2024/12/02 画塾課題:装画
https://scrapbox.io/files/674e4a7ef9e72c28b07ecf0f.jpg
栗田有起さんの『お縫い子テルミー』
表題作の主人公がパッチワークの服を着てるのが、象徴的だし絵になるなと思って描いたよ
ハサミやシルクの生地も象徴的な物だから描いてみたいと思ったけど、描き切る自信と時間がなくて断念
生地の模様、テクスチャは自作のとプリセットをまぜて描いた
テクスチャ貼るのやっぱり楽しいなーと思っていろいろ新しいブラシ探したりした
先生からのコメント
いいね!
布を抽象的に描いたのね!
はいオッケー!
(終了)
↑さすがにもちょっとなんか言うてくれ〜〜〜!!!!
なんか講評が終わったあと涙が出てきてしまってびっくりした。一向に作風の定まらない自分への苛立ちと、こういう絵でもいいんだっていう妙な安心感と、それについて言及されないことへの苦しさと、いろいろな気持ちがあわさって泣けてきた。
自分が納得のいく絵、好きな絵、いい絵、そういうのがあんまりよく分からない。ああかわいいなー、いいなー、好きだなーと自分で思う絵と、人が評価する絵が全然違っていることがあって、別にそれでいいんだけど、寂しいなと思う。ほんとは抽象的な絵もやりたいけど、それだけじゃお金にならないかなって思っていろんな工夫や努力をしてみているのに、なにもかんがえずに描いたのを良いなんて言わないでほしい、そういう気持ちで涙が出たのかもしれない。でもせっかく認めてもらったのに、こんなふうに受け取って勝手に悲しくならなくていいと思う。自分の大切な引き出しを開けて、ばちっとはまるところに置けたんだから、それを喜んだらいいよなあ。
2025/01/06追記
この日記を何度も読み返してる。自分の持ってる引き出しの一つを開けてハマりそうなものを出してくるという捉え方が好きで(自文自賛)。これまで自分のそういう柔軟性を過小評価していたというか、柔軟性の弊害にばかり目を向けていたかもしれないなって思うようになった。
このお縫い子テルミーの表紙は色と形だけで作っていて、色と形は私の中の一番芯というか原液みたいなところで、そしてそれはどこにも受容されないかもしれないと感じ続けていたので、適切にハマる場所もあるんだ、ということに心底ほっとしたんだろうなと思う。一番原液のところを出すのは怖かった。お金とかそういうの抜きにして、自己受容が少しできたんだと思う。
#画塾