日報2022-01-14
技術話と仕事
なんかあまり技術的なことを日報に書けてない
技術的に解決しましたということがそんなに無い気がする
より良い設計、より良いコード、より良い組織など、界隈でふだん目にする技術語りはまあ興味はあるのだけれど、実際今開発している仕事においては、技術の詳細な話はそんなに本質的には関わってこない感じがしている
プロダクトを作る上であるべき道具をイメージする正しい意思決定こそが一番の課題に感じている
技術的なところは、まあ後からでも部分的にでも段階的にでもなんとでもなりそう
理想を言えば極限まで技術を追求することで生まれるプロダクトというのもあってほしいけど、技術的に0.1の改善をあらゆるところでやりましたというより、そもそも手付かずにしていたところをアプローチを変えたことでガッと20点新しい価値が生まれました、みたいなところはけっこうある感じがしている
もちろん良い技術を使うことで試行錯誤や不具合のコストが減ってより良いゴールを追求しやすくなるというのもあると思う
技術的改善しかやることがないというプロダクトではなく、まだ在り様そのものに満足していない余地があるプロダクトだからという事情が大きいかも
プロダクトの追求する機能や改善について挙げられる課題はいろいろあるけど、どうすべき?というのがはっきり見えている課題はとても簡単に思える。実装自体の難度はほとんど問題にならない(たぶん)
逆に実装が簡単でも、そうすべきであるのかどうかがはっきりしてないものというのがとても悩む
技術的には可能(ここではいわゆる不可能という意味ではなく、技術面だけなら見通しが立つからできるはずという文脈)だけど、どう提供すれば正しく合理的なデザインになるのか分からない、というケースがけっこうある
課題に対して解決するゴールの見え方も人によって違う
ゴール以前にそもそも何を問題にしているのか、という時点で認識が違っていることもある
それらを解決するのは技術的な観点の要求仕様だけでなく、世の中様々なプロダクトの思想の視点も必要になる
現状の要求比率、意思決定8:技術2くらいじゃないだろうか
いかに良い技術を使いこなすかが以前は大きい関心事だったけど、別にそこはこだわらず効率よく問題解決できればいいんじゃないかなとなってきてる
Front-End Lounge#3「公開!ガチ1on1」
https://www.youtube.com/watch?v=WUcvXqCbFIo
「昨今のフロントエンドはコモディティ化して方法論が確立してるので技術的に退屈」
「エンジニアのキャリア成長として新しい技術領域を開拓したいケースがある」
前項で書いたように技術的な課題感は薄くなっていてプロダクト志向になったりするのはまあ一般的にそういう情勢なのかも
作ってるプロダクト自体がコモディティ化を進めるものでもある
実際のところ他の会社の人はプロダクトをどういう気持ちで作ってるのかよく知らない
いずれはコンピューターサイエンス教育を受けた人たちに取って代わられる話
「医者や弁護士みたいに頭が良くて何年も勉強して資格を取るわけじゃないから(現状の)IT系は馬鹿じゃなきゃできるよ」ってNさんが言ってた回を思い出す
『ウロボロス・コード』
恐山が「パソコンの電源がつかない。壊れたかもしれない」と言い出し社員みんなで調べたところ、延長ケーブルのウロボロスにつないでいた。
https://pbs.twimg.com/media/FI-LvTYacAAEAWR.jpg
ARuFa恐山のspacesで、ウロボロス状になった延長コードの話から「無いアニメ『ウロボロス・コード』(2005年)」の話をしてたのが良かった
恐山:主人公と対になるキャラが全く同じ遺伝子を持つ
ARuFa:悪玉が全人類の遺伝子をひと繋ぎにしようとする野望を持つ
JSのArrayを足す行為
I have been writing Javascript since roughly 1997 but it still manages to occasionally do something that absolutely shocks me
https://pbs.twimg.com/media/FI2q0ddX0AcZS31.png
数日前に話題になってたやつ
フロントやってる人なら、暗黙の型変換が悪い、TypeScript使え、の2点で終わる話だけど、そのへん改めてちゃんと仕様をたどってまとめた記事がよかった
記事の最後にあるような「既存の挙動を変える方法を3つ書きなさい」というのが中間テストで出てきそう
それはそうという感覚
こうしてまとめてみると、それはそうという基本的な話ばかりに見える。よく出来たプログラムを読んだときに、そう書くのは当たり前だろうというコードばかりに見える状況に似ている。正解だけで構築されたように見えるそれをゼロから書くことは、完成形から想像するよりも遥かに難しい。
いい話はあたり前のことしか言ってない、という体験はよくあるのだけれど、その感覚の説明が良かった
文章にしろコードにしろ絵にしろ、正解を見れば当たり前じゃんと思うのに、無からそれらを想起するのは難しい
速報の訃報
速報で訃報のニュースが流れても、実際に亡くなったのは数日前だと、リアルタイムなんだけどリアルタイムじゃないというのがどうも違和感ある
戦争が終結していましたとか、太陽が爆発していましたとかみたいなイメージ
最近わりと亡くなってから日を置いて発表するケースが多い気がするけど、自分が知らないだけで昔からそうだったりするのか
事故ではなく老衰のように予定されている死の場合はちゃんと段取り整えてから発表なのか