記号としての写真
記号としての写真
写真は、それが描写するものに似ていると認識されているが、
パースは、写真は類像的かつ指標的であると記している:‘写真、とくにインスタント写真はまさに啓発的である。
というのは、ある観点からは、それらは表現しているものに正確に似ていることを知っているからである。
しかし、この相似性は、写真が物理的に逐一、強制的に自然と対応させられているという環境のもとで作成されていることによるためである。その観点からは、写真は物理的な接続を有している記号クラス[指標的クラス]に属している’(Peirce 1931-58, 2.281; 5.554も参照のこと)。この意味では、写真の像は感光乳剤の上の光の作用の指標であり、全ての未編集の写真や映画の像は指標的である(実際は、構図、ピント合せ、現像など各種の操作から成るが)。
当然そのような像は、それが描写するものに‘似ており’、写真や映画の画像の‘真の力’は‘類像的意味作用にある’ことを示唆している(Deacon et al. 1999, 188)。しかし、デジタル画像技術が写真画像の指標性を次第に侵食しているが,解釈者にそれらが‘現実’の‘客観的な’記録と思わせるのは、媒体が持っている指標性であると言うことができる。パースは、‘写真は、対象と光学的に接続されているということが、その外観が現実に対応している証拠である’と認めている(Peirce 1931-58, 4.447