anywhereな人びとsomewhereな人びと
イギリスのジャーナリストであるデイビッド・グッドハートはいま、世界は「Anywhereな人びと」と「Somewhereな人びと」に分かれていると主張しています。前者は情報産業を中心としたグローバル資本主義のプレイヤーです。文字通り、彼らは世界市場のゲームを個人としてプレイする人びとで、国籍や所属組織も自分についている「タグ」くらいにしか感じていません(大半の人びとが「テスラのイーロン・マスク」だとは認識せず、「マスクがテスラもやっている」と認識している)。彼らはつまり「どこでも」生きていける人びとだということです。対して、人類の大半は20世紀的な労働者(ホワイトカラーも含む)で、個人という単位ではなく組織を通じて働いています。市場を通して社会にかかわっているという実感は少なく、民主主義下における選挙の一票やSNSや街頭で「声を上げる」ことがいちばん「実感」しやすい最大の世界への関与です。そんな彼らは「どこかでないと」生きていけない人びとです。
つまり、前者は「お前たちも強く自立しろ」と無茶なことを言い(それって、あなたが成功した自分を誇りたいだけでは……?)、後者はそんな彼らをひがんで彼らの活躍できない世界に引き戻そうとします(醜い……)。じゃあ、どうするか、ということを僕はこの本で考えたのです(こういうふうに言い換えると、大きな話が「身近」に感じられませんか?)。