だれだって最適の健闘をしたいはず
ログインしようとして、入力した後にTABを押してEnterするとアカウント作成にとぶ悪いUIの例をご覧ください https://gyazo.com/8aad3568a74d2e92a2608e7d9e2a433f
他にも
画面が異様に崩れてたり
知りたい情報をいくら回遊してもたどり着けなかったり
探そうと思えば最悪のUIやデザインはもっとみつけられそう
役所とかに多いですね
しかし、そういう事態を、わざと作ろうとする人は、100人に1人もいないはず
いたとしても、それはその人にとっての何らかの利とかがあるはず
頭が悪かったり、あるいは利権を吸おうとしたり、ルールに縛られすぎていたり
この状況をカウントするなら、100人中99人が適切なデザインする能力を持ってない気がする
そういう状況があるだけで、
人を不便の渦に陥れることが第一義である悪魔のような奴はいないはず
役所とかで悪いデザインに遭遇するが、役所側の理屈がある
利用者は怒っていい(指摘すべき)と思う
それでも、向こうだって局所最適の結果そうなってしまったということぐらいはおしはかれる
擁護ではなく、想像ができると言っているだけ
純粋にわざと最悪のUIを作りたい人は多分いない
つまり、悪いデザイン、UIとかが発生するときに、
直接的な人間の意図によるものではない
間接的であったり、直接的であったとしても、別の理、利を目的として発生している
という考え方が、デザインを考える上でかなり原則としてある気がする と思うと、最悪のUIにぶちあたったときは、
その発生原因
作った人が、それを発生させてしまった理由
作った人の(間接的な)利
を想像するのは、デザインを学ぶ上でいいことだな、と思った
しかし、たとえばweb画面であると、html,css,js等の理屈である場合もあるので、
デザインの不備に気づいた人が、その原因を直ちに理解できるとは限らない、というのはあるな
例えば冒頭のログイン画面は、画面を作った後に、sign upへのリンクを作ったのだろう
あるいは、英語を日本語に訳したときに発生したのかもしれない
必要な機能を順番にスタックしてつけていくと、悪い時間遷移が発生するのかもしれない
「最適の健闘を」と言うフレーズはスカイ・クロラで見たような気がする