世界は善に満ちている
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数ヶ月かけて読了。最初とっつきにくい感じがしたけどだんだんトマスの世界に引き込まれた。
全ての感情の根源には「愛」が存在するという考え方。
本書での愛は、一般的に使われる愛という言葉よりももっと広い意味になっている。
「好ましい」とか「気に入っている」みたいなものも愛という呼び方をしている。
善という言葉も広く捉えられていて、「魅力的なもの」くらいの範囲のこと。
ハイライト
欲求されうるものが、欲求能力に、まず自らへの適合性ー欲求されうるものが気にいることーを与えるのであり、そこから欲求されうるものへの運動が続くのである。
憎しみとか怒りなどのマイナス感情においても、その裏には愛が存在する
怒りは二次的な感情である、という示唆を以前どこかで得たが、それに匹敵する感じだmochi5o.icon
何かを憎いと思ったり何かに対して怒りを感じるのは、自分が愛している何かにとって好ましくないことが起こっているから
愛するとは、ある人のために善を望むことである
自己肯定感を抱きたいのであれば、この世界の様々な人やものごとの「欲求可能性」に気づき、心を揺り動かされることが大事
愛することのできる新たな対象に出会うということは、自分の心がその対象によって活性化させられることになる
愛は世界(自分以外の全て)と自分とを繋ぐ感情
トマスの神学論の中では、スコラ的方法で議論を深めている
討論形式であるが、どちらかの論を正しいとして論破したりするのではなくて、異論も含めて多面的に物事を捉えなおし、バランスの取れたものの見方を獲得するためになされる
徳を身につける
徳は習慣の積み重ねによって形成される(アリストテレス)
適切な選択肢を選ぶことを積み重ねれば、それが習慣となりよりよい選択肢を選ぶことが容易になる
これが徳が身についた状態で、徳を有している人は摂生ある行為をすることに喜びを感じる
徳とは、内に漲っている力である
善と悪
人間がどれだけ悪しきあり方に陥ってしまったとしても、その根底にはなんらかの善に対する愛がある
これは、ものすごい考察だmochi5o.icon
性善説ちゃんと勉強したことないけど、それでもここまで理論的な積み上げで構築できるのか
善に対する愛
愛は善(=欲求されうるもの)によって呼び起こされる受動的なものである
感情というものは、自体が客観的にどうであるかというよりは、むしろ、本人が事態をどのように受け止めるかということに基づいて生じてくるのです
本人がある対象について善を有すると捉えるか悪を有すると捉えるか、それによって抱く感情も異なる
この世界が「欲求可能性」に満ちていることに気付いて初めて、生き続けていくことの意味や張り合いが感じられてくるわけです。
自分の心を固くせずにできるだけ柔らかくしておくと、様々な欲求されうるものからの刻印を受け取ることができるのだろうなmochi5o.icon
受け取ったかすかな刻印を大切に育むことが、世界が愛に満ちていることに気づくきっかけになりうる、とmochi5o.icon
哲学書、やはりとっつきづらいけど色々と示唆に富んでいる。
また、分かり難さの中から砂金のように輝くひとかけの言葉を見つける楽しさがある。
こういう風に読み終わってからラインを引いたところを中心に抜き書きや感想をメモするよりも、ノートを傍に置きながら何度か読み返すといいんだろうなー。