映画を鑑賞するのに正しさはいらない
と、大人になってようやく気づけた
芸術と正しさ
突然の自分語りとなるが、私は昔から「正しいこと」を大事にしていた
たぶんこれは、褒められたいとか、よく見られたいとか、そういうところから来るのだと思うけど、とにかく正しく有りたいという気持ちが強かった(大人になって、「 絶対的な正しさ」なんてなかなかないのだということがわかってくるのだけど)
一人っ子で、大人の会話に混ざることが多かったからこそ、背伸びしようとして頭でっかちになったというのも大きそう
それは本や芸術鑑賞にも言えて、なんかよくわからなかったけど、鑑賞後のレビューや解説を見て、なるほどこれは〜の高尚なメタファーで…なんてことを知り、(鑑賞中はわからなかったくせに)★4.5とかつけてたりした。
ブルーピリオド展とテネット
しかしここ数年、30近くになってようやく、感想に正しさはいらないなとわかってきた。本当にようやく。
よりそれを実感した経験が2つある。
まず1つは、昨年ブルーピリオド展にいったとき。絵画の鑑賞方法についての解説と体験スペースがあり、そこでハッとした。30過ぎた自分にハッとする気づきをくれるブルーピリオド、素晴らしい漫画だ。
もう1つは、3年前にテネットをみたとき。映画を見ていて初めて、「意味がわからなすぎて怒りを覚える」という体験をした。世間は絶賛してたけど、私は全く内容を理解できず、なんとも消化不良な気持ちになったのだ。(もちろん分かる人には分かるので、私の前提知識や理解力とマッチしなかっただけである。)
昔なら、そのあとめちゃくちゃ解説を見て「なるほどそういうことだったのか!」となんとか理解し、「この映画はすごいなあ」と★4をつけてたわけだが、このとき初めて、「初見でわからない映画ってどうなんだ?」と、素直に、全く理解できなかった自分を認められた。そういう意味では、一句読めそうなくらいとても印象的な映画である。
ということで
本題に戻るが、最近はとにかく、かっこいいことは言わなくていいから、まずは自分がどう思ったのか。どんなシーンが印象的で、なぜそう思ったのか。逆に何が微妙だと思ったのか。ということを、他者のレビューという答え合わせをする前にやるようになった。
その上で、他の人はどう思ったのか、ということをレビューや鑑賞後の感想タイムを通じて知り、その違いを楽しんだり、新たな発見をする、というのまでが自分の中でのセット。
なんでこんな日記を書いたかというと、最近ジブリの最新作をみたからである。
賛否両論あるなかで、私はまずどう思ったのか?という気持ちを大事にしつつ、色んな人の感想記事をみたりきいたりするのが最近の楽しみ。