9. 文字起こし:ITの進歩が引き起こす働き方のルールの変化
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塩澤 おはようございます。
一同 おはようございます。
塩澤 今日は西尾泰和さんにいらしていただきました。いつものように略歴をご紹介します。スクラップボックスの方に略歴が貼ってございますように、サイボウズ・ラボ株式会社の主幹研究員、一般社団法人未踏の理事、そして東京工業大学特定准教授が現職でいらっしゃいます。学位は博士、理学で、研究内容はサイボウズの研究部門で研究に従事、最近の関心事は、人間の知的生産性を向上させることです。
これに関して、昨年、『エンジニアの知的生産術』を出版されて、「今日、紹介したら」と言ったら、持っていらっしゃっていないということなので、検索してください。ジュンク堂本店で総合ランキング7位、すごいですね。最近、韓国語と第4刷が出ましたということです。
彼には、スーパークリエーターという肩書きが付いていて、経済産業省が認定しているスーパークリエーターでいらっしゃいます。「略歴の中にないじゃん」と言うと、「文字列だけ読むと怪し過ぎるので書いてない」とおっしゃる。未踏という新規の技術を開発する支援をしている事業が、情報処理推進機構ということであるのですが、そこで彼は、ある種の支援を受けたですか。
西尾 そうです。
塩澤 ジュニアの方はプロジェクトマネージャーもしていたのでしたっけ。では、もう本人からお願いします。
西尾 IPA、情報処理推進機構という独立行政法人があります。これは経産省の外郭団体です。そこが2000年からIT人材発掘育成事業という形で、高度IT人材を支援するプロジェクトをやっています。このプロジェクトが「未踏IT人材発掘・育成事業」という名前で、略して「未踏事業」と呼ばれています。私はこの未踏事業に2002年に採択されました。IPAは採択者の中から、さらに選抜した人を「未踏スーパークリエータ」として認定しています。このスーパークリエータという名前は言葉だけ聞くと怪しい人に聞こえるかもしれないので名乗りたくなかったのですが、IPA的にはそのような名前の称号になっているということです。
今、僕が一般社団法人未踏で理事をやっているという、こちらの話がどのようなことかも説明します。国がやっている事業は大体単年度で終わるので、人材発掘育成事業も、発掘育成した人間を年度の終わりと共にその辺に野ざらしにして、そのあと何もしないということになりがちです。それではもったいないからということで、未踏事業で発掘された人たちで再結集して、さらに新しいことをやっていこう、というプロジェクトが作られました。それがこの一般社団法人未踏で、そこの理事をやっています。
この一般社団法人未踏がやっているプロジェクトの代表的な例の一つとして、未踏ジュニアがあります。これは十七歳以下の若いエンジニアの方に対して予算を付けて、彼らが作りたいものを作る活動を支援していくという活動をしています。これは語りだすと長くなるのでScrapboxの講義資料にリンクの形で入れておいたのですが、求められたので今アドリブで話しました。
参考リンク:
塩沢 すみません。
西尾 本題に進んでもよろしいでしょうか。
塩沢 はい。西尾さんは第二回から実は毎回いらして、そちらの席で聴講してくださっていて、それは休みを取っていらっしゃっているわけではなくて、会社から仕事の一環として、つまりリモートワークができるという形態でお仕事をされているわけです。今日のお話の中では、新しい働き方のルールの変化という切り口で、そのようなことも含めて伺えるのではないかと思います。では、どうぞよろしくお願いいたします。
西尾 はい。最初の一歩から予定外のことを話した感じのスタートなのですが、まず、学生さん向けのアナウンスから始めさせていただきたいと思います。
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この講義資料は、今、スクラップボックス上に全て貼ってあります。また僕が今、ここで話していることは、ここにちょうどマイクが置いてあるのですが、このマイクでは録音して文字起こしされる、将来的にそのような予定になっているのです。その文字起こしは「せっかくだからスクラップボックスで、後で共有しましょうよ」と塩澤先生にお話ししてあります。ここでしゃべっていることは全部、文字起こしの専門の人が文字起こしした後で、将来的にスクラップボックスに貼られます。
ですから、皆さん、特に学生の皆さん、今僕がここで話していることを書き留めることは、あまりがんばり過ぎない方がいいのではないかと思っています。そうではなく、あなた自身が考えて、あなたが分からなかったことは何かにフォーカスしていった方がいいと思っています。
僕は実は塩澤先生の民法の授業を、昨年でしたか、聴講していました。
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ここにいる学生さんは、塩澤先生の授業を履修されている方も多いと思うのですが、塩澤先生の授業の進め方はとてもいいと思っています。何がいいかというと、まず、会場に対して問いかけるのです。学生さんが何人も何人も、「自分はこう思う」、「私はこう思う」と返事をして、みんなの意見を聞いて、塩澤先生は、みんなのその意見を聞いた上で、理解があやふやであるところや理解が間違っているところを正していくという、キャッチボールのような学びの進め方をしているのです。参加者の理解を確かめつつキャッチボールをする、これはとても良い学びの場の提供をして、「すごいな、参考にしたいな」と常日頃から思っているのです。
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しかし今回は数十分しか時間がないところで、大部分の人が初めてであることをやるには、少し僕には荷が重すぎまして、できないと思いました。講義という言葉で皆さんがよくイメージされることは、前に立って一人が一方的に話し、皆さんが情報を受け取るだけ、そのような形のものかと思います。今回は、残念ながらそのような形になってしまいます。
なのですが、学びということは、知識の受け皿を広げることだと思うのです。
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今ここに立っている僕は、たくさんいろいろなことをしゃべるのですが、そうすると、皆さんは、うまくキャッチできることもあれば、「えっ、今、何言ったんだろうな」となることもあると思うのです。
過去の授業の例で言うと、例えばクレイという会社の名前が出た時に、クレイという名前を知らないと言葉をキャッチできないので、「クレ?」とScrapboxに書いてありました。また、例えば、もう少し新しい、先々週の稲見先生の授業で言うならば「バイモーダル・ニューロン」という言葉が出てきたのです。このバイモーダル・ニューロンという言葉を、言っているとおりキャッチできる人は少なく、Scrapboxには「バイオ・ニューロン」と書かれていました。そのように、人間は、自分が持っているものはキャッチしやすいです。でも、学んでいく、自分の知識の受け皿を広げていく、という上で大事なものは、自分が上手くキャッチできなかったところなのです。だから、特に学生の皆さん、自分が聞いて分かったことを、文字起こし的に打ち込むのではなく、自分が何がキャッチできなかっただろうということに、ぜひフォーカスしていってほしいと思います。
ここで早速ですが、レポート課題です。
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レポート課題は、この講義を聞いて分からなかったことを、スクラップボックスに書いて私に出してください。皆さんがスクラップボックスに書くと、僕は、そのスクラップボックスに書かれたことを後から読むことができます。後から読んで、それに対するフィードバックをスクラップボックスに書くことができます。そして、それを皆さんは後で読むことができます。このような形で、少し時間は間延びしますが、キャッチボールができるのではないかと思っています。
レポート課題と、今後どのように受けたらいいかという話に共感していただけたでしょうか。大丈夫そうなので、では、早速ですが本題に進んでいきたいと思います。
この授業をする上で、今回僕が一番戸惑ったといいますか、難しいと思ったことはどこかというと、聞く人のダイバーシティが高いことです。
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特に学部生の皆さんは、普段受けている授業で大部分、自分の周囲の人を思い出してみると、大体が二十代前半です。自分の年齢プラスマイナス一歳くらいが多いと思いますが、今回この講義では、二十歳の人がいる反面、七十歳の人もいるわけです。つまり、半世紀の経験した人生の差があるわけです。授業では「皆さん、こういう身近な経験がありますよね」とスタートすることが普段は多いですが、まず、皆さんの身近な経験にだいぶバラエティーがあるのです。これは難しい。では、どのような話の進め方をしていったらいいかということを考えた結果、まずは、皆さんが合意できる全体的な話から進めていきたいと思います。つまり、俯瞰してマクロな視点からお話しします。
何かというと、人口ピラミッドなのです。
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人口ピラミッドを見たことがある人?大丈夫ですね。人口ピラミッドは、皆さん見たことがあります、と。人口ピラミッドは、縦軸が年齢で、その年齢の人がどれくらい多いかということが横軸になっています。では、この人口ピラミッドの中で、自分はどこにいるのかということを考えていきましょう。
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僕は一九八一年生まれ、三十八歳です。ということはどのようなことかというと、崖の下で、ずっとこのように人口が減り続けています。僕や僕より若い世代、とくに二十代の人たちは、みんな、毎年、毎年、世代ごとの人口が減っていく世界に生きているわけです。
それを分かりやすくするために、二十代人口だけ注目してみましょう。
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上は二〇一五年当時の二十代人口です。人口ピラミッドの二十代のところだけを切り出したものです。下が二〇三〇年予想の二十代人口です。これを見ると分かるのですが、この十五年間で何が起こるかというと、十五パーセント減少するわけです。十五年で、二十代の人間が、七人に一人いなくなるのです。
もう一つ、全体像の話をしたいと思います。これは日本の財政の話なのですが、細かいことはさておき、図解で大雑把に、何がどれぐらいの割合であるかということを見たいと思います。
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まず、一般会計が九十七兆円、これは税金で入ってきたり、国債・公社債で入ったりするお金のことです。これに加えて、社会保険料で六十七兆円入ってきます。これを使っているわけなのですが、まず、年金の支払いで五十七兆円支払われます。次に、医療費関係の支払いで三十八兆円支払います。福祉などで、あと二十四兆円支払います。国債の支払いで二十四兆円支払います。これで残ったお金、これが国の運営に使えるお金です。この小さいもの、文字が見えない箱が何と書いてあるかというと、科学技術関連経費、四兆円です。
このような全体像は、客観的事実として、皆さん、納得していただけると思います。これが二〇二五年にどうなるかという話なのです。
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今、年金、医療、福祉を合計して百二十兆円あるこれが、二〇二五年は百五十兆円です。これは、大体図をそれに比例する長さにしてあります。なぜこれが起きると思いますか?特に学生さん、二〇二五年になぜこのようなことが起こるのだろうかと、少しイメージしてみてください。
二〇二五年は、団塊世代が75歳になるのです。先ほどの人口ピラミッドの話とつながっているわけです。そうすると、介護の担い手が三十八万人不足すると言われていて、供給見込みが二百十五万人しかいないから、大体十五パーセント足りない。これを、回避していかなければいけないのです。
十月三十一日の稲見先生の授業でもちょうど話題になった、課題先進国日本。国連のSDGsの中には少子高齢化が入っていない。少子高齢化を問題だと真っ先に認識するのが日本なのだという話です。日本が真っ先にこの課題に直面するということは、どのようなことなのかというと、世界の誰かが解決してくれるのを待って、それを模倣するというアプローチが通用しないわけなのです。われわれ自身が、その問題をどのように解決するか考えなければいけないのです。
考えなければいけないとなったときに、「何から考えたらいいんだろう。手掛かりも何もないな」と思われる方もいるかもしれないのですが、実は、おもしろい自治体があるのです。和光市です。
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この縦軸は要介護認定された人の割合です。1号被保険者に対する要介護認定された人の割合、全国平均が十八・三パーセントあります。一方、和光市は九・七パーセント。和光市はどんどん減っている。傾向として、全国としては要介護認定者の割合がどんどん増えていっている状況なのに、和光市は減っていっているのです。これは何をしているのでしょうか。
和光市は、二〇〇三年から介護状態発生の予防に注力しました。
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当時の市長さんは医療関係の知識があったので、これは予防していかなければいけないことだと考えたわけなのです。そこで、一律の介護や一律のやり方を全員に対して適用するのではなく、個々人のニーズを把握して、個人をどうする必要があるのかということを把握して、それに対して多様なプログラムを提示したのです。
あと重要なことは、卒業という概念です。要介護認定の人や介護が必要な人を、より必要ではない状態に変えていくということを、市町村として支援していくわけなのです。なぜこれを実際にやる必要があるかというと、皆さん、イメージしてみると分かると思うのですが、利益だけが目的で介護事業をやっている事業者がもしいたとするならば、要介護認定の人が減ると、売り上げが下がるわけです。そうすると、卒業させよう、要介護認定の人を減らそうというようなインセンティブは、放っておいたら発生しません。だから、そこは自治体が作る必要があるわけです。というようなことに和光市は取り組んで、実際に、このデータが示すとおりに、要介護認定者が減っているというおもしろいことが起きて、このモデルはこのようなことができる、このようなことを知って広めて、どうすればそれがより大きくできていくかということを考えていかなければいけないわけです。
ここまでのところは、特に六十代の皆さんにとっては自分の身に近い話だったとは思いますが、二十代の人にとっては全然身近ではない話だったと思います。二十歳の人たちは、今後要介護認定される人の割合はどうかということは、あまり自分にぴんと来ない話だったと思うのです。ここからは、20代の皆さんに関係のある話をします。
二十代人口が、七人に一人いなくなるという話をしました。では、七人に一人いなくなると何が起こるか
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同じ二十代の人が同じ仕事をするとするなら、今七人でやっているような仕事を、六人でやらなければいけなくなるということです。そうすると、一人当たりの仕事の負担は十七パーセントアップするわけです。仕事の負担が十七パーセントアップするとは、どれぐらいのアップだと思いますか。今、月に二十日、八時間働いていたとするならば、毎日一時間残業するか、もしくは週末を数日間、半日削られるか、放っておくと、これが十五年間で起きるのです。
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ですから、放っておいてはだめなのです。働き方の工夫をして、仕事を減らしていかなければいけないのです。松下幸之助も、額に汗して働くことは尊いけれども知恵がなくて、汗を少なくするようにしなければならない、一時間短く働いて今まで以上の成果をあげるのが、働き方の進歩だ。それには創意工夫が必要なのだ。頭を使っていかなければいけない。そうして楽々と働いて成果を出すことによって社会の繁栄が生まれるのだ、と、話したわけなのです。
これは20代の皆さんの、今後の人生にとても影響のある話だと思うのですが、どうでしょうか。働き方は、進歩していかないといけません。働き方の進歩は、具体的には、一体どのように起こすのでしょう。
はやり言葉としてはAIなどと言われているのですが、AIは情報処理技術ITだと思ってください。AIの話をすると、よく皆さん、コンピュータが人間を超えると、このようなイメージをされる方が多いと思うのです。
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「いつかコンピュータが成長してきて、人間を追い越してしまう。怖いよ、どうしよう」というような感じのイメージを持たれる方がしばしばいるのですが、そうではなくて、コンピュータというものは、生身の人間とコンピュータの組み合わせによって、増強するためにあるのです。
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コンピュータプラス人間というものは、生身の人間よりもっと強くなっていく、年々強くなっていくものです。
そもそも、このコンピュータがなぜ登場したかというと、生身の人間が計算するよりもコンピュータを使って計算する方が、計算能力が高いからなわけです。コンピュータ自体が、人間の計算能力を増強するために作られたわけです。しばらく後に、インターネットというものが現れます。そうすると何かというと、今までの電話や郵送などが使われていた生のコミュニケーションに比べて、圧倒的に人間が情報をやるとりしやすくなりました。例えば、地球の裏側が相手であっても、情報をやり取りすることが容易になります。人間の情報流通能力が、向上したわけです。
次に何が来たかというと、検索エンジンが来たのです。検索エンジンが来たことによって何が起こったか。人間はインターネット上の大量の文章を全部読んで、そこから目的のものを見つけ出すということは困難です。しかし、機械ならば、大量の文章データを全部、機械の中に入れた上で、キーワードに対して「それに関連したものはこれです」と出すことができます。人間よりも圧倒的に大量の情報を記憶して、それを思い出すことができるシステムが現れました。このように、情報処理技術というものは、ずっと人間の知的能力を向上させ続けてきているわけなのです。ですから、AIに仕事を奪われる、AIが怖いというような反応は、正しくないと思っています。
ここで具体的な事例を少し出します。
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これは『ウェッジ』に紹介された記事なのですが、「出荷時間八時間を一秒に。三浦市農協で起きた驚異の進化」という記事です。これは、農協の業務の中でも厄介な、出荷物の配送を、トラックでどのような順番で回ったらいいか決める作業を、情報処理技術によって効率化するプロジェクトなのです。今まで、農協では、一日に八時間、人間ががんばって、配送業務を作ってきました。これをプログラムにすることによって、わずか1秒で、これはあメインの計算の部分の時間でデータの入力部分が入っていないので少し誇張がある表現なのですが、データを入力したらボタンをぽちっと押すと1秒ぐらいで配送計画表が出来上がるという、独自なアルゴリズムを作ったわけです。
このアルゴリズムを作ったのは、実は僕なのです。この配送ルートの作成は、中堅社員でも八時間、ベテランでも六時間かかるような仕事だった。これを若い人にやらせようとするわけです。そうすると、若い人が、「こんなのに、五時間も六時間も掛けて配送ルートを作るなんて、やってられない。こんな仕事、つら過ぎる」というような感じのことを言ってしまいます。そもそも論として、人口減少で、人手不足で、採用することも結構大変になってきて、「若い人来てくれないな」と悩んでいるところで、その若い人がこのようなことをさせられて、「辞めちゃいます」という感じの気持ちになるわけです。やっていけないというそのような状況を、ではどうするかというと、コンピュータに働かせるのです。
今回のプロジェクトは一日当たり八時間だから、およそ人間が一日取り組むくらいの仕事を奪ったことになるのですが、では、奪って誰か悲しんだのか、困ったのか?そうではなく、この農協のイイジマさんという方は、「労働時間が短縮されてとてもうれしい。職員の負担が減る。空いた時間を営業などのより別のことに、効率的に使うことができる」と、そのようにポジティブな意見をおっしゃってくださっているわけです。ですから、AIが仕事を奪うというと、皆さん、多くの人が、「今、自分がやっている1の仕事がAIによって0になってしまって自分が失業する」というようなイメージを持たれる方が多いのですが、実際はそうではなくて、放っておくと、今、一日、1の負担で仕事をやっているものが、1.16にじわじわと上がっていくわけなのです。このじわじわした変化を人間は認知しにくいので、気付かない人も多いですが、先ほどの人口の変化を見るのに、人口がどんどん減っていくことはあたりまえの事実なので、当然のように、徐々に仕事の負担は増えていくわけなのです。そうであるならば、その増加分をAIに肩代わりさせる、IT技術を活用するなどの方法で、仕事の負担自体を削減していかなければ、にっちもさっちも行かなくなります。だんだん真綿で首を絞められるように、苦しくなっていくしかないわけなのです。
このAIもしくはIT、AIという言葉は、何だかよく分からない怖いもの、よく分からないもの、自分と縁遠いものと感じるかもしれないのですが、AIという言葉はただのはやり言葉なので置いておいて、要は情報処理技術ITによって効率化されています。具体的な例で言うと、授業のノートというものは、まさに今、ここの目の前で行われていることなのですが、情報処理技術がもっと乏しかった頃、授業をやるとしたらどうしたかというと、この教室のスクリーンの裏に実はホワイトボードがあるのですが、あのホワイトボードや黒板に僕はチョークで字を書くわけです。学生の皆さんは、それを見ながら自分の手元の紙のノートにペンで書くわけです。そうすると、では例えば、風邪をひいていて休んで、ノートを取れなかったという友だちがいた場合どうするか?そのノートを共有してあげようとなったら、コピー機でコピーする、手書きで書き写すなど、そのようなことが必要になっていたわけです。
一方、では今はどうなっているか。まさにこの授業で今何が起こっているかというと、講義資料は、最初からスクラップボックスに貼ってあります。今、そこで学生さんが書いているノートは、書いた瞬間から隣の学生さん、もしくは今受付に座っている方にも全部共有されているわけなのです。リアルタイムに情報が共有されているわけです。先ほどもレポート課題に紹介しましたが、今、分からない疑問、思ったことや感想などをScrapboxに書くと、この講義が終わったら、僕はそれを見ることができるわけです。紙だと、それをやるためには、質問用紙を配っておいて回収することになる。情報処理技術の発展によって、このようなより効率のよい情報のやりとりができるようになったわけです。
このようにIT技術を活用して、働き方を進歩させていかなければなりません。働き方を十六パーセント効率化しないといけないのです。じわじわした変化というものは注目されにくいので、これを見落としているということが実は意外にいます。二十代の皆さん向けの重要なメッセージとしては、将来就職するときには、この状況に気付いている会社を選ばないと危険ですという話です。経営者が、効率化していかないといけないということを全く分かっていなくて、「自分が若い頃にはこういう仕事のやり方をやってたんだから、君たちも同じやり方でやるべきだ」などというようなことを、もし言ってくるようなケースは、仕事の量が増えて、人数が減っていっているにもかかわらず、効率の悪い仕事のやり方を継続するわけなので、その会社自体が割とジリ貧なわけなのですが、そのようなところを避けていかなければいけません。
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これは、最近気に入っているキャッチフレーズなのですが、「時間は金銭、効率は生命」と書いてある。この「効率は生命」という言葉はすごいパワーワードだと思っていて、皆さん、効率化を追求していかないと、皆さんの生命に関わるということです。
これに関連して、礼儀という言葉も、そもそも実は考え方が二通りあるのではないかという指摘をされた方がいたので紹介します。
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それはどのようなことかというと、かつて、礼儀というものは「時間を相手のために使うこと」が良いこととされていたのです。例えば、手書きで文章をしたためて郵送するというようなことは、とても時間が掛かるので、電話一本で済ませるより手書きの手紙を書く方がいいことであると考えられていた、現時点でもそのような考え方が、まず存在します。これを礼儀1.0と呼びます。
一方で、それとは違う考え方をする人も、世の中には増えてきているのです。「相手の時間を奪わないこと」が礼儀であると感じる人たちが増えてきているのです。これを礼儀2.0と呼びます。何が良いことであるかに、考え方の違いが生まれてきているわけです。これは年代的に分かれるものではなくて、同じ年代の中でいろいろいます。例えば、学生の皆さんからすると、企業はみんな同じように見えるかもしれないですが、企業の考え方も、礼儀1.0の考え方のところと礼儀2.0の考え方のところがあるわけなのです。ですから、エントリーシート、履歴書を提出するのに、「履歴書を手書きで書かないなんてどういうこと。ワープロで打っただけの文字をぴっと出してくるなんて、なんて失礼なやつだ」という会社も世の中には存在する一方で、「え、手書きでなくていいですよ」「むしろ紙だと受け取った側の手間が増えるからデジタルデータがいい」と思う会社も、世の中にはあるのです。
これがもう歴然と出てくるのが内定を辞退するときで、「電子メールで内定を辞退するなんて、なんてけしからんやつだ。せめて来訪して"すみませんが、この内定を辞退させていただきます"と言うか、もしくはせめて電話で伝えるべきだ」という考え方をする会社もある一方で、「いや、電話とか、ミーティングするとか、時間が無駄。今回内定者の方が内定を断るっていうのは、単にミスマッチだっただけ。それはもう仕方がないことなんだから、その情報をスピーディに電子メールで送ってきていただければ、それでオッケーです」という会社もあります。
このような、二通りパターンの考え方の違いをお話ししていて、その辺の考え方の違いが何から生まれてきているかというと、やはりこれは人口減なのです。僕が三十八歳で、今この崖のこの部分なので、四十代以降ぐらいからずっと人口が減っていって、世代ごとにどんどん時間が足りなくなっていく状況の変化が起きている。その状況の変化にスピーディに適応することができた会社もあるし、まだ適応していない会社もあります。ですから、繰り返しになるのですが、学生の皆さんが就活で会社を選ぶときに、効率の悪いやり方の会社を慎重に見極めて、それを避けることが大事。それによって、相対的に効率の良い働き方をしている人の割合が、日本の中で増えていく、これが日本にとって良いこと。効率の悪い働き方をしていて、若い人の採用が困難になっていく会社は潰れたらいい、それが全体最適。そのようなわけで、だんだん厳しくなっていくという話をしました。
次に、もう少し具体的に、情報処理技術を使って効率化していく話に踏み込んでいくのですが、その前に一個、思い出してみたい話があります。十月三十一日に稲見先生の授業で話題になった、「能力っていうのは、人と環境の相互作用だ。環境が変わったら、人が能力があるのかないのか自体も変わるのだ」という話が、この授業を聞いていて個人的にとてもぐっと来た話でした。技術の進歩や人口構造の変化は環境を変えるわけです。その環境が変わると、ある人が能力があるのか、ないのか、ある人がハンディキャップを持っているのか、持っていないのか、これが変わるわけなのです。稲見先生の言葉の中で、一番ぐっと来たことは「階段を登れる車椅子があれば、階段もバリアフリーだ」という話です。まさにそのとおりで、階段を登れる車椅子が発明されてしかるべきなのです。技術はそのように進歩して、バリアをどんどん変えていくことが大事だと思うわけです。
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これは最近、僕が、業務時間中に遊びに行ったカフェなのですが、これはロボットです。ロボットの中にインターネット経由で外部の人が入っています。これは机があって、カフェでこの辺に座っていて、お茶を出してもらってお茶を飲んでいるわけなのですが、このお茶のところの机の上に立っているこの小さいロボットの中に入っている人は、今、兵庫県の病院で、病院から出ることのできない病気になっている人でした。この人と話しながら、このような感じでこのカフェは運営されているのですという話をしながら、後ろから、物理的に歩くことが困難になるような病気になっている人たち、その方がこのロボットの中に入って、すうっとお茶を持ってきて、「はい、どうぞ」としてくれるのです。
このような人たちは、技術がなければカフェで働くことなどはできなかったわけなのですが、技術の進歩によって、働くことができない人が働くことができるようになるわけなのです。そうすると、これは何といいますか、人口減少で人手が足りないと言っている今の時代に、技術によって、人をより働くことができるようにしていくということは、とても重要なことなのではないかと思うわけなのです。
なぜこれを紹介したかというと、次の話のためのトリガーなのですが、このような写真は、キャッチーですね。このような講演でキャッチーな写真を出すとウケるので、このような目立つ写真がよく使われがちなのですが、これを自分の身近なものだと思ったという人は、今、ほとんどいないでしょう。何か「技術の先端では、そういうものもあるんだな」、もしくは「将来何かあって自分が歩けなくなったら大丈夫そうだな」と思われた方もいると思います。このような技術の最先端の話はキャッチ―なのですが、身近に感じないです。今の自分に関係があることとして感じないのです。人ごとのように感じてしまうのです。
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でも、そうではないです。実際に、イノベーションは何がどのように起こるかというと、未来のあたりまえを作ることによって、イノベーションは起こるのです。今、生まれたばかりの新しい技術は、まだ普及していないのです。まだ普及していないので、大部分の人は自分には縁遠いものに感じるのです。一方で、価値があって普及した技術は、もうあたりまえだと感じるようになっています。このあたりまえというものを、このような形の方が効率が良いからあたりまえだというようにどんどん広がっていくことが、本当にイノベーションとして、働き方を改善していくプロセスなのです。
ここでまた二十代の若い人とのギャップの話をします。稲見先生の授業では、文字コミュニケーションの話が出ていました。稲見先生の授業では、どのような取り上げられ方をしたかというと、聴覚に障害のある人、ハンディキャップのある人は、実はテキストでのやり取りしかできないゲームの世界では、自分が聴覚障害者であると公開することもなく、普通の人と普通にやり取りすることができたのです。ハンディキャップのない世界がそこにあったのだという話が紹介されたのですが、これはゲームの中だけの話ではないし、聴覚障害者だけの話でもないのです。情報通信技術が発展したことによって、音声ではなくて文字を使ってやり取りするということが、当たり前になった。今まさにスクラップボックスで、学生さんが書いているわけです。ここに座っている学生さんと、そこへ座っている学生さんでは、席が離れているから昔の紙のノートではちらっと見ることもできなかったのですが、今はインターネットを介して同じものを見ながらやりとりができているわけなのです。情報通信が行われているわけなのです。
これは、二十代の人からすると、割にあたりまえの日常になっています。ラインを使っている経験がある方は、はい。手を挙げて、使っていない方は、周りを見回してみてください。実際にデータで示しますと、二〇一六年の調査なのですが、二十代の人の九十六パーセントは、ラインやそのようなテキストコミュニケーションのツールを使っていて、三十代では九十パーセントが使っています。
https://gyazo.com/207d05dbb3ad5a5b05fce0d8b40bde95
ちなみに三十八歳の僕は、大学の学部生のときに、ヤフーメッセンジャーと呼ばれていたのですが、同様のチャットのツールを使って、深夜に同級生と、「このレポートの問題って、こうこう、こういうことかな」とこのようにして打って、送って、相手が返事を返してきてというやり取りをしながら、学んでいたわけなのです。このやり方は、二十代の皆さんは、あたりまえなことを何言っているのだと、この場で思っているのです。うんうんと頷いている方がいらっしゃる、ありがたいことです、その「うん」は「あたりまえ」だと思っています。一方で、「テキストコミュニケーション?使ったことない」となっている年配の方もいらっしゃるわけなのです。これが現実社会で実際に起きていること、ダイバーシティがあるのです。人それぞれ、自分が経験していることは違うわけなのです。自分が経験したことと同じことを、周りの人が経験しているとは限らなくて、それはあたりまえのように食い違っているわけなのです。ですから、それを伝えていく必要があるわけです。
今度は、文字を使ったコミュニケーションにどのようなメリットがあるか、大変なメリットがあるのです。ですから、ぜひ知っていただきたいのです。デジタル文字コミュニケーションは音声のコミュニケーションと違って、二つのメリットがあって、消えないところと、検索可能であることです。消えないとはどのようなことかというと、音声は消えるのです。今、僕がここで話していることは、音声で話しているわけですが、あなたがどうしても急におなかが痛くなって、トイレに行って戻ってきたとするではないですか。その5分の間に、僕が何を話したかということは、もう分からないのです。音声は消えるわけなのです。ですから、音声でやり取りされているコミュニケーションは、同じ時刻に同じ場所にいなければいけないのです。この場所から少しトイレに行くだけで、ここで僕が話している内容が分からなくなってしまうわけなのです。
環境がハンディキャップを作る話が、ここでつながってくるのです。会社の中での仕事のやり取りが全部音声だった時代、いや、音声であるような会社の場合、仕事上の重要な事項がそこで音声で飛び交っているから、その場に、その時刻にいないと、仕事上の重要な事項が分からないのです。ですから、会社にいないと仕事ができないわけなのです。そうすると、その時刻、同じ時刻に、会社の同じオフィスの場所にいることができる人しか、働けない環境なわけです。会社環境がハンディキャップを作るのです。その結果、どのようなことが起きるかというと、例えば身体的な障害があって、その会社に通勤することが困難な人は働けないわけです。例えば、地方に住んでいて、東京の会社にやってくることが現実的でない人、このような人も、東京の会社では働けなくなるわけです。
もっとひどいことが、例えば子育てなどの理由で、九時から五時まで、フルタイムで会社にはいられない。ただ時間を短くしたらいられるのだけれどもというような人が、仕事から排除されてしまうのです。これらの人たちを、ハンディキャップにしてしまう環境になってしまいます。ですから、音声でのコミュニケーションをもっと文字ベースのコミュニケーションに置き換えていく必要があるわけです。
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音声は、物理的に離れている人、遠くにいる人や、時間的に離れている人、遅れてくる人に対して、情報をやり取りする能力、情報を伝える能力がないのです。一方で、文字情報を、例えば今スクラップボックスでやっているように、書いた文字をサーバーに入れると、そのサーバーに遠くの人もアクセスして読むことができる、この遠くにいる人の情報を読むこともできるし、たまたまそのタイミングの遅れて来た人でも、後から、サーバーから読み取ることができます。
このように、消えない文字コミュニケーションをより使うことによって、人間のコミュニケーションがより良くなっているわけなのです。この消えない仕組みというものが、さらにどんどん進化しているわけなのです。バックアップを取るようになるのです。特に会社の中の情報が、デジタルデータが使われるようになってきたら、会社の皆さんはどう思われるかというと、これが何らかの事故によって消えるのは嫌だと思うわけなのです。そうすると、自然の流れとして、それを複数のサーバーにコピーしておくことによって、例えばどこかが壊れても危険のないようにしようという流れが、当然のように生まれるわけです。
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当然、いわゆるクラウドのサービスというものは、分散保存、書き込まれたデータを複数の場所に分散して保存しています。そうすると、今、これはサイボウズの事例なのですが、東日本と西日本、それぞれにサーバーがあって、情報が両方に保存されるので、どちらか片方が地震や津波でぐしゃっとなくなったとしても、データは消えることはないのです。なぜなら、残った方のサーバーから取ってくればいいからです。もちろん、西日本と東日本、両方が同時にぐしゃっとなってしまう事態には対処できません。100%消えない保証はできないのですが、分散することによって、より消えにくいようにするということです。
皆さんは、もし、例えば仕事の書類を紙で書いていて、ロッカーにしまっているとするではないですか。多くの自治体がそうなのですが、この自治体は、地震で津波にさらわれてしまうと、とても困るわけです。データがなくなってしまうからです。もしくは、皆さんがパソコンで作業をしていて、そのデータはそのパソコンの中にしかないとするではないですか。地震や津波などではなく、少しコーヒーをこぼしてパソコンが壊れると、とても困るわけです。皆さん、特に修論などを書いている人は、修論を書いている最中にコーヒーをこぼして壊れるケースが大変多いので、きちんとバックアップを、適宜取りながら進めないといけないですよ。Dropboxなどを使うと、ファイルを更新した時に自動でクラウドに送信して保管されるので、パソコンが壊れても大丈夫。このように、バックアップを取ること、そしてバックアップを複数の箇所に取ることによって、データが消えなくなるわけです。データをデジタル化してバックアップするということをやらなかった時代と比べると、圧倒的にデータが消えなくなりました。
では、データが消えなくなると、次に何が起こるでしょうか。データが消えなくなると、次に何が起こると思いますか。データが消えなくなると、どんどんたまっていくのです。データがどんどんたまっていくと、人間の知的能力では、全部のデータを頭に入れることが困難になってくるのです。そうしたときに、検索というものが有効に機能していくわけなのです。
検索は、人間の思い出す作業を肩代わりしてくれる機械の仕組みなのです。大量の情報の中から機械が人間の代わりに見つけて、教えてくれる仕組みなのです。将来的には、いろいろなものが検索できるようになるのですが、現状の科学技術だと、十年分の紙の書類から検索するとか、十年分の会話の録音から検索するなどということに比べて、十年分のデジタル文字情報から検索する方が、圧倒的に容易なのです。この上の二つも鋭意研究が進んでいるところではあるのですが、紙の書類であるならば、それをスキャンして、OCRでテキスト情報にした上で検索する、会話のものであれば、音声認識に掛けて、やはり文字情報に変えて検索するというように、一旦文字情報に変換してから検索する形に、現状ではなっているわけなのです。なので、現状はまずは文字情報にすることが大事、それによって検索が可能になるわけです。
実際に膨大な情報はあるのです。
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これは、うちの会社に僕が入社したときに作った、社内の電子掲示板です。僕は二〇〇七年四月二日の月曜日に入社して、その翌日に社内のグループウェア上に、「西尾のひとりごと」という掲示板を作った。このことを、僕は覚えているわけではないです。そこにデータがあるから見れば分かるし、検索すれば見つかるし、例えば、僕が入社一年目の頃、何を思っていたか知りたければ、これの二〇〇七年ぐらいの投稿を見ればいいのです。覚えておくことができないものは、ここにデータがあるわけです。
ちなみに、この掲示板に、今までに二万三千六百六十二件の投稿があるわけです。これは、僕が特殊なのではないのです。サイボウズ社内では、たくさんの人が日々文字情報を入力して、それがサイボウズのグループウェアの中に全部たまってるわけです。そのような会社が現実に存在するわけです。社員のみんながどんどん、情報をためていっているわけです。
先ほど、文字情報データというものは、遅れて来る人に対しても情報共有ができるという話をしました。遅れてくる人は、会議に遅れてくる人のように五分や十分遅れるイメージだけではなく、十年遅れてくる人もいるわけです。十年前のことを、皆さんはどれくらい覚えていますか。日記を付けられている方は日記を見るという手がありますね。十年前のこの日に皆さんは何をしていましたか。僕は覚えていないです。皆さんも覚えていないと思いますが、僕は後でグループウェアの十年前の日付の投稿を検索して読めば、ある程度分かる可能性があるわけなのです。また、十年後に入社してくる人もいるわけです。会社に十年後に入社してきた人は、十年前に会社の中で何が起こったかという情報を知らないわけです。知らないけれども、その人が検索して見つけて、「あ、こういうやり取りがあったから、今、こういうルールになっているのか」など、そのようなことを後から知ることができるわけなのです。つまり、文字情報による情報共有というものは、今こうしているときの情報共有ではなく、十年後の未来とも、二十年後の未来とも、ずっと先の未来とも、情報の共有ができる仕組みなのです。
これを活用していくことによって、どんどん良くなるわけです。
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これは十月十日の太田先生のスライドを引用しました。この図はおもしろかったので、忘れている方は思い出していただいて、覚えている方は、「ああ、あったな」と思っていただければいいのですが、ある情報を知っている人や知らない人がいる、これが情報の非対称性です。知っている、知らないという食い違いがあることで、この二人の間の流通の円滑が阻害されるわけなのです。「基本は知らないから、もしかしたらだまされてるんじゃないか」と思ったり、もしくは知らないことによって不利益なチョイスをしてしまったり、そのようなことが起こるわけなのです。
まさにこれなのです。十年目の社員と新入社員がいた場合に、十年目の社員はある情報を知っているけれども、新入社員は当然知らないわけなのです。そのような会社において、十年目の社員が、「君は新入社員だから知らないかもしれないけれど、これはこうするのが普通だ」というようなことを言ってしまうと、マウンティングができてしまうわけで、それは良くないわけです。でも、それがもしも時間を超えた情報共有がされていると、この新入社員は、十年目の社員が偉そうに何か言ったときに、この十年目の社員が一年目のときに書いた日報を見ることができるのです。現実の話です。サイボウズの開発本部長は、僕と同期なのですが、だから十年以上前に入ったのですが、その本部長などが若かった頃に、こんなことを考えていたんだなというようなことを、現在の新入社員が発掘してきて読むことができる。何といいますか、悪いことができないのです。自分を実際以上に偉そうに見せる、そのようなことはできないのです。今、偉い本部長であっても、十年前には新入社員であった頃があったのだ、仕事がうまくいかなくて悩んだときもあったのだ、苦しんだときもあったのだと、等身大の人間が共有されるわけなのです。そうすると、情報の伝達が円滑になるというと少し堅苦しいですが、身近な感じになります。十年前を忘れてしまった本人も検索することができるわけです。
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この消えないということは、忘れないということにもつながっていて、生身の人間の記憶は、不安定なのです。何度も言うようですが、皆さん、昔のことは忘れますね。放っておくとどんどん忘れてしまうものを、文字データにしてサーバーに入れれば、消えないわけです。これに限らず、録音するでも録画するでもいいのですが、とにかく、デジタルデータとして記録して、分散保存されるサーバーに入れると、今の世界はもうほぼ消えないのです。
そうすると、価値があると思った情報は、そのままにしておくと忘れてしまうから、忘れないように保存しておこう、という気持ちが、人間には働くわけです。そうなってきたときに、「あれ、これ、自分一人のために保存してるけど、他に役に立つ人もいるから、他の人と共有した方がいいんじゃないか」というように、他の人と共有するということができるようになるわけです。共有しても問題ないことだったら、共有しておいた方がみんなにとって得ではないか、よりみんなハッピーになるのではないか、そのような流れが起きるのです。この「共有しても問題ない情報」の範囲が、実は情報処理技術によって広がりました。その話をします。
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アクセス権と言います。アクセス権の細かい設定が可能になったことで、共有して問題のない情報の範囲が広がります。人事が持っている社員名簿をイメージしてください。この社員名簿に、社員全体に公開してはいけないようなタイプの情報が書いてあるとします。例えば年収が書かれているとすると、その年収の情報は全社員に共有されたくはないわけです。このようなデータがあったときに、情報処理技術を使う、特定のフィールド、特定の「月収」という値にだけ、「このフィールドを見ることができるのは人事部だけである」というアクセス権の設定ができます。
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アクセスすることができる権利を一部の人にだけ与える、他の人は制限する、ということをできるわけです。この設定をするだけで、人事部以外は見ることができなくなるわけです。
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この二つの図を見比べてみるといいと思うのですが、昔、書類が紙で書かれていた時代、他の部署の人が見てはいけない情報が書かれた書類を紙で管理していた時代に、どのようにして管理していたかというと、人事部に鍵が掛かるロッカーがあって、そこに入れて鍵を閉めていたのです。その鍵にアクセスすることができるのを、人事部の人間だけに制限することによって、他部署に見えてはいけない情報を見えないようにしたわけです。これが原始的なアクセス権管理です。
この状況で、「年収の情報は要らないから社員の他の情報のところだけください。見てもいい範囲だけください」と、他の部署の人が言ったときに何をしなければいけなかったか?紙の情報を出してきて、見せてはいけないところだけを削った紙を作って、それを渡す必要があった。人間の手間が掛かったわけです。これは非常に手間だし、皆さん、仕事が忙しいので、そのようなことを頼まれると嫌がるわけです。やりたくないわけなのです。情報共有に人間の手間が掛かるせいで、情報共有を抑制する力が働いてしまうのです。
一方、デジタルデータの時代はどうか。他の部署と共有してはいけないデータも含めて、まずサーバーに入れてしまいます。それから、そのサーバー上で「このフィールドを見ていいのは人事部だけだ」という、赤線で書いたのですが、そのように規定します。そうすると、そのサーバーにアクセスしたときに、人事部の人は全部のデータが見えるし、そうでない人は、見てはいけないところが隠されて表示される。これが現時点の技術では現実的に実現可能になっていて、実際に多くの方が使っているわけです。
このようなことによって、「情報共有」が「紙の書類の全体を共有」のイメージでいた時代だと「いや、これは見せられない情報が入っているから共有できないよね」というように言われていた情報でも、「見せられないところだけ隠せば共有できるから、共有しましょう」と共有できる情報に変わるわけです。そうすると、どのようなことが起こっていくかというと、例えばサイボウズですと、経営戦略会議や本部長会議の議事録が公開されています。もちろん、一般社員が見てはいけないような内容だけは、アクセス権設定で隠されています。でも、そうではない議論は全部記録として見えます。
例えば、僕は研究部門、サイボウズ・ラボというところで研究をしていて、今週はどのような研究をしましたというような報告を書くなどするわけなのですが、この情報は、ほとんどの場合は別に隠す必要はないわけです。一部、隠す必要があるところを除けば、残りは全部共有していいわけなのです。それを共有しておくと、例えば、これは実際にあった話なのですが、営業の人がAという会社に来週行こうと思っているときに、会社のグループウェアで検索をするわけです。そうすると、いろいろな情報がヒットする中に、「あれっ。ラボの西尾さんっていう人がA社に行って、何かやり取りしているぞ」と気付くことができます。そうすると彼は「これってどういうことか詳しく教えてもらえませんか」と、僕にテキストメッセージを送って、僕は空いた時間にそのテキストメッセージに返信を送って、いろいろ情報共有ができるのです。部署をまたいで全社的に導入されているグループウェアがあることで、そこでの検索によって、生身の人間が気づけないことに気付くことができるのです。文字データで情報共有すれば、検索することができ、気付くことができるのです。
皆さん、イメージしてみてください。数百人いる会社の中で、ある人が何かしたという情報を、今のデジタル情報を検索する手段なしで、人間の脳だけで気付くことができますかと、できないわけなのです。そうすると、今の営業さんの事例でいうと、この営業さんが、今から行く会社の情報を事前にある程度知ることができると、仕事をする上で効率がより良くなっているわけなのです。付加価値を生み出す機会が増えるのです。気付くこと、考えること、結合を見出すこと、その材料が情報共有によってたくさん増えていくわけです。
あとは、重要なことは、経営会議の議事録が、全社員に共有されると、何が起こるかです。よく「経営者目線でものを考えろ」というようなことをおっしゃる経営者の方がいるけれども、経営者目線から見える情報の共有なしで「経営者目線で考えろ」なんて無茶ですね。いろいろな各部署から上がってくるデータが、社員全員見れる状態になっていて、経営者がそれを見て、どのような議論をして、どのような判断をしていくかという情報が共有されていくと、社員は少しずつ経営者目線で考えることができるようになるわけなのです。そのように経営的判断、全社的な視点で物事を考えられる社員が増えていくと、会社組織の効率が良くなりそうですね。そのようなことが起こっていくわけです。
次に、不特定多数への情報共有の話ではなくて、一対一のやりとりについて考えてみましょう。皆さんは、何か自分が知らないことがあって、例えば申請の仕方に関して、「人事のAさんに聞いて教えてもらおう」と思ったとしましょう。イメージしてみてください。そのようなとき、デジタルコミュニケーションのなかった時代ではどうしていたかというと、てくてく歩いて、「すみません、Aさんいますか」「ああ、Aさん、いました」「この書類の書き方ってこうでいいのですか」と聞いて、口頭で教えてもらって、なるほど〜という感じで書いて出して、というようなことが行われていたわけのです。これで何が起こるかというと、例えば今だと「年末調整の書類を書け」となる。学生さんは話が分からないですか。年末調整、この時期になると、会社の全社員が書かされる書類があるわけです。その書類をみんなが持って、人事や経理の方に行って、「この書類の書き方分かんないんですけど」と言うと、もう経理の人はつらいのです。何人も、何人もやってきて、同じ質問をされて同じ回答をするわけです。それはとてもつらいわけなのです。
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一方で、これが一対一の音声コミュニケーションではなくて、デジタルな文字情報での情報共有の場に質問を「この件、分かんないんだけど教えてください」と書いて、Aさんが、「それは、こうこう、こうですよ」と書いたら、他の人たちもそれをみて「ああ、なるほど」と言えるのです。CさんやDさんはAさんが聞きに行かなくても、情報が共有されるのです。AさんもCさんやDさんに何度も答えなくても良いのでです。このような年末調整のような、一定期間にわっとリクエストが増えるような質問は、効率的に扱うことによって、どう考えてもAさんの仕事の負担が下がっているではないですか。より仕事がしやすく、楽になっているわけなのです。
どんどんと、一対一のやり取りであっても、共有しよう、共有しよう、共有した方がみんなの助けになるからというようになっていくわけです。この絵だと、Aさんを一人で書いていますが、Aさんが経理チームというような感じで、チームで三人くらいいるとしましょう、そのうちの一人が、例えばいない、「ちょっと、子供が急に熱を出したので有休をとります」など、そのようなときにCさんが質問をしたとしても、他の人がCさんにAさんが以前に書いた文章のURLを示すことができるわけです。ですから、情報処理の場で、共有型のコミュニケーションするということによって、どんどん仕事の効率が良くなっていくわけなのです。このような感じで、個人もどんどんと情報共有していくようになるわけです。
先ほど、生身の人間、生身の自分の脳で覚え込もうとすると忘れてしまう、消えてしまうから、それが消えないようにサーバーに入れておこうと、このように完全に意図的な動機から、情報をサーバーに入れるようになるのですが、これを共有してもいいのではないかと思って共有してみると、共有したことによって、社内で「助かった」、「ありがとう」というようなフィードバックが来るようになるわけなのです。そうすると、「ああ、じゃあ、共有しておこう」となる。先ほどの僕の成果報告を営業さんが検索して見つけて、相談してくるようなことは、予期して書いているわけではないですが、実際にそのようなことが起こるわけなのです。
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そのような予期しないつながり、予期しない価値というものは、事前には予見できません。その材料になる情報はどんどん共有しておけば、後でつながって価値を生むかもしれません。そのように、点をもっとどんどんと増やしていくと、結合が起こりやすくなります。これはまさに、そこに遠山先生がいらっしゃるのですが、遠山先生が講義で話された、点と点が結合するところで価値が、新しい創造が生まれるということです。その点がサーバーの中にどっさりたまっていて、検索することにより関連しそうな点を見つけてくることが、コンピュータを道具にすることによって、生身の人間が点と点の結合がをやっていたときよりも、圧倒的に起こりやすくなるわけです。創造活動が起こりやすくなるわけなのです。
そのような経験、そのような実際公開し、共有することによって、他の社員が喜んだり、価値を生み出すことができたりという経験をすると、では、より一層情報共有をしようと思うように、社員みんなの思いが変わっていくわけです。このようなことによって、情報共有を高く評価する社内文化が、徐々に変わってきていくわけなのです。そうすると、公明正大というキーワードがサイボウズではよく言われているのですが、むしろ、共有しないということは、何か後ろ暗いことがあるのか、明確な理由がないのになぜ共有しないのですかというような雰囲気が出てくるのです。
これは、本当にそれぞれの感じ方のギャップなのですが、共有の場所にものを書くことが怖いと思う人は、多いと思うのです。実際にいると思うし、それは悪いことではありません。責めるわけではないです。思ってしまうのだけれども、一方で、共有の場所に書くことが大事なのだという気持ち、その文化が高まってきたときに、共有の場所に書かないのはなぜ、何か後ろ暗いことが、書けない理由があるのかというような感じの不信感を持たれるという、不信感を持つ人も増えてくるわけなのです。この二つの割合が、時代が進むにつれてどんどん変化していっていて、先ほどのラインの話にも出てくるのですが、当然のように、共有の場に書く経験を若い人たちは圧倒的にしているので、共有の場に書かないで、裏でこそこそと、一対一で、記録が残らない音声を使ってやり取りすることは、何か後ろ暗いことがあるのではないかという感じのことを、思われるようになっていくわけなのです。
会社の中の、コミュニケーションの大部分が音声だった頃は、昼間の大部分の時間、会社にいる人は、そこでしかコミュニケーションの機会がなかったのですが、今の、例えば、今年2020年に会社に新入社員として入ってくる人には、恐らく同期入社ライングループがあると思います。ですから、部署が違っていても同期の間では、ほぼリアルタイムで共有型コミュニケーションができていると思います。あとは、大学の同期のチャットグループが、きっとあると思います。ですから、会社が異なっていても、同じ時期に会社に入ってきた、例えば入社一カ月、二カ月になった人は、「二カ月で上司が、こうこう、こんなことを言うんだけど」というような感じの愚痴は、同じ大学の同期の間で情報共有されると思って良いと思います。
そうしたら、「え、その会社はおかしいから辞めた方がいいんじゃない」、おかしな会社だ、と同期が言うわけなのです。音声しかなくて、情報のやり取り、受け取りのほぼ全てが、九時から五時まで会社にいて、会社の中で上司から言われたことしかなくて、大学の同期と話すということは月に一回か、二、三カ月に一回か、飲み屋で少し愚痴るぐらいしか情報のやりとりがなかった頃は、ほぼ圧倒的に、九十パーセント、その会社からの情報だけで埋め尽くすことができたのです。ですから、よくない価値観であれ何であれ、刷り込むことができたわけなのです。しかし、今はもうそれができないのです。情報共有のネットワークをすでに若い人はみんな持っているので、おかしなことはもうできないのです。
そうです、今、私がお伝えしたかったことは、そのような話です。今、スライドは七十四ページで、百六枚あるのです。でも、あと三十五分あるから、大丈夫です。大丈夫です。
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技術が進歩すると、どのようなものの定義が変わるという話が、三十一日の稲見先生の授業であります。二十四日の玉井先生のお話では、技術が進歩すると、技術的に容易にできることはもう創作ではないということで、創作という定義自体が変わるという話になります。これを聞きながら、共通の構造があるなと思ったのですが、技術が進歩すると、何が仕事であるかということが変わるわけなのです。「その仕事、する必要なかったよね」というような感じのことをがんばってやったとしても、それはもう仕事ではないわけなのです。技術が進歩したことによって、誰もが、人間、各社員というものが大きな情報の蓄えられたグループウェアを検索して、新しい情報をお互いに共有の記憶デバイスに追加して、を繰り返しているのです。しかもここのところはPCからではなくてもスマホからできるわけなので、例えば、営業の人が道を歩いている際、道を歩いているときはだめです、今のは撤回します、電車を待っている最中や、信号で立ち止まっている最中でも、検索して情報を得ることができるようになるわけです。そのような、共有の脳に常時結合している人間として仕事をしているわけです。その方が自分の仕事に有益だから、各社員が欲してそれを行うわけです。
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これは、考え方が逆なのですが、現象としては同じです。システムが情報を取っていくということは、怖いことだ、恐ろしいことだ、良くないことだという感じの雰囲気、そのような気持ちを持たれる方も多い一方で、先ほどまで僕が話してきた話は人間はどんどん自発的にシステムに情報を入れているわけなのです。システムが勝手にということではなく、能動的に情報を入れてやるのです。情報を入れた方が、自分もハッピー、会社の同僚もハッピー、より効率が良くなる、自分の仕事も効率が良くなるし、自分の生み出す価値の総量も増える、だからこそ、どんどんシステムに情報を入れていこうというようになっていっているわけなのです。
これは、ここだけ見ると、人間がシステムにどんどん情報を入れているという点でいうと同じなのです。人間は、実技があったら、情報をどんどん共有するのです。十七日の首藤先生の仮想通貨の話で、現金を仮想通貨に置き換えると、トレーサビリティが増えて、どこで何を買っているか分かるようになって、そのようなメリットがあるから、仮想通貨を普及させたいというインセンティブがあるのだという話がありました。仮想通貨の話はまた、自分とは縁遠い話かな、人ごとの話かなというように思っている方が多いと思うのですが、実は全くそうではありません。コンビニで買い物をすると、「Tポイントカード、お持ちですか」というようなことを聞かれるわけです。「持っています」と言ったらどうなるかというと、ポイントがもらえる代わりに情報が渡されるのです。ポイントカードを使うたびにポイントが付くということは、要するに、買った人には数パーセントのメリットがあるわけです。例えば最近だと、スイカなどでキャッスレスで払うと、コンビニで一パーセントや五パーセント安くなると言っています。そのような形で、メリットがある、そのメリットが見合うと思ったら、人間はどんどんと情報を入れていくわけなのです。
ちなみに、Tポイントカードは、この十一月六日時点で、集めた個人情報が百五十三企業に提供されているとTSUTAYAの公式ページで書いてあるので、もちろんTポイントカードを使われる方は、自分の情報がそのように百五十三社に提供されることによってマネタイズされて、そのマネタイズされたお金の一部として、自分がポイントを受け取っているという、そのような社会的なこのシステム、構造として動いているということをご承知かと思いますが、そのような状況になっています。人間は、利益があれば情報を差し出すのです。
これはまた、十月十日の太田先生の授業で、IT技術の発展によって情報伝達の効率が非常によくなる、これによって、情報、計画経済がなぜ失敗したかというと、情報収集のところが困難になって、その場、その時刻のデータを中央に集めることが困難だったからできなかったのではないか、失敗したのではないかというようにハイエクが言っているという話が授業の中であった。これに関しても、そのときに授業を聞きながら、「いや、違うな」と思っていたのです。なぜかというと、肌感として自分の周囲で、計画経済の方に寄っているかというと、むしろ企業単位で見るならば、より階層構造が解体される方向に世の中が動いているように感じるのです。
それはなぜなのかということを考えたのですが、現状のIT技術では、情報伝達能力は向上したのですが、情報を処理する能力の方は向上していないです。
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だから、例えば僕がここで話していて、動画を撮影して、もしこれを僕がこのあと、ユーチューブにアップロードしたとしますと、ユーチューブ上で、今この場にいない人でも、データでその授業を見ることができます。この授業を聴講することができるようになるわけなのです。そのように、一人が発信した情報を大勢の人に伝えるという方向は、非常に効率的な情報伝達ができるようになっています。
例えば会社で言うなら、会社の社長が自分のビジョンを何百人かいる社員たちに伝えるということは、とても容易になった。今、情報伝達技術と言っているのは、例えば、ラジオの時代にはすでにそのような感じのことが発生していたのです。一方で、では、三百人ぐらいの社員一人ひとりが日報を書いて、いろいろな自分の意見を言ったとして、その百件が社長一人のところに全部集まってきたとして、それを読んで理解して処理できるかというと、できないわけなのです。人間の処理能力は、まだ強化されていないのです。将来的にはされるべきだと僕は思っていますが、それはまだ、だいぶ先の話かと思っています。
では、そのような状況で、情報伝達は効率よくできるようになったのだけれども、情報を読み込んで判断するところが、まだ、人間がやらなければいけないという、ボトルネックが意思決定であるという時代に、何が起こるか。それは、意思決定の権限を現場に移譲するということです。会社全体の全体最適化、各部署のニーズや経営者としてどのようなビジョンを持っているかということを、現場の社員それぞれであっても理解できるようになってきた時代においては、情報を全部中央に集中して、そこで意思決定して下ろすのではなくて、生のデータに近い現場で判断していいというように、権限を委譲していくということが行われるわけなのです。
これが、現在の働き方の仕組みとして、大きく変わっている、変化している重要なポイントの一つです。階層的な構造、ヒエラルキー構造の組織というものが、どんどん取り壊されて、そのような形とは違う形として生まれ変わるのです。そのピラミッド構造、階層組織というものは、一体どのようなときに出てきたかというと、農耕が発達したときなのです。農耕が発達したときに、天文学者などからの情報を得て、暦をどうするかを決めて、では、こうこう、このようなタイミングになったときに稲をまきましょうという意思決定をする人はごく少数でよくて、かつその仕事は一般の人にはできなかったのです。
だから、何をやるか、いつやるかを決める層がいて、その情報を各地の広い地域に散らばっている、広い範囲の農民たちに、「じゃあ、こうこう、こういうタイミングで稲をまくんだよ」という情報を伝搬していく役割の人が間にいたわけです。この人たちは、決まった後のやることを、正確に伝搬していくことが仕事だでした。最終的には、その現地の畑を耕している人が、いつのタイミングで種を植えるかということは、言われたとおりのことを適切に、正確に実行することが求められていたわけです。その役割分担が、情報伝達がいまいちだったからという理由で、この役割分担が発生して、階層構造が生まれていったわけなのですが、情報通信技術が発達したことによって、「いや、でも、正確に情報を伝える仕事っていうのは、人間がやるよりコンピュータがやった方がいいね」となるわけなのです。
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最後の、やれと言われたことを正確に実行するということ、これは自動化技術が発展していくことによって、コンピュータがやるようになるわけです。そうすると、残るのはどこかというと、自分で情報を収集して、やることは何か、何をいつのタイミングでやるべきかを決定する層だけが残ります。このように、会社の中での「仕事」というものに求められるウエイトが徐々に変わってくるわけです。前なら大勢、言われたことをやる人がたくさんいないと回らなかった仕事が、もう、言われたとおり動く人がだんだんコンピュータに置き換わって、言われた情報をただ伝搬するだけの人というものがどんどんコンピュータに置き換わっていくことによって、残りの仕事は、やることを考える人、何をやるか、どうするかということを決める人となっているわけです。
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今、ここに少し参考文献として書いてある『ティール組織』という本があります。『ティール組織』は組織の構造をいくつかに分類した上で、技術の発展によってどのように変わってきたか、技術が発展して環境が変わると、組織の形も変わるのです。そのような状況なのです。初期、今言っていたようなピラミッド型の農業型組織というものは、順応型組織と呼ばれているのですが、これは成果に対して個人の寄与が不明確で、言われたとおりに動くことが評価される象徴なのです。
これが例えば工場的に、フォードがベルトコンベアで車を造るなど、そのようなことをし出した時代をイメージしていただくといいのですが、あの頃何が行われたかというと、科学的経営法と言いまして、各作業員、工員が何秒でねじを締めることができていたか計測して、あなたは生産性が高い、生産性が低いということを計測して、改善していこうということが行われたわけです。フレデリック・テイラーの科学的経営法です。
その時代は、トップが決めた基準で成果が計測されて、個々人が評価されるということが行われました。でも、それが仕事のタイプが変わってきて、何をやったらいいかを考える仕事は、成果の測り方が不明瞭なのです。成果が定量的に測れないのです。ねじを締めてくださいという仕事でしたらねじを一分間にいくつ締めることができたかということで計測できるのですが、新しいことを考えてください、やることを考えてください、何をやったらいいか考えてくださいというような仕事は、計測できないのです。
もう計測ができなくなってきたらどうなるかというと、各個人、各個人が自立的に、自分が良いと思う主観的な基準で動いていくしかなくなっていきます。これが多元型組織なのですが、そうすると、会社のビジョンというものに個々人が同じように基づくことが全くなく、個人が自分のビジョンで動く、それがその会社に所属している個人の間で、お互いポジティブな影響を与え合うことが良いのです。そのような形の組織に変わってくるわけなのです。
このときに、個々人がポジティブな影響を与え合うために何が必要かというと、「自分は、こうこう、こうするのがいいと思う」と、自分のビジョンや自分の持つ資質など、そのようなものをどんどん情報共有することが必要になります。
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情報共有することによって、このような多元型組織が実現可能になってきて、実際、実現可能になってきたことによって、実例などは、『ティール組織』の本を読んでいただければたくさん書いてあるので、ここでは紹介しないのですが、階層構造を廃したり、マネージャーを廃したり、アメーバ状になったり、そのようないろいろな形の組織が生まれてきています。だから、ピラミッドのような階層組織、組織というものはそのようなものだという考え方が、解体されつつあるわけです。
こうなってくると、百人百通りの働き方という言葉がありまして、価値観も人ぞれぞれ違うし、家庭の状況なども人それぞれ違うので、全員一律の働き方を強制することはおかしいのではないかという考え方です。九時に会社に来て、五時に帰るとか、残業で大抵七時ぐらいまで会社にいてという働き方を全社員がまず強制されると、当然のように、例えば、ある社員に子どもが生まれて、それまでやっていた働き方ができなくなったときには、「じゃあ、さようなら」ということになってしまいます。実際にそのようになってしまっていた会社はたくさんあるのですが、本当にそれでよかったのか、それでいいのか、今後もそれていいのかというと、良くないよね、という考え方をする人が増えてきているわけです。
ちなみに、サイボウズの場合はどうだったかというと、二〇〇五年に、子どもが生まれるという女性社員がいて、子どもが生まれるから「じゃあ、辞めてね」となるかというと、人が辞めることを何とかして、離職率を下げたいとまさに考えていたタイミングだったこともあって、何らかの方法で、その人が何とか働き続けられるような方法を考えましょうという雰囲気になって、結果できたことが、まず二〇〇五年に最長六年の育児休暇です。子どもが生まれてフルタイムの働きができなくなるけれども、でも、この会社を辞めるのはちょっと待って、六年間休んでもいいから、まず戻ってきてくださいと言い始めたわけなのです。
そうすると、実際子育てをしていくと、子育てに人生の百パーセントの時間を取られるわけではないのです。少し隙間時間があるのです。その隙間時間に、「あのプロジェクトをちょっと読んで進めて」など、そのようなことが現実的にはできるのではないかというような具体的な話がどんどん出てきました。それではどうしましょうというときに、これは要するにフルタイム的に、会社に来て、時間管理をされて働く働き方を矯正するのではなくて、もっと在宅や自宅などで、より短い時間や限られた時間で働く、そのような現実的な働き方を選択肢にし、それを個人が選択できるようにしましょうというようになってきたわけです。
これが、最初は二分割だったのだけれども、二分割してみると、また色々なニーズが明らかになって、では三分割にしましょうとなって、三分割してみると、もっといろいろなケースが出てきて、9分割になって、どんどん分割していった結果、2018年に、「いや、もう、これ、一人ひとり設定すればいいよね」となって、百人百通りの働き方ってやるようになりました。そのような、一人ひとりの働き方、適切な働き方というものは違うのだと、それを個々人が、自分はどうだということを発信していけば、それぞれの人にあった働き方ができるようになっていく考え方です。
一方で、その手の企業を非難する意図ではないですが、まさにおもしろい事例があります。「カネカ・転勤」で検索していただければ、たくさん情報にぶつかるのです。「今年の六月に夫が育休で復帰して二日目で、関西に転勤しろという命令が出て、引っ越したばかり、子どもが幼稚園に入る予定なのに」という発言が、ツイッターで世界に対して情報共有が行われた結果、大きな議論が起きたわけなのです。生後五か月の子どもを残して関西に転勤させられることは、これは良いことなのか、悪いことなのかという議論が発生したのです。六月六日にカネカ側はどのようなことを言ったかというと、「家庭の事情があるのは、個人それぞれみんな家庭の事情があるんだから、特定社員だけ特別扱いすることはできない。だから、この事項としては問題ではない」というようなプレスリリースを出したわけなのです。
これで、特に法学部の皆さん、他企業に入って、法務部入る可能性があるので、今から考えて欲しいのですが、雇用契約に、「転勤を命じることができる」と書いてあった場合、これは法的には問題がないのか、「特定の社員だけ特別扱いできない」のはそのとおりなのか、というような感じのことを、これはじっくり議論をするとおもしろい話題になるのですが、じっくり議論をする時間がないので、僕はここでは僕の価値観を話して進めたいと思うのです。
https://gyazo.com/9e663d6176d5c635a77c571959c38d51
ちなみにサイボウズの場合、どうしたかと言いますと、就業規則から、「配置転換または出向を命じられた従業員は正当な理由なく、これを拒むことができない」と書いてあった就業規則を変更して、削除するという手段に出ました。なぜかというと、スライドの方を見ていただくと分かるのですが、実際の仕事として「名古屋営業所を作るぞ。名古屋営業所に転勤して仕事したい人」、「しーん」、「誰もいないか」となるときに、誰かを指名して「じゃ、おまえ転勤しろ」と命じて行かせるということは、良くない文化だという考えがすでに社内に発生していたので、「じゃ、名古屋の営業所で働く人を、名古屋付近で採用すればいいよね」となったわけなのです。それで別に仕事上問題がなかったので、「じゃ、この就業規則、うちの会社で使うことないよね、」となり、「じゃ、もう、その就業規則、削った方がいいんじゃないの」となり、ルールが変更されたわけです。
話を戻すと、この件に関して、問題があるのか、ないのかなどに関して、僕の正直な、主観的なことを言いますと、特別扱いと言うけれども、それは特別扱いではなくないですか。
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みんな、人それぞれ違う状況を抱えているから、そのそれぞれの人に対して、そのニーズを満たすようなやり方でやらなければいけないという多様性を認める価値観の側からすると、「特別扱いはけしからん」と言っている人たちがぎゅっとまとまっている、こちらのこの状態がおかしいだけなのではないかというように思うのです。
平等、均質である、一様であるということを、良い言葉のように、暗黙のうちに前提にしがちですが、平等であることが幸福であるとは限らないのです。
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今、ここにリンゴが三つあるとします。社員が3人いるとします。社員でなくてもいいのですが、リンゴを分けましょうといったときに、三人いて、リンゴの人数と同じだから一つずつ分けるのが平等だとなります。これは確かに平等という意味ではそうかもしれないですが、個々人にニーズを聞いてみないで、一個ずつ分けるわけです。個々人のニーズを聞いてみると、Aさんは、「私、ダイエット中だから、リンゴは要らないわ」と言うかもしれないし、「え、リンゴ余ってるんだったら、もっと食べたいです」と言う人もいるかもしれません。個々人のニーズなのです。では、その個々人のニーズを聞いた上で、Aさんは要らないなら、その分をCさんにあげた方が、全員、全体としてハッピーです。幸せが増えるわけなのです。平等であることは、幸せに一致しないです。
個別の状況を無視し、一律に扱うということは、人間をブロイラーのように取り扱うようなイメージで持っていただくと良いのですが、それは平等かもしれないけれども、必ずしも幸福ではないわけなのです。幸福でない一律な、一様な、均質な、平等な状態が発生している状態で、何か変えていこうと思って一人特別扱いをした時点で、残りの人たちが、「こいつを特別扱いするのはけしからん」と言うわけなのです。みんなで平等に不幸になりたがるわけです。でもそれは、その人だけを特別扱いするのではなく、この人も、この人も、この人も、全部それぞれのニーズに合わせた特別扱いをする上で、それぞれの人が特別なのだから、そのような方向に変わっていくべきではないかとなります。
こういったときに、では、会社だとどのような規律を用いていくのでしょうか。「平等でなくていいから、皆、好き勝手にしていいんだ」となったら、それは良くないわけです。では、どのような基準を導入するかといったときに、公明正大の原則ということをサイボウズは導入しているわけです。これは何かというと、公に明らかにする。Cさんは、リンゴを二個食べていいのです。二個食べたいというニーズがあって、しかもリンゴは余っているのだから、これは食べていいのですが、私はリンゴを二個食べましたという情報は、共有されなければいけません。
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もしこのときに、CさんだけではなくDさんもいて、Dさんもリンゴを二個食べたかったけれども、「一個しかないリンゴをCさんが先に食べてちゃったので自分は食べられなかった」と言うと「ああ、じゃ、今度はDさんに譲りますね」という話になるわけです。情報を共有すればいいのです。誰かの不幸を引き起こした時点で、ではそれを改善していこう、みんなを平等にしようとするのではなくて、平等でない扱いをするけれども、平等でない扱いを、全部情報を共有する、それが公明正大なのです。公に、「自分は、リンゴ一個を食べました」ということを、もし後ろ暗いと思うならば、それは良くないことであるからやってはいけないものです。「自分は、リンゴが余っていたから一個もらいました」ということは悪くない、公に情報を処理できることだと思うならば、それはやって良いことだという価値観の切り替えになるわけです。
もう一つ重要なことがあります。
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Cさんがリンゴを食べた後で、Dさんが、「あ、僕も欲しかったのに」と言って、リンゴを部食べ損ねたわけです。なぜかというと、Dさんはここで、「自分もリンゴを欲しい」という情報共有をしていないからです。自分はどのようなニーズがあるのか、自分がどのようなことを良いと思っているのか、価値観はどうなのか、自分はどうしたいのかということを、自分から情報発信をしなければ、この恩恵は得られないわけなのです。価値観というものは、人それぞれ異なっています。それが当然だと思っているので、他人が、この人はこのような価値観があると、勝手に決めつけることはできないのです。ですから、自分から発信しなければいけません。
この話で、和光モデルの話に戻ってくるのですが、和光モデルの話は何だったかと言いますと、個別のニーズを発掘するためのプログラムの提出ということです。例えば、具体的な例でいうと、カジノなどをつくっているのです。では、年配のお年寄り全員を一律にカジノに連れて行ってよいかというと、全くよくないわけです。カジノに行きたいおじいさんもいるし、そうでないおじいさんもいるわけで、ゲートボールの方が好きな人もいるし、もしくは散歩コースを歩きながら写真を撮ることが好きな人もいるわけなのです。そのように、人それぞれやりたいことが異なっているので、百パーセントできないとしても、いろいろなプログラム、いろいろな企画を作って、「どれがあなたは好きですか、あなたが選んでいいんですよ」と言って、選ぶことができるようにする、それによって和光市は、計測できるデータとしては、要介護認定の人を減らすことができています。実際、具体的には、例えばカジノをやるなど、ここにいるお年寄りたちは、とても生き生きと、自分がしたいことをする人生を生きている感じがあるのです。これが、人間を一律扱いすることと、人間を多様な扱いをすることの切り替わりなのです。違いなのです。
こうなっていくと、いいと思うではないですか。皆さん、自分が一律扱いされる世界になって、大勢の人と一緒に同じような扱いをされ、ざあっと流し込まれ一括処理されるよりは、自分のやりたいことを発信して、それに合わせたことをやる世界が良いと当然思うわけです。そうなのですが、なぜ世の中がそのようになかなかなっていかないかというと、個別のニーズを聞いて、調整して、多様な扱いをするということのコストが高いから、負担が高いから、調整する人間の仕事が大変だからです。では、そのコミュニケーションのコストや、「こういうプログラムがあるから、どれを選びますか」など、そのようなプログラムを提示して、選ぶことができるような情報共有のコストというものを、技術によって下げることができたらどうなるでしょうか。
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それがまさに、サイボウズの100人100通りの働き方の管理方法についての記事が公開されて、ここにまさに書いてあるのですが、「私、給料、いくらいくら欲しいです」もしくは「私今、週五日働いているけど、別にやりたいことができたんで、来月から週四日に変えます」というようなことを、どのように表出するか、どのようにアウトプットするかというと、グループウェアに文字情報で書き込むのです。それを上司が見るわけです。やり取りの大部分が、ネット上の文字コミュニケーションで解決しているのです。よほど、「これ、口頭で話さないといけないな」ということが起こらない限り、全部ネット上で解決するので、そうすると、上司とある人が、「打ち合わせのメンバーを1時間、ミーティングを設定して」、「予定調整して」など、そのようなことをしないで、書いて、こちらの都合の時間が空いているときに返事して、こちらの時間が空いているときに返事してと、さささささっと終わるわけなのです。とても効率よく終わるわけなのです。オンライン上で必要な情報が集約できて、物理的に議論する必要がない状態を情報処理技術によって作り出すことによって、サイボウズは百人百通りの働き方というものを、実際に、現実に、実現しているわけなのです。
さて、では、終わりの方に入っていきます。残念ながら、レポートがもう一個あります。残念ながらあるのです。ここで話した内容を、実際に自分を通して考える力をつくってほしいと思いまして、二つ目のレポートを用意しました。
https://gyazo.com/c495cc934e59207ce9aa364d1626f5b7
制約というものは、実は自然が決めている物理的な制約と、人間が決めているポリシー制約があります。ポリシー制約という言葉は聞き慣れない言葉だと思いますが、この概念を知っておくと「あ、これ、ポリシー制約だな」ということが言えるようになって、非常に便利なのでいいです。このポリシー制約というルール、例えば、働き方のルールというものは、人間が決めたものであり、自然法則が決めたものではないです。ということは、これは変えることができるわけなのです。ルールというものは、どのように生まれてきたかというと、過去の人が、そのルールが作られたタイミングで、どのようなルールにしようかなどと議論をして、やり取りして、では、このようなルールにするとハッピーだから、このようなルールに決めておきましょうとやって決まった。例えば、このような問題があって、その問題解決のためにはこのようなルールがあった方がいいから、決めましょうと言って、合意して決めたものなのです。
そのルールは未来永劫、完璧に合意し続けるかというと、そうではなくて、周囲の環境が変わってくるので、環境が変わるとルールが環境にフィットしなくなるのです。今の状況に合わないなら、それは、過去のルールも議論によって作られたものだから、今のルールにフィットしないルールも、議論によって変えるべきなのです。「ルールだから維持しなくちゃいけない」という考え方はおかしくて、ルールというものは、そもそも議論によって作られるものです。特に、働き方のルールに関して言うと、非常に急速に環境が変化しているのです。「三十年前、電子メールには添付ファイルを付けられなかったのですよ」と言ったら、若い人は驚くかと思いきや、「そもそも電子メール使ってないよ」と言われることも最近あるのですが、このような速度で変化しているのです。
一方で、多くの会社が三十年以上ある。会社の中の決め事というものは、30年前の人が議論をして決めた仮のルールに過ぎないわけなのです。このポリシー制約をずっと使い続けることは合理的かと言いますとそうではなく、今の環境に合わない制約を変えたら、制約はなくして、今の最適な方法を選んだ方が、より効率的な仕事の仕方ができるわけなのです。学生の皆さんにアドバイスしたいこととしては、今後の人生を含めて、ポリシー制約だと気付いて、これを変えることができるのではないかと考えられる能力を身に付けてほしいのです。そこで、そこを鍛えるための課題をレポート課題として出すことにします。どのようなことかというと、皆さん、普通の日常会話をイメージしていただいて、その上で、「何々しなきゃいけない」、「何々したらだめなんだ」などというような感じのことが、会話の中でぽろっと出てくることがあると思うのです。それは本当に自然が決めた、逃れることのできない物理的な制約であるのか、それとも、人間が決めている制約なのかということを考えてほしいのです。
例えば、皆さんは塩澤先生にレポート課題を出さなければいけないのです。どのようなフォーマットでいつまでに出さなければいけないか、僕は知らないけれども、もしも、あなたが締め切りまでに出すことが困難であるならば、これはポリシー制約だから、「塩澤先生、これ、ちょっと、こうこう、こういう事情があって、その日には間に合わないですけど、三日後にだったら出せますけど、これで何とかなりませんか」と相談することができます。それを「うん」と言うかどうかということは、これは交渉なので分からないのだけれども、少なくとも、交渉によって変えていく余地があるということです。このようなポリシー制約を数件見つけてください、ということがレポート課題です。二、三件見つけてください。本当を言うと、実際に交渉して契約を変えるところまで、ぜひ体験していただきたいのだけれども、一週間でそれをやることは、さすがに無茶だと僕も分かるので、それは皆さんの今後の人生で、適宜やっていっていただければいいかと思います。
残り七分です。以上で、発表としては、ストーリーとしてはここまでなのですが、実は、僕の中にもこれを始める前にポリシー制約があって「発表のストーリーというものはつながっていないといけない」と思っていた。話したい内容はいくつかあるのだけれども、うまくつながらないと悩んでいたら、妻がさらっと「えっ、つながってないといけないの?」と、「わあ、ポリシー制約だった。確かにそうか」というわけで、ここから余談として、全くつながっていない話をします。とても話したかったことがあるのです。
稲見先生が、つい最近「DJIが主催するロボットコンテスト、ロボマスターの日本委員会の委員長になったよ」ということをフェイスブックで書かれていたのですが、このロボマスターというものは、非常におもしろい中国のロボットコンテストなのです。これは、ドローンで有名なDJIがやっているコンテストなのです。どうすれば技術を持っている人をヒーローにすることができるかということをとても真剣に考えていて、例えば試合が終わったタイミングでは、その試合のMVPがこの人たちですと、ぱあっと画面に出てくるのです。
https://gyazo.com/f096f0afcf27ff5885afd3e6d8ef9737https://gyazo.com/e36e6bdbefb71f321a02589d80890979
ロボットを操縦していた人がフォーカスされるだけでなく、ロボットの設計に関して重要な寄与をした人が、ここに並んで表示されているわけなのです。技術を持っている人にフォーカスして、このロボットコンテストを舞台にしたアニメーションが作られて、放映されているわけです。これによって、中国の小学生、中学生は、「わあ、技術ってかっこいい。ロボットコンテスト、かっこいい。僕も何か技術を勉強して、ロボットコンテストで、こういう活躍とかできるようになりたい」という純粋な、ピュアな気持ちを持つわけです。いい気持ちを持つわけです
このロボットコンテストの試合の合間、合間に、技術解説が出てくるのです。これはオムニホイールというものを使って、その四隅の重心を合わせるとうまく動けるというスライドなんですが、試合の合間の休憩時間や放送にがんがん入ってくるわけです。これはどのようなことかというと、ロボットを対戦した後、次の試合のときにはもう一回ロボットを指定位置に配置し直して、充電し直すなど、そのような諸々の時間があるわけなのですが、そこのところを、ロボットコンテストを見にきている若い人の勉強の時間に使っているわけなのです。自分が大きくなったら、大学生などになったら、ロボットコンテストに出て、自分も戦いたいという気持ちになっている中学生、高校生、小学生というものは、このような知識を得ることによって、自分の未来にはそのようなおもしろいことができるようになるのだという気持ちを持つわけです。
このキャッチフレーズは、本当に、まさにそのとおりだと思います。「ラーン・トゥ・ウィン、勝つために学ぶ」、このコンテストで勝つことをヒーロー、英雄として表現していることによって、学ぶことに対して非常に大きなインセンティブが発生していくわけなのです。これを見て、小学生、中学生などが、本屋で座り込んでロボットの本を読むなどするわけなのです。自発的に学ぶという力を非常につけていくわけなのです。そのようなサイクルがまさに回っているロボットコンテストです。
ちなみに、このロボットコンテストは、日本にいてもネット上で生中継で見られます。多分、稲見先生もツイッターに書くなどすると思うのですが、そのような情報を僕も発信していくつもりですし、ぜひ、見てみるとおもしろいのではないかと、そのようなことが起こりつつあるのだと聞いていただけるといいのではないかと思います。
本当に時間がないのですが、もう少し話させてください。
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日本は世界一、中国を軽視しているのです。これは何かというと、「どの国が世界経済をけん引しているか」ということを調査したデータなのですが、「アメリカがけん引している」と言っている人が、この九年間で増えているのは三つの国しかなくて、それは日本とアメリカとレバノンです。ちなみに、アメリカよりも日本の方が、「アメリカがけん引している」と思いこんでいます。日本は、アメリカをとても評価している国です。世界的に見ると、断トツにアメリカが世界経済をけん引していると思っています。一方、「中国がけん引している」と答えた人は、この九年間で、ほとんどの国で増えています。増えていない唯一の国は日本です。おもしろいことを本当にやっているので、注目するべきなのですが、日本は軽視し過ぎなのです。ですから、ぜひ注目してください。
最後の最後なのですが、「時間は金銭、効率は生命」という言葉は中国のキャッチフレーズでしたということで、今日はありがとうございました。時間はほぼ使い切ってしまいました。間に合いました。
https://gyazo.com/e918646c3a01fe2e7c120e608a33df4c
塩澤 ありがとうございます。ご質問を、どうぞ。
A 一律の扱いから多様の扱いへの変化ということは、とても良い言い回しだと思うのですが、その事例に出てきた和光市、それは和光市がポリシー制約を排除したということだと思うのですが、なぜそれが和光市にはできたのかということを、ご存じであれば教えてください。
西尾 和光市がその意思決定をするとき、すぐそばにいたわけではないので、僕の若干の憶測が混じるのですが、和光市の当時の市長さんは、お医者さんだったはずなのです。制約、今の状況を放置してはいけない、放置したときに悪化する被害というものが、他の人たちよりも恐らく予見できたのです。そうでない場合、予見できない場合、今を維持しようという働き、バイアスが強くなると思うのですが、将来の非常に悪化したイメージを持ったときに、ある方法によってそれを改善できるかもしれないとなったら、では自分に意思決定権がある場合、今、このようなシステムを破壊しておこうということになるだろうと僕は思います。多分、そうされたのではないかと、勝手に解釈しています。
A つまり、和光市長は知識があったから、それをやらなければいけないと考えて、実行したということですね。
西尾 そうです。
A もう一つ伺いたいのですが、和光市の事例を真似した自治体はあるのですか。
西尾 和光市の事例は、非常に良いモデルケースだというように、政府の側が情報収集して、各自治体に共有してと、今積極的にやっているところなので、現時点であるかは把握していないですが、恐らく今後、増えていくはずです。
A ありがとうございました。
塩澤 ありがとうございます。他にありますか。はい、どうぞ。
B 質問といいますか、確認なのです。実際に授業を聞いていて、分からないところを今、メモしていたのですが、スクラップボックスの該当ページに書けという指示があったのですが、その該当ページは、各スライドのことですか。
西尾 該当ページという制約は外します。例えば、スクラップボックスのページの一番下の方にまとめて書いてもらっても、それでも全く構わないです。多分、それを見たら、何を質問しているのか、僕は分かると思うので、制約として言う必要はなかったですね。
B 分かりました。ありがとうございます。
塩澤 他にありますか。大学の授業はポリシー制約だらけです。
西尾 はい、前から二番目の。
塩澤 ええ。どうぞ。
C おもしろい話をちょうだいしました。先生のキャッチフレーズで、「時間は金銭、時間は金、効率は生命」とありました。「時間は金銭」は強くぱっと入るのですが、「効率は生命」というロジックがよく分からないのです。少し詳しく教えていただきたいです。
西尾 僕の解釈になりますが、人生の時間は限られているのです。何十年かに限られているのです。効率の悪い人生を過ごすと、その人生の時間が、同じことをやっていれば、より多く消費されるわけです。より効率の良い時間の使い方をしないことが、生命に対する損失であるというようなイメージです。
C 分かりました。ありがとうございます。
塩澤 ありがとうございます。非常におもしろいお話を伺えて、学生にも市民の方々にも、非常に示唆をいただいたと思います。本当にありがとうございます。西尾先生、どうもありがとうございました。
(反訳範囲終了)