機械論的自然観
the mechanistic view of nature
著者 
ルネ・デカルト
「機械論的自然観」デカルト
一言でいえば、文字通りに自然を「機械」であると観ることである。
ここで言う機械をコンピュータ的に捉えると、意味がかわってくる。
かつての機械はもっと論理式的で、動作の説明可能なもの。
一切の外的自然は、すべて「形」「大きさ」「運動」だけをもった、
一様な幾何学的「延長」 (extensa) に還元され、
この量的延長を切り刻んだ粒子の動きによってすべては説明される。
当然そこから質的なものは排除され、生命的なもの意識的なものはこの粒子の動きに帰される。
自然を認識する人間の側には「思惟」 (cogitatio)というものがある
デカルトの有名な「我思う、ゆえに我在り」 (cogito ergo sum) の言葉のように、
自然の外に出て、自然をもっぱら操作し統御するものとなる。
「機械論的自然観」のパラダイム 
デカルトのつくり上げた近代科学のパラダイムは、
この「思惟」と「延長」の二元論に基礎を置いている。
そこからどのようなことが起こったかと云えば、まず自然の機械化、
つまりすべての自然の「死物化」がある。
そして自然を認識する人間自身は、自然の外に立ってこれを分析するという人間の「外物化」がある。
そしてさらに自然から、自らの創発的発展、つまり自律的な自己形成性をまったく奪うことになった。
最後に自然は機械としてその部品、つまりそれをつくっている要素の確認に力を注ぎ、
すべてをその要素に還元し てみる「要素還元主義」に陥っていく。
要素が確定されなければ、それらの間の関係もないわけだ から、
この要素探究は疑いもなく重要で、この点ではデカルトの「機械論」は力を発揮してきた。