この文章群は、Sukerasparo「ことのはアムリラート」についての、すっげ長い感想文のためのメモです。
続編「いつかのメモラージョ」までにはナントカ感想文を形にしたい
【はじめに】
「ことのはアムリラート」。「カタハネ」や、旧RococoWorks作品、「クロスクオリア」シリーズで知られる、エーデルワイスの花のようなシナリオライター:J-Ment氏(以下J氏)が手がけた、「エスペラント語学習を攻略のキモとするノベルゲーム」です。
自分はTwitter使用のわりに初期からJ氏をフォローしていて(カタハネ信者)、その過程で「エスペラント語ゲーム」企画を最初に呟いた時すら見ていた
なので、一番初めにこの企画を見たときは、「なんだそれ?」でした。まして、ブランド:sukerasparo発足と同時に、ことのはアムリラートの制作がガチになったときも、「大丈夫かオイ」でした。
【エスペラント語と自分】
そういう言葉自体があるのは、知っていました。一般教養として。しかし、エスペラント語のことば自体……単語ひとつ、ロクに知ってはいませんでした。知識教養としては知っていても、実際は知らない。知るモチベも湧かなかった。
なぜなら、自分の把握の中では、この言語は現実世界において「失敗言語」であったから。
この国際社会において、特定の民族国民言語(英語、以前はフランス語)が、国際言語使用のなかでヘゲモニー(主導権)を握ってしまっている、いびつな状況。一つの民族・国民の固有の言語が、「そこまで偉くなってしまっていいのだろうか」=「他の民族にとっては、押しつけではないのか?」という、リンガ・フランカ(共通語)を巡る言語論。だから、エスペラント語が生まれた。「特定の民族国民言語でない、世界において平等なことば」として。
……だが皮肉なことに、この「特定の民族国民言語でない」という、思想の潔白さだからこそ、「失敗だった」という理屈と結論が導き出された……ようは、エスペラント語を「母語」とする民族は世界のどこにもいなかったからこそ、そのことばを流暢に扱う人間もそんな多くない。だから、失敗言語になったーー
ーーというのが、自分が持っていた、エスペラント語の知識でした。純粋培養のことばは、空理空論に近いものではないか?というのが、自分の当時の結論です。
そう考えるに至ったのは、「純粋培養」というあたりに、カルト的な何かを誤解してしまったというのもあります(今となっては、それは勘違いでありましたが)。また、そもそも90年代以降の「英語以外」……例えば東南アジア諸国の言語体系や、ラテンアメリカ文学といった「それまでのメインストリームではない言語文学の、豊潤かつバイタリティのある、ことばのパワー」の奔流を感じていたから、というのもあります。
そういうわけで、エスペラント語をガチで学ぼうという気にはならなかった。存在の思想にリスペクトはしても……というあたり。
では、エスペラント語は、ほんとうに、失敗言語だったのか?
……そうではない。
「ことのはアムリラート」を通して、自分はハマってしまったのです。比較言語論、言語学習、そして、そもそものエスペラント語の世界に。
つまり、その事実ひとつあるだけで、エスペラント語は失敗言語ではなかった、と言えるのです。
J氏がエスペラント語に魅せられ、ことのはアムリラートを作った。
そもそも世界には100万人のエスペラント語話者が居る。(国際エスペランティスト)
そして、自分自身も、魅せられてしまった。
ただの空理空論が、こんなに「地べたからの、熱い言語の営み」をみせるだろうか?
たしかに、マイナー中のマイナーであります。しかし、ことのはアムリラートをプレイし、比較言語論を学び、エスペラント語自体と、エスペラント語の歴史を学ぶと、この言語が「死んでいない」ことを了解します。
自分(残響)は、やはり当時の不明を恥じなければならないでしょう。たまたまエスペラント語に関しては、こうして意識を改めることが出来ましたが、きっとこういう決めつけを、他にもしている。
ここまで意識が変わったのは、もちろんエスペラント語の魅力にもありますが、しかし……そもそも、エスペラント語を学ぼうとした原因。「魅力的なことのはの異世界」、ユリアーモ、そしてĉarmulino(魅力的な彼女)……凛と、ルカ。Jes,Ŝi estas loga.ーー然り、彼女は美しい(故に惑わせる)。
このテキスト群は、エスペラント語(ユリアーモ)学習のメモであると同時に、「ホームページオブ百合機械」管理人として、当たり前ですが、凛とルカのカップリングに萌え萌えするものであります。さあ、それでは、はじめましょう。