インスタレーション ある/いる 構造体と投影映像の関係に着目した空間表現の研究
Installation Existing/Being
A Study of Spatial Expression Focusing on the Relationship between Structures and Projected Images
情報科学芸術大学院大学 修士論文
概要
私は大学で建築設計を専攻し、卒業後は建築事務所で設計の仕事に携わった。これらの経験を通じて、建築を構成する物体への解像感が増したが、同時に物体を取り巻く映像メディアとの関係に疑問を抱くようになった。映像技術の進歩により、建築の屋内外問わず、映像が建築を覆う事例が増えている。商業施設でデジタルサイネージは増加し、各種イベントでのプロジェクションマッピングや舞台映像も一般化している。このような映像表現は建築を体験するものから見るものへと変貌させた。巨大な映像は建築の表面に近づくことを避け、遠くから見ることを人に求める。建築と人の間に距離を生み、建築への情報のアクセスを阻害する要素になってしまっているのではないか。
以上の映像と建築の関係への問題意識から、現代の映像技術に可能な表現を再考し、人間のスケールに近い表現によって建築と人を再度繋ぐことのできる手法を提示する必要があると考えるようになった。
このような現状に対し、私は「テクトニック(結構)」という概念をヒントに建築の物質的側面に焦点を当て、構造材や接合部を示し、建築の存在論的側面を主張することが人や映像に関与するための手段として有効ではないかと推測した。対して映像では、アーティストであるリー・キットのヒューマンスケールな映像表現手法に示唆を得た。また、彫刻における工業製品やヴィデオ等のあらゆる素材との取り組みと人体表現を参考にし、現代の映像メディアが、建築が近代化を推し進めるにあたって削ぎ落としてきた絵画や彫刻といった要素に当たるのではないかと仮説を立て、これらのメディアが担ってきた連想、記号性、擬人化による感情移入といった作用をもたらす表現として実現する方向を定めた。
本研究の目的は、建築はその物質性を強調し、映像は映像であることを顕にする方法、また、人体のサイズに寄り添ったスケールに着目する手法、これら2つの手法を組み合わせて、建築や映像の本来の姿を顕にさせ、建築と映像と人の関係を探求することである。修士作品《ある/いる》は、角材やボルト、ワイヤー等で人体の形状を模した複数の構造体が空間に配置されており、映像が投影されることで人体として具現化し、人の振る舞いの集積として空間が立ち上がるインスタレーションである。映像の投影と消失が交互に行われることで、タイトルのように鑑賞者の認識が「そこに物体がある」から「そこに人がいる」に変わり、空間体験に影響する作品である。
これは、そのまま現代の都市空間に導入できる手法ではないが、人体という建築や彫刻における古代から連綿と続く系譜に接続するモチーフを扱い、建築計画領域で扱われるような人と人の間の空間を空間表現として用いることでヒューマンスケールに寄り添った映像と物体と人の関係を提示したと結論づける。
修士作品 ある/いる Existing/Being
https://youtu.be/LeFmglN2JtE