らない自分ごと気が悲しむこと自体烏滸がましいと思ってしまう
これは「ブルーピリオド」の話にあった
ネタバレ注意
過去に交通事故で亡くなった人の個展が開催され、その人のことを「亡くなった天才アーティスト」という広告で初めて知ったような人が個展中に涙を流して共感していた
亡くなった人と元々親友だった人は「グロテスクな個展」と言葉を発した
この気持ちはすごくわかって、親友からの視点だと涙を流した人に嫌悪感を感じるものわかる
一般的な事件事故に対しても、赤の他人が悲しむことは遺族から見たら、涙を流した人と同じ行為をしていると認識してから、余計に悲しむ権利がなくなった。
↑最近能登半島地震が発生し、TikTokで感動する系の音楽とニュース番組の映像を映している動画が蔓延っているが、本当に気持ち悪いと思ってしまう