意識はどこから生まれてくるのか?
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✅意識とは何か? The hidden spling
原題The hidden spling・A Journey to the Source of Consciousness
Consciousness =意識
隠れた泉 『意識の源泉』を探る旅路 が意訳かな。
普通に考えると隠された泉だけど、恣意的ではないから
随伴性
訳註:意識研究の主流の見解は、
意識を脳の活動「随伴現象」と見做しており、
脳の活動には何の影響も及ぼしていない
(「何もしていない」)との立場をとっていることを踏まえての言葉。
意識は知性と混同されてはならない。
痛みが何であるかについて内省することなく痛みを感じることは完全に可能であり、
同様に、食べたいという衝動、空腹の感じは、生の困窮についての知的理解を意味しない。
意識は、
その基本的な形、つまり生を感じることにおいては、驚くほど単純な機能である。
考察
系列的情報について、感じることができるのが人間?これだと、脳機能がほぼ同じでも、複雑性への対処が可能かという処理能力の問題だけで、霊長類との差別化になる。
虚構の認知は単に感受することだけであるのかも。
物理的な事実以外に感受を持つこと、
あらゆる事象から、ただ感じることが人間的マスターアルゴリズムでは?
ともすると、
感受=認知した事象を統計的属性にふりわけること。ふりわけおやかた
差分を知覚するアルゴリズム自体を差分として、認識している。
フィードバックループ
並列処理特有の処理機能が影響してるかも?センシティブでアルゴリズムを知覚してる可能性はある。センシティブが統計点の選択で反応が出力するベクトル的なものなら
記憶でもなく、処理機能でもなく、
データでもなく、感覚器自体でもないなら、感じることはフィードバックループそのものであり、それが意識の正体かな
ともすると、感じることそのものの処理がゆっくりになると時間と共に感覚が無限になるのが死の瞬間かもしれない
認知神経科学の発達
脳のプロセスが異なる精神状態を生み出しているのかを正確に特定することができる。
これらの技術は心の器官の内部の働きをはっきりと可視化し、心理学の範囲を刺激と反応に限定することなく、
行動主義者を最も夢中にさせた経験主義者〔/実証主義者〕の夢を実現するものです
機能的磁気共鳴画像(fMRI)
特定の精神的作業を遂行しているときの脳のさまざまな部分の血行動態を測定したり、
陽電子放出断層撮影(PET)を用いて、
単一の神経伝達物質系の代謝活動の違いを測定したりするなど、より多くのツールを利用できるようになりました。
拡散テンソルトラクトグラフィ
異なる脳領域間の詳細な機能的解剖学的接続性を可視化することもできます。
光遺伝学
個々の記憶痕跡を構成するニューロンの回路が、認知作業中に光っているのを見たり、活性化させることができる。
神経心理学はこころを排除している
古典的な神経学と同様に、完全に客観的であることを目指している、その進歩は、まさにここに由来している。
しかし、人間は、まず第一に能動的であり、客体ではなく主体である。
排除されているのはまさにこの主体、生きている「わたし」である。神経心理学は立派なものだが、こころを排除している。経験し、活動する、生きている「わたし」を排除しているのである。
意識の性質は、科学界の最も難しいテーマかもしれません。
このテーマが重要なのは、あなたはあなたの意識であるからです。
何世紀にもわたって思想家たちを悩ませてきた二つの謎のために、これはいまだに議論の的でもあります。
その一つは、心と体がどのように関係しているかという問題です。
あるいは、唯物論的な考え方をする人にとっては(ほとんどの神経科学者がそうですが)、
脳が心をどのように生み出すのかという問題でもあります。これは「心身問題」と呼ばれています。
物理的な脳はどのようにしてあなたの現象的な経験を生み出すのでしょうか?
同じように不思議なのは、意識と呼ばれる非物理的なものが、
どのようにして物理的な身体を制御しているのかということです。
心における2つの謎
計面上学
哲学者はこの問題を「形而上学」と呼ぶ分野に割り当ててきたが、
これは、科学的に解決できるとは考えていないということを含んだ言い方。
科学は経験的〔実証的〕empiricalな方法に依存しており、
「経験的〔/実証的〕」とは「感覚的な証拠から得られる」ことを意味するから。
心は感覚的に観察することができないし、見ることも触れることもできない。
目に見えず、形はなく、主体であって対象ではない。
他者の心という問題
心が存在しているかをどうしたら見分けることができるのかという問題が、第二の謎。
外から見て心について何を知ることができるのかという問題、
それは「他者の心という問題the problem of other minds」と呼ばれています。
簡単に言えば、心が主観的であるなら、自分の心を観察することしかできません。
では、他の人(または生き物や機械)が心を持っているかどうかを知るには、どうしたらいいのか?
心一般の働きを支配する客観的な法則を、どうしたら見極めることができるか?
科学は実験に信頼をおく
科学の利点の一つは、実験的方法が究極の真理を目指すのではなく、
むしろ最善の推測と記述されるようなものを目指しているということです。
観察から出発して、観察された現象を妥当な形で説明するような仮説を立てるのです。
そして、その仮説から予測を立てます。これが実験である。
たとえば
「仮説Xが正しければ、YをしたときにZが起こるはずだ」
(ただし、他の仮説の下ではZが起こらないという合理的な可能性があるという条件がつく)
もしZが起こらなければ、仮説Xは偽であると推論され、新しい観測に従って修正される。
そして、実験プロセスが再び開始され、反証可能で確証されるような予測がでてくるまで、実験が行われる。
予測が確証されると、私たちはそれに矛盾する観測がなされない限り、その仮説を暫定的に真だとみなす。
このようにして、科学においては、確実性を期待するのではなく、不確実性を減らすことだけを目指している。
中脳皮質─中脳辺縁系ドーパミン回路が実際に夢を見る主要な駆動因
神経科学がフロイトに謝罪する必要があることはすぐに明らかになりました。
脳の中で「願望」を司る部分があるとすれば、
それは中脳皮質─中脳辺縁系ドーパミン回路です。この回路は、まったく動機的に中立ではありません。
この回路を脳の「報酬reward」システムと呼んでいます。
ケント・ベリッジはこれを「不足wanting」系と呼んでいます。
ヤーク・パンクセップはそれをSEEKINGシステムと呼び、食料探しの機能における役割を強調しています
これは「動物が示すことのできる最も精力的な探索行動や検索行動」を司る脳回路です。
また、夢見を駆動する回路でもあります
FMRIで観察すると
「願望に満ちた」SEEKING回路が、夢を見ている睡眠中にクリスマスツリーのように点灯し、
この間、抑制性の前頭前野が本質的にオフになっていることがありありと示されています。
フロイトに示したこととは、
精神生活における主要な原動力のいくつかは、完全に主観的であると同時に、無意識的でもあるということ。
こうした力を体系的に調査した結果、
フロイトは第三の基本的な主張にたどり着くことになりました。
最終的に感じの根底にあるのは身体的欲求である、と結論づけたのです。
つまり、人間の精神生活は、動物のそれに劣らず、
生存と生殖という生物学的要請によって駆動されているというわけです。
これらの要請は、フロイトにとって、感じる心と物質的な体との間につながりを提供するものでした。
心理学と生理学の両立を可能にさせるのは、
機能という共通の基盤の上でしかない、というのがフロイトの主張でした。
考察
やはり内臓の感覚を感じるセンシティビティ(感じ)を脳から得ているのがどうやら自我らしい。
考察通りといった感じ。ともすると、内観により
自己を(感じ)ること自体を鍛えることが、自己内在性やバイアスを防ぐことに繋がるかもしれない。
マインドフルネスとはそういうことか?感じの拡大が自己の拡大と同一性を生むのでは。
生命感 生きていることを感じる、意識と無意識の境界性知覚
通常シームレスなものだから?
イド
イドは、外界から切り離されており、それ自身の知覚世界を有している。
イドは、その内部の変化を、特に欲動的な欲求の緊張度の揺れの変化を探知する。
そして、これらの変化が、 快不快の系列における感じ feeling として意識される。
これらの知覚が、どのような手段で、どの ような感覚終末器官の助けを借りて、生じるのかを述べることは難しい。
しかし、自己知覚、つまり全身内部感覚の感じと快・不快の感じが、
イドにおける出来事の経過を専制的な力で支配していることは確立された事実である。イドは有無を言わせぬ快原理に従うのである。
フロイトが、「イド」は無意識であるという結論に達していた。
これは、心がどのように機能するかに関するフロイトの最も基本的な概念の一つでした。
そして、「身体とのつながりの結果として精神に求められる仕事」を測定する脳の部分が、
つまり、フロイトが「欲動」と呼び、パンクセップが(願 望に満ちたSEEKIGNシステムの引き金を引く)
「ホメオスタシス的感情」と呼んだものを生み出す部分である。
フロイトは自我(皮質)とイド(脳幹)の実質的な位置関係を逆に考えていたらしい。
実際には、知覚する自我は無意識的で、感じるイドは意識的であった。
つまり40年代まで、フロイト以前は意識的と精神的は同意義で、すべての精神活動が意識的だと考えられていた
内観の意義
フロ イトが夢の場合に推論したように、作話は動機づけられているのです。
作話性健忘症の精神プロセスと は、願望に満ちたものです。
しかし、この事実が明らかになるのは、
精神分析家が行うように 情動的な文脈や(S氏だけが経験した) 個人的な意味を考慮に入れたときだけです。
これは、神経心理 学者が完全に客観的であることを目指しているときに、
さきほど説明した一人称的な観察の視点から、
作話のメカニズムについても新しいことが見えてくる。
作話は戦略的検索と情報源のモニタリングの欠陥だけが原因で起こるのではなく、
子どもの記憶の働き方と同じように、
*より情動的に媒介された形の想起を解放することが原因でも起 こる
意味不明
考察
内観の意義については以下のことが言える
内観や経験は主観的であるが、それが完全になんの証拠にもならないということはない。
主観的視点に含まれるバイアスや規則性を客観視することはできるし、
意識はどこにあるのか?
意識は脳の大脳皮質の中で発生するなら。
大脳皮質が存在しないと意識は消えるはず。
しかしながら、水無脳症の子どもでそのようなことは起こっていない。
行動面での証拠がむしろ、昏睡状態でもなければ、植物状態でもない。
意識の大脳皮質説は否定されるべきか?
一つの考えられる異論は、これらの子どもたちの大脳皮質は、外科的に取り除かれているわけではないというもの。
そうした処置を「除皮質」と言うが、
そうした処置をした犬や猫やラットなどの他の哺乳類の新生児では、
客観的な行動基準では、意識は保たれているという結果だった。
こうした動物の術後の行動は、どう定義しても「昏睡状態」や「植物状態」と記述することはできない
経験としての意識
経験とは
心に関するこの哲学的な考えは、初期の神経学者が追随する地図となった。
「経験主義」ヒューム かつての理論 科学的経験則の思想的土台
心は白紙の状態から始まり、感覚的な振動が残した印象から、すべての特異的な特性を獲得する、と理論化した。
その印象は、さまざまな 種類の規則的な結合によって互いに連合され、物体の記憶イメージを生成するようになると考えられ、
それが後に、より抽象的な観念の基本的な構成要素となりる。
その後の感覚的な振動は、こ れらの組み立てられたイメージを刺激して意識の前面に送り出しますから、
私たちが経験しているのは 生の感覚ではなく、むしろ世界について私たちが学んできたことだ、となるわけであった。
観念が外部からの刺激に反応して意識的になる仕方は、統覚と呼ばれました
(大まかには、過去の経 験のレンズを通して現在を知覚することを意味します)。
思考に使われる精神的イメージのような認知プロセスには、ほぼ同じプロセスが逆向きに含まれると言われていました。
つまり、内部で記憶イメージの 活性化が生じて、(外部で生じたそれよりも淡く) 適切に再配置されるというわけです。
「目覚めている状態としての意識」と「経験としての意識」という概念。
この観点からすると、
第一の意味での意識
目覚めている状態としての意識は、
第二の意味での意識
この二つの意味は、
意識の量的な「レベル」と質的な「内容」という、神経学の従来の区別と一致する。
したがって、除皮質された動物や水無脳症の子どもたちは、目覚めているが、その経験には内容 がないということが起こりうる。
目を覚ましていて反応をするという行動的な意味において意識的であることは、
現象学的な意味において意識を持つこと、すなわち、
経験の主体であることとはまったく違うと仮定することで、
大脳皮質が「経験としての意識」の座だ、との仮説を維持することができる…
盲視の意味すること
症例TNTNは完全に盲目で、
意識的な視覚経験をまったく欠いているにもかかわらず、歩く先に置かれていた障害物を巧みに回避しました。
その後で質問されると、TNは自分が何かを避けているという考えはなかった、と報告しています。
この驚くべき能力は、後頭皮質がないにもかかわらず、視神経から脳幹の上丘への経路がそのまま残っていたので可能になったものです。
盲視の存在は、視覚的認知の意識が脳幹ではなく大脳皮質で生じているはずだ、ということ暗に示すものと受け取られてきました。
脳幹は、カメラと同じように非意識なやり方で視覚情報を処理する自律神経の機械だというわけです。
この原理は他の感覚にも当てはまります。
それぞれの感覚は、特定の大脳皮質の意識領域に関わりますが、
(嗅覚を除く)各感覚は、無意識である脳幹の上丘にも情報を 伝達しています
知覚されないものを意識しない知覚 学習されるものを意識しない知覚が存在する
記憶イメージ(現在では「表象」と呼ばれています)として解釈される「精神」は、
本来、 意識的なものではないというのが、
現在の認知科学で一般的に受け入れられている見解です。
意識の 「内容」(経験としての意識)を生み出す脳の部分である大脳皮質は、
意識的な経験がなくてもまったく同じことができる。
しかし、もしそうだとしたら、
その無意識的な機能を精神的なものにしているのは何なのか?
精神の器官とされる大脳皮質は、
ここで、第3章の締めくくりとして書いた、大きな疑問へ戻ることになります。
つまり、大脳皮質が 私たちの意識の発生場所でないとしたら、意識はどこから来ているのでしょう?
さらに言えば、
「瞬間瞬間の心理的な生」のほとんどが意識的な経験なしに行われているとしたら、
なぜ普段は意識的な経験を伴う しょう?
これらの情報処理すべてが非意識的に行われないのは、なぜなのでしょう?
考察
知的機能が随意的情動からくる高次機能だとすると、
意識的恋愛で人類が、形質と価値観を重視するのは、高次脳機能が生存のための文脈的処理関数だから
食う目的以外で積極的に殺し合うのは文化形成を行う種のみか?
アルゴリズムに対する集団ゲームと自然選択
考察
ADHDの開きやすいと言うメカニズムと科学的な講義及び絶望への移行はドーパミンの手段と言う意味で意味的に似ている
つまり飽きると言う行動にはあきらめる講義の停止と同じメカニズムが働いている?
感じ
感じは、私たちのような生き物に必要なことをさせる要求の尺度でもある。
制御理論の専門用語で言えば、血液ガスの不均衡、
体温の低下、養育者の不在、天敵の接近は「誤差信号」であり、
それらが生み出す行動はその誤差を正すことを意図している。
満足などによって感情が解消されることは、誤差がうまく正されたことを意味し、
その後は感情は意識から消えていくことになる。
マインド 私たちは再び、
精神分析家には妙に馴染みのある領域へと足を踏み入れています。
フロイトが「欲動」を
「身体とのつながりの結果として精神に求められる仕事の尺度」と定義した
同時に感じることはできない。
一度に実行できることの選択が必要。
これは文脈に基づいて行われる。
優先順位は、
欲求の相対的強さ(誤差信号の大きさ)と、
現在の状況による機会の範囲との関係で定される。
最も重要なのは、欲求を感じられたときに、
欲求があなたの随意的な行動を支配することだ。
「随意的」とはどういう意味でしょうか?
それは「自動的」の反対を意味します。
感情の最も基本的な特徴である「価値」
自分の行動に感じられる結果に基づいて何をすべきか、
何をすべきでないかを決定する。これが感情の法則です。
感情に導かれた随意的な行動は、
不随意な行動よりも、非常に大きな適応上の優位性を与える。
生物学的に考える感じ
自然淘汰がこれらの生存メカニズムを決定したのですが、
感じが進化すると、つまり複雑な生物である私たちが自分の状態を登録するという独自の能力を持つようになった。それが主観的な存在です。
進化の中で最初に現れたものでもある
「意識の夜明け」 には、
価値づけられた身体的な感覚以上に精巧なものは含まれていなかったと考える
ここで示 したいのは、
人間の情動はこれと同型のものが複雑になったものであるということです。
人間の情動も 結局のところ「誤差」信号であり、
生物学的に好ましい状態からの逸脱を登録するもので、
感情の分類
現在の神経心理学には、
一般に合意された感情分類はなく、
多くは身体的感情と情動的感情を区別しているが、
自然界にはそのような明確な区分は存在しない。
ヤーク・パンクセップの分類法
彼の実験の目的は、
脳の構造や回路が、種を超えて。
情動的感情に関しては、七つの情動的感情がすべての霊長類だけでなく、
全哺乳類において、
同じ脳構造と化学物質を刺激することで、確実に再現できることが判明した。
哺乳類が鳥類から分離したのが約二億年前なので、それだけ古い情動ということ。
人間及び哺乳類における、
基本的な情動の構成要素である、七種に絞って説明する。
私たちの無数の喜びや悲しみは全部、
このシステムが互いに混ぜ合わされたり、
高次の認知プロセスと融合したりして、
出力されたもののように見える
目立った反対意見
リサ・フェルドマン
主に方法論の違いに起因。
人間の自己申告による感情に焦点を当て、
人および文化が感じを説明するには、
大きなばらつきがあることを発見した。
しかし、社会的に構築された表面下に、
自然な形の基 本情動が潜んでいるという事実を反証するものではない。
経験と学習による情動機能の補完
反射や本能では
生存や生殖を成功させる、
予測不可能な状況や環境に十分に対応することはできない。
そこで、人間は経験から学ぶことで、
生まれつきの反応を適応的に補う。
通常それは学習によって十分に条件付けられているので、「本能的」とは認識できない。
それでも、本能と反射は絶えず背後に存在する。精神分析 の理論全体は、この洞察に基づいている。
明示的な意図の背後には、
暗黙の本能的傾向を常に見ることができる。
高次脳機能は内部の古い脳を斬新的に刷新していった結果である。
意識や表情、心理機能に物理的位置関係は存在しないが、脳の、構造と機能には物理的位置関係と、進化の時間軸が存在する。
そして心は物理的になる
意識の客観的な生理学になぜ主観的で現象的な感じが伴うのか。
科学者たちは、二組のデータの間にこのような規則的な相関関係を観察すると、
その根底にある単一の原因を探します。
そのため、意識 の生理学的側面と心理学的側面の間の規則的な結合を理解するためには、より深く掘り下げる必要があり、
心理学や生理学という学問分野の制約を超える必要がある。
この場合、私たちが求める答えは、
エントロピーの物理学の中に見出すことになります。
自由エネルギー原理
カール・フリストンの提唱する神経細胞の処理を説明する理論
端的に言うと、生物は結晶の成長(つまり物理・熱力学的な)
といった、
「自己組織化」システムを形成したのと同じプロセスの複雑系を経て出現したに違いないと説明します
そこには共通したメカニズムがあるらです。
このメカニズムは、「自由エネルギーの最小化」 である、と彼は言います。
すべての自己組織化システムには、存在し続けるという基本的な課題を共通して持っている
フリストンは、
自由エネルギーを最小化することでこの課題は達成されると考えています。
結晶、細胞、脳はこの保存のメカニズムがこの順で複雑さを増したものだと彼は言います。
物理的な平衡はつまり熱力学的にも平衡を示すので、
あとは分かるな?
複雑系における定常化は動的になる。
つまり、平衡の概念は相対的である。
光は速度的に平衡なのでは
本書における 感じは、ホメオスタシスの意識レベルでの現象形態だと推論
情動には恒常性があり、恒常性は熱力学で説明可能なので、
意識は物理的な現象を示すというのがソームズの推論。
妥当なように思える。
脳において、実は覚醒状態の方が脳波のエントロピーが高いつまり乱雑であり、
確率的
非覚醒状態の方が、実は巨視的な情報量は少なくなる。
生物(システム)はエントロピーに抗う。
システムの平均情報量がそのシステムのエントロピーである。
↓
生物(システム)は処理する情報を最小にしなくてはならない。
言い換えれば、予期する情報を最小にしなくてはならない。
ここから生物進化につながってくる
展開していく出来事に関連した自分の生物学的状態について、質問(予期)を投げかける。
進化の生物学的地位にとどまることが、種のレベルでは恒常性のすべて
自己組織化
ウィーバーのフィードバック。
生物のホメオスタシスはある意味でフィードバックであり。
現在の自分の状態 基準からどれだけ逸脱したかということになる
自己組織化≒生物という概念の歴史
イマニュエル・カント 『判断力批判』
カントは、生物には内来的な 「目的」と「意図」があると主張しましたが、
彼によれば、生物を構成するメカニズムが結末 〔目的〕と手段の両方を同時に持っている場合にのみ真。
このような「目的論的実体」(内来的な目的と意図を持つ実体)
は、意図的に行動するに違いない、とカントは述べています。
目的論的存在がどのようにして生まれるかを科学の力では説明できない、とカントは信じていました。
ダーウィンが自然淘汰
ダーウィンが自然淘汰を発見しましたご存じのように、
自然淘汰は、生存と生殖という内 来的な目的と意図を生み出します。
生存と生殖はどちらも自己組織化の現れであることがわかりまし た。
そして、ダーウィンの洞察により、目的を持った存在の起源と構成に関する問題は、
科学にとっ て扱いやすいものとなりました。あとは細部を詰めていくだけとなったのです。
「サイバネティックス」
数学者のノーバート・ウィーナーが、
シャノンの情報の理解にフィードバックという概念を加えた。
ウィーナーによれば、システムは自分の行動の結果についてフィードバックを受け取ることで、
その目標「基準状態」を達成することができます。フィードバックには、誤差信号が含まれる。
誤差信号を利用してシステムの行動を調整し、軌道を維持することができる。
ホメオスタシスは、より一般的なサイバネティック原理の特定のケースであることがわかった。
つまり、ホメオスタシスは一種のネガティヴ・フィードバック。
このフィードバックの概念を、
先に紹介した統計物理学と組み合わせることで、
どのように自己組織化が自然のうちに展開するのかを明らかにしました。
アシュビーは、多くの複雑な力学的システムが、
ある定点に向かって自動的に進化することを示し、この定常点を、
周辺を取り囲んでいるさまざまな状態からなる「盆地」の中の「アトラクター」と記述した。
そのようなシステムがさらに進化すると、限定された状態を占めるようになっていく。
恒常性を統計学で解明する
フリストンのシミュレートした原始スープでは、
サブシステムの間にその可能性 [限定された状態を占める傾向〕を作った後、
それらの行動が三つの段階で発展するのを観察しました。
1)近距離のパラメータを設定すると、たくさんの点はあちこちに飛び散った。
(2)他のパラメータを設定すると、たくさんの点は安定した結晶のような構造に合体した。
3)さらに他のパラメータを設定すると、たくさんの点はより複雑な挙動を示した。
合体した後、落ち着きなく互いにせめぎあい、ダイナミックな構造の中で特定の位置をとった。
サブシステムが周囲の環境から分離した後、同心円状の層構造を形成し、
それぞれが内側のコアと外側の表面を持ち、
さらに二つのサブレイヤーに分割されるという複雑な力学的構造が現れる(図1参照)。
分割された表面の方のサブレイヤーは、内側のコアと周囲の環境との間で、
それぞれ、非常に興味 深いパターンの相互作用を示す。
外側のサブレイヤーの状態は、外部環境の状態に左右され、
それが今度は内部サブシステムの状態にも影響を 与えるが、この影響は相反的なものではない
(言い換えれば、コアの内部構成要素は外側のサブレイヤーには何の影響も与えない)。
同様に、内側のサブレイヤーの状態は、内側のコアの 状態から因果的に影響を受け、
それが今度は外部 環境の状態にも影響を与えますが、
その影響のラ インはまたしても相反的なものではありません。
このような因果的依存関係の配置が、マルコフブラケットとして知られるものの特性を定義する。
マルコフブランケット
「マルコフブランケット」とは、二組の状態を互いに分離する統計学的な概念。
そのような編成が生じると、状態は内部と外部に、
すなわちシステムと非システムに分割されるようになります。
その際、内部状態がシステムの外部状態から遮断されるようになります。
言い換えれば、 内部状態は外部状態を、ブランケットの状態として、
代理的に「感知」することしかできません。さらにマルコフブランケットは、
それ自体が、外部セットの状態に因果的に依存するサブセットとそうでないサブセットに分割されます。
これらのブランケットの状態は、それぞれ「感覚」状態と「能動」 状態と呼ばれます。
マルコフブランケットの形成により、
システムの状態は、内部、能動、感覚、外部の四つのタイプに分けられます。
外部状態は自己組織化する実体の一部ではありません。
重要なのは、これら四種類の状態間の依存関係が、循環的な因果関係を生み出していることです。
外部状態は、ブランケットの感覚状態を介して内部状態に影響を与えていて、
内部状態は、能動状態を通って外部状態に戻って連結します。
このようにして、内部状態と外部状態は、循環的なやり方でお互いを引き起こします。
生物的に言えば、感覚状態は、能動状態が外部状態へ及ぼす影響の結果をフィードバックし、
それによってシステムのその後の行動を調整するのです。
これが生物の知覚と行動のサイクルに似ているとすれば、
網様体賦活系、前脳、中脳の決断トライアングルの間の循環的な因果関係を思い起こさせる。
細胞膜とマルコフブランケット
細胞膜が果たしている機能は、「マルコフ・ブランケット」と同じ考え方で説明できる。
マルコフ・ブランケットという考え方は、システムが相対的に局所的な作用関係を中心に構成される場合、「遠い」サブシステムどうしは影響し合わないので、
その結果として常に「内部」と「外部」との区分けが起こり、
細胞膜の「内と外」を分ける機能が強化されていく。
「内部」と「外部」との間に仕切り─これがマルコフ・ブランケットーが生じ、
「内部」は「外部」の変化を推論して適応しようとするメカニズムが生成される、という考え方である。
フリストンは、
従来のように内部のエントロピーの拡大を防ぐために細胞膜が機能していると考えるのではなく、
より人工知能的に、細胞はその周辺の環境から
「サプライズ・ショック」を受けないように周辺環境に働きかけ、
その働きかけを通じて周辺環境を感知するという機能を果たしており、
そのことが結果としてあたかも内部のエントロピーの拡大をおさえ自由エネルギーを極小化しているように見えるのだ、と主張している。
そして、この常に外部のデータを感知しながら、
「サプライズ・ショック」を受けないようにするメカニズムは、
人工知能で活用されているベイズ推定と同値であるとする。
再帰するマルコフブランケット
フリストンは、
上記のマルコフ・ブランケットは、
さまざまなレベルに適用可能であり、
人間というマルコフ・ブランケットのなかに器官というマルコフ・ブランケットがあり、
器官というマルコフ・ブランケットのなかに細胞というマルコフ・ブランケットがあり、
細胞というマルコフ・ブランケットのなかに原子核というマルコフ・ブランケットがある…
というマトリョーシカ人形のような階層構造にあるようだ、とする。
この階層構造こそ、アンダーソンのいう「モア・イズ・ディファレント」そのものであり、
その階層性の繰り返しが同型性のもう一つの柱だと考える。
データ構造は、統計力学的な言い方をすると、単に受け取ることや、
熱の伝播だけでも捉えられる。
つまり原子が2つあり、
温度や運動量に差があるようなレベルでも成立する。
マルコフブランケットは、ある物理状態が2つある時、相対的性質を示すという。
物理学における性質を、システム構造として表現したものである。
考察
社会科学で扱うべき分野。
というか社会科学はもっと入出力や集団と個人レベルでのノードの性質を追いかけるべき。
ここからは熱力学とそこから派生した統計力学の分野になるが、
生命の進化やメカニズムの理解において、「あたかもそう見える」
という理解は非常に重要で、我々が高次脳機能と呼んでいるものも、
単に、「あたかもそう見える」という発生要因や機能であるかもしれない。
こういった推論を、高次脳機能は『仮想的に』再現している可能性がある。
「考える」とは、神経細胞が行う自由エネルギーの最小化を、
モデルの証拠を最大化することです
自由エネルギー原理
A=U-TS
A…自由エネルギー
U…全内部エネルギー
T…温度
S…エントロピー
自由エネルギーは、全内部エネルギーから、
温度によるエントロピーの増大というコストを調節する必要エネルギーを引いたもの
したがって、この方程式は
「自由エネルギーは、内部エネルギーの総量からすでに使われているエネルギーを差し引いたものに等しい」
自由エネルギーとは、自由ではないエネルギーを取り除いたときに残るものなのです
「ヘルムホルツの自由エネルギー」
古典的な熱力学型の自由エネルギー
「ギブスの自由エネルギー」
化学的アンサンブル型の自由エネルギー
化学的な文脈では、さまざまな温度や圧力の下で生成される追加の分子の分だけ差し引く必要がある。
「フリストンの自由エネルギー」
情報の文脈で自由エネルギーを定量化するために、同じ方程式の第三型を使用している。
「フリストンの自由エネルギーは、平均エネルギーからエントロピーを引いたものに等しい」
用語定義
平均エネルギー
あるモデルの下で起こる出来事の予期された確率。
エントロピー
実際に起こる出来事の発生率を意味している。
つまり、フリストンの自由エネルギーとは、
ある一連の事象から得られると予期された情報量と、実際にそこから得られる情報量との差のこと。
(予測システムのエントロピーは、 その平均情報量であり、その情報量の増加は確率の減少を意味する)。
「フリストンの自由エネルギー」=「平均エネルギー」−「エントロピー」という方程式は、
「ヘルムホルツの自由エネルギー」=「総内部エネルギー」−「仕事を遂行するのに利用できないエネルギー」
という方程式と、基本的に同じこと。
これは、フリストンの自由エネルギーではシステムとその環境との間の熱力学的な交換ではなく、
情報の交換がなされるため。
エントロピーとサプライザル(驚き)
生物システムがエントロピーを最小化しなければならず、
エントロピーが平均情報量であるとすれば、 システムは処理する情報の流れを最小にしなければならない。
それには、予期せぬ出来事を最小限に抑える必要がある。
これは専門的には「サプライザル」〔驚き〕として知られ。
エントロピーと同様に、サプライザルは確率の減少関数であり、確率が下がるとサプライザルは上がる。
サプライザルは、ある出来事がどれだけ起こりそうにないことかを測定し、
エントロピーは、その出来事がどれだけ平均的に起こりそうにないかを測定します。
つまり、エントロピーと同じように、サプライザルは生物にとっては悪いものなのです。
システムの内部状態が物理的に離れた出来事をモデル化するという同期性を観察したフリストンは、
内部状態が「推論」を行うと結論づけました。
自己組織化したシステムであるというだけで、
システムとその各部分に目的を与えるには十分であり、それがブランケットの能動状態の機能である。
自己組織化したシステムは統合性を維持するために環境を操作する。
つまり、閉ざされた自己、主観的な視点、目標、感知し行動する能力とともに、
マルコフブランケットという単なる事実が、作用主と同族のものをもたらすということである。
知覚 自己モデルと予測する感覚状態
生物学的システムは、自分のマルコフブランケットによって世界から隔離されているので、
自分のモデルを世界の実際の姿と直接比較することはできない。
それゆえ、 サプライザルを最小に抑えるためのプロセス全体を頭の中に取り込み、
質問をすることから流れてくる 「情報の「源」と「レシーバー」の両方にならなければならない。
私たちは行為によって予測された感覚状態と、
行為から実際に流れてくる感覚状態との間のギャップを、定量化することによってこれを行う。
これにより、フリストンの自由エネルギーと呼ばれる量が得られ、
それは実際のサプライザルよりも常に大きい正の値となります。
感覚的な証拠は頭の中で生み出されるスパイク列として、私たちが得られる唯一のデータである。
そのデータから世界の因果構造を推論しなければ なりません。
マルコフブランケットを持つ私たちは、絶対的な真理ではなく、
確率分布のようなものに頼らざるを得ない。
ベイジアンブレイン ベイズ的推論による統計的な自由エネルギーの最小化
計算し、入力信号を減衰させるための絶え間ない努力の中で、
感覚ニューロンに予測メッセージ を送る。
そして、知覚は文字通り、予測された分布と実際の分布の比較をまさに行い、事後確率を計算する。
その結果として生じる推論が、知覚の正体です。
知覚とは、入ってくる感覚信号を自己生成し、それによってその信号を説明しようとする試みであり。
最近、多くの神経科学者が ベイジアン・ブレイン 「ベイズ脳」と言っているのはそのためです。
物理システムの挙動は、情報の流れによって決定される。
したがって、フリストンの自由エネルギーを最小化することは、
同時にギブスの自由エネルギーとヘルムホルツの自由エネルギーを最小化する。
そうして予測誤差を最小にすることで、情報の流れを最小にし、
情報の流れを減らすことで、脳とからだ全体における代謝の支出を減らすことができる。
脳内の統計的な自由エネルギーを最小化することが、
体と世界の間の生理的なエネルギー交換を調節するからでもあります。
これらの交換にもまた、代謝の支出が伴います。
このように、予測脳は長期的には怠惰である。
予測階層
前述のように、マルコフブランケットと、
自由エネルギー原理によるベイズ推論は、物理的な意味で再帰構造を表している。
だが、それはシステム的にも同じことが言える。
フリンストンの研究により、神経系は反復予測階層の要件をみたしており。
いくつかの単純なメカニズムに還元することが実際にできるのです。
「脳は、環境的原因が生体に及ぼす長期的な影響と短期的な影響を、
必死に、しかし巧みに封じ込めて、生体の統合性を維持しようとしている。
そうすることで、世界の豊かで重層的な表象が暗黙の無意識のうちに浮かび上がる。
脳の世界内自己というモデルの中核には、
自己の生存可能な範囲に関する種に特異的な予測が生成される。
そしてこの予測は、自律神経反射という形で具体化される。
例えば、「それをすれば、 体温は約三七℃になる」
↓
この中核を取り巻く次のレベルでは、
脳が本能的な行動を生み出しますこれは、生得的な予測という形をとる。
その次のレベルでは、非陳述的な長期記憶システムから、後天的な不随意行動を生成する。
次の 段階では、陳述的な長期記憶システムから。随意的行動を生み出す。
↓
そして最後の一番外側のレベ ルでは、
短期記憶システムから「現在を予測する」最も暫定的な、今ここでの行動を生み出します。
予測階層の原則的動作と意味
脳の予測階層には五つ以上のレベルがあり、
第一の一般原則は、
脳が世界の出来事を先読みして、「それについての説明を免れる」ようにしているという点である。
神経系は、予測可能で情報量の少ない入力信号を抑制し、無意味な処理を軽減する。
第二の一般原則は、
この階層構造が、時間的・空間的な規模を徐々に小さくしながら展開していくという点。
中核の予測があらゆる状況で適用されるのに対して、より末梢部分の予測は一瞬で焦点を絞ったものとなる。一連の予測配列は、脳幹と間脳に位置する身体をモニタリングする核か ら、
大脳基底核や大脳辺縁系を経て、新皮質を通り、
受容野が非常に狭い末端器官(網膜の桿体細胞や錐体細胞など)に位置する。
モダリティ特異的な感覚受容器へと展開する。周辺部では短期的な正確さと複雑さが優先され、
長期的な一般化可能性が犠牲になるが、これはより深い予測によって享受される。
第三の原則は密接に関連しています。
つまり、可塑性にも階層が存在する。中核の予測は変更 できませんが、末梢の予測は変更することができ、実際に変更されるからです。これらは瞬時に更新さ れ、中間レベルでは中間的な程度で可塑性が得られます。このことは、脳のホメオスタット(脳の自己 モデル)の「コントロールセンター」は常に自らを更新しているということを意味しますが、連続的に 伝達される誤差はその中核に近づくにつれて、変更への抵抗は大きくなります。より末梢レベルでの可 塑性が高まることは、階層的な予測モデルの大きな利点の一つです。
第四の原則は、
知覚が(学習とは対照的に) 情報処理 の方向を反転させるという点だ。
最初に予測モデルを形作っていた因果的依存関係を反転させることで、脳は私たちの知覚的推論を生み出す。
メルケルはこの推論を「形のある固体で構成された、完全に統合された、概観的で、三次元的な世界、つまり、私たちに身近な現象的経験の世界」と記述しました。
「予測モデルの逆転」とは、 学習から、学習したことに基づく予測への移行である。
これは、受信した複数のデータから、世界の状態を推論 (「知覚」)していると説明できる。
知覚は内側から外側に向かって、常に主体の視点から[外側に向かって〕進む。
それはまさに統 覚であり、推論のプロセスであり、ベイズ理論の仮説検証の問題なのだ。
世界モデル 更新される世界
前述したように、
脳は、マルコフブランケットの向こう側の世界に直接アクセスすることなく、
入力された信号の最も可能性の高い原因を推論しなければならない。
脳が頼りにするのは、自分自身の感覚状態がスパイクとしてどう変化するかであり、
脳の仕事は信号を使って、
現実の世界(というよりも、自分と世界の間)に存在する規則性の確率的モデルを作ることだ。
そして、このモデルを使い、生存の確率をあげるような、動作の指針となる推論を行う。
その動作が今度は新たな感覚サンプルを生み出し、
そのサンプ ルを使ってモデルをさらに更新する。
モデルは不完全なものなので、更新しなければならない。これが新たな動作を導く。
したがって、動作は、生成モデルから生じる仮説を検証する実験とみなされるべきである。
ある実験において予測された感覚データが得られなかった場合、
システムは、
(1)データをより良く説明するた めに予測を変更するか、
または、元の予測に自信があるのなら、
予測を変えるか、入力を変えるか、この二つの選択肢が、
能動的推論はベイズ的になのか?
これまでは、皮質機能を脳の働きのモデルとする多くの科学者と同じように、
ベイズ型の知覚的推論にほぼ独占的に焦点を当ててきました。
しかし、能動的推論もある。
実際、能動的推論は(少なくとも生物学では)主要な形式です。
今しがた述べたように、ベイズ脳には予測誤差に対応する二つの方法がある。
「事後」確率が低下している仮説に直面したとき、
「事前」 予測か入力のいずれかを変更することで、仮説とデータの間の適合性を高める。
この二者択一の間にある違いは、統計的な適合度の方向性にある。
つまり、 予測が感覚入力に合うように変更されると誤差は減少し、
感覚入力が予測に合うように変更されても誤差は減少する。
動作と知覚の関係性
本質的なレベルでは、知覚と動作はよく似ている。
細胞のマルコフブランケットにとって、人体は外部に当たる。
このことは、フリストンの法則に従って、システム内の何かが変化しなければならないことを意味する。
これが、欲動と動作の間に存在する必須のつながりの形式的・機械的な説明である。
事前予測の階層が、変更可能なものも変更不可能なものも含めて、存在しなければならない理由だ。
身体そのものは、中枢神経系のマルコフブランケットの「外部」にある。
隠れた世界一 カスケードには、内臓を操作する内臓神経終末のレセプターとエフェクターに行き着くような、同心円状の層も含まれるだろう。
脳の世界モデルには、 隠れた因果と同じように、
あなたの身体的自己とその経路についてのモデルも含むひつようがある。
動作は、脳が全身の筋肉や器官に壮大な計画を広めるわけではなく、
階層を通して伝達される予測誤差が消えるまで、筋肉は収縮し、腺は分泌する。
このように、体の筋骨格系の「動作」器官と内臓系の「動作」器官は、
予測モデルが予期する遂行の内容と実際にの違いによって発生する誤差信号に従う。
予測誤差を抑制するこ とは、知覚と同じように、動作を制御することなのだ。
フリストンの法則を思い出そう。
自己組織化システムの中で変化しうる量のすべては、自由エネルギーを最小にする変化をする。
中脳のメタホメオスタットによって調整される複数の身体ホメオスタットは、
恒常性として私たちの身体を生存可能な範囲内に維持する。この範囲は変えることはできない。
背景知識は祖先からくる→感情は動作の源泉
ベイズの法則は、「背景知識」と呼ばれるものを仮定することから始まる。
ここで疑問が生じる。
システムが世界について証拠を集める最初の段階で、背景知識はどこから来るのか、という疑問だ。
その答えは、私たちの中核にある。
「予期された状態」は、私たちの種が持つホメオスタシスの定常点としてコード化されており。
その定常点の値は、過去の世代の生物学的成功の恩恵を受けており、それが我々の存在の最も基本的な前提を定めている。
感情と動作のつながりは、つまり心の奥底にある生物学的な欲動の要求は、容赦がない。
満たされるか死ぬかのどちらかでしか静まらない。
要するに、生物は経験から学ばなければならない。
更新する世界の誤差「経験」と内的な予測誤差としての「感情」
以上のことから示唆される興味深い点は、
もし感情が、これまで述べてきたようなホメオスタシスのメカニズムによって、
つまり「身体とのつながりの結果として精神に求められる仕事の尺度」として、実際に作用しているのであれば、
感情は自由エネルギーの最小化というその基本的な手段でなければならない。
したがって、感情は意志作用の主要な媒体であり、すべての精神生活の泉だといえる。
前述したように、経験からの学習によって階層的な世界モデルが作られ、
それを反転させると、同じ世界についての予測が生まれる。
しかし、そのプロセスはそこで終わりというわけではない。 予測を検証する必要がある。
これが予測誤差を発生させ、この誤差を用いてモデルを更新します。
これが「経験から」学ぶということなのだ。
予測誤差とは、現在の仮説では予測されなかった感覚信号のこと、つまり、自己生成されなかった仮説のことだ。
これが、データの目を引く部分であり。 この点で犯してしまう間違いは、入ってくるデータが外受容的なものだけだと思い込むことだ。
私たちにとって最も重要な予測誤差である、「感覚的な入力」は内側からやってくる。
これらの信号は、知覚ではなく感情を生み出す。
フロイト が言ったように、前脳は「交感神経節」なのだ。
意識は内因性に生成されるのであり、意識はその源においては感情である。
そして、知覚的推論を評価するために、知覚の上を外に向 かって拡張されるのだ。
意識は感情に基づいていること、感じに基づいていることはわかっています。
しかし、感じを生み出し、それによって意識を生み出す、形式的・機械的な法則とは、何なのか?
How did rise up mind? 意識はどのように立ち上がるのか
🙆♂️脳の階層性にそって、サプライザルを、最小化するように、推論についての予測モデルの妥当性を推論する。
推論についての推論。つまり、予測に関する信頼度の教育を行う(重みつけ)
予測誤差の最小化は無我。
欲求が生じないこと。、
初めに抽象化 次に言語
抽象化とはなんだ?
特徴量
✅意識とは何か? The hidden spling
原題The hidden spling・A Journey to the Source of Consciousness
Consciousness =意識
隠れた泉 『意識の源泉』を探る旅路 が意訳かな。
普通に考えると隠された泉だけど、恣意的ではないから
随伴性
訳註:意識研究の主流の見解は、
意識を脳の活動「随伴現象」と見做しており、
脳の活動には何の影響も及ぼしていない
(「何もしていない」)との立場をとっていることを踏まえての言葉。
意識は知性と混同されてはならない。
痛みが何であるかについて内省することなく痛みを感じることは完全に可能であり、
同様に、食べたいという衝動、空腹の感じは、生の困窮についての知的理解を意味しない。
意識は、
その基本的な形、つまり生を感じることにおいては、驚くほど単純な機能である。
考察
系列的情報について、感じることができるのが人間?これだと、脳機能がほぼ同じでも、複雑性への対処が可能かという処理能力の問題だけで、霊長類との差別化になる。
虚構の認知は単に感受することだけであるのかも。
物理的な事実以外に感受を持つこと、
あらゆる事象から、ただ感じることが人間的マスターアルゴリズムでは?
ともすると、
感受=認知した事象を統計的属性にふりわけること。ふりわけおやかた
差分を知覚するアルゴリズム自体を差分として、認識している。
フィードバックループ
並列処理特有の処理機能が影響してるかも?センシティブでアルゴリズムを知覚してる可能性はある。センシティブが統計点の選択で反応が出力するベクトル的なものなら
記憶でもなく、処理機能でもなく、
データでもなく、感覚器自体でもないなら、感じることはフィードバックループそのものであり、それが意識の正体かな
ともすると、感じることそのものの処理がゆっくりになると時間と共に感覚が無限になるのが死の瞬間かもしれない
認知神経科学の発達
脳のプロセスが異なる精神状態を生み出しているのかを正確に特定することができる。
これらの技術は心の器官の内部の働きをはっきりと可視化し、心理学の範囲を刺激と反応に限定することなく、
行動主義者を最も夢中にさせた経験主義者〔/実証主義者〕の夢を実現するものです
機能的磁気共鳴画像(fMRI)
特定の精神的作業を遂行しているときの脳のさまざまな部分の血行動態を測定したり、
陽電子放出断層撮影(PET)を用いて、
単一の神経伝達物質系の代謝活動の違いを測定したりするなど、より多くのツールを利用できるようになりました。
拡散テンソルトラクトグラフィ
異なる脳領域間の詳細な機能的解剖学的接続性を可視化することもできます。
光遺伝学
個々の記憶痕跡を構成するニューロンの回路が、認知作業中に光っているのを見たり、活性化させることができる。
神経心理学はこころを排除している
古典的な神経学と同様に、完全に客観的であることを目指している、その進歩は、まさにここに由来している。
しかし、人間は、まず第一に能動的であり、客体ではなく主体である。
排除されているのはまさにこの主体、生きている「わたし」である。神経心理学は立派なものだが、こころを排除している。経験し、活動する、生きている「わたし」を排除しているのである。
意識の性質は、科学界の最も難しいテーマかもしれません。
このテーマが重要なのは、あなたはあなたの意識であるからです。
何世紀にもわたって思想家たちを悩ませてきた二つの謎のために、これはいまだに議論の的でもあります。
その一つは、心と体がどのように関係しているかという問題です。
あるいは、唯物論的な考え方をする人にとっては(ほとんどの神経科学者がそうですが)、
脳が心をどのように生み出すのかという問題でもあります。これは「心身問題」と呼ばれています。
物理的な脳はどのようにしてあなたの現象的な経験を生み出すのでしょうか?
同じように不思議なのは、意識と呼ばれる非物理的なものが、
どのようにして物理的な身体を制御しているのかということです。
心における2つの謎
計面上学
哲学者はこの問題を「形而上学」と呼ぶ分野に割り当ててきたが、
これは、科学的に解決できるとは考えていないということを含んだ言い方。
科学は経験的〔実証的〕empiricalな方法に依存しており、
「経験的〔/実証的〕」とは「感覚的な証拠から得られる」ことを意味するから。
心は感覚的に観察することができないし、見ることも触れることもできない。
目に見えず、形はなく、主体であって対象ではない。
他者の心という問題
心が存在しているかをどうしたら見分けることができるのかという問題が、第二の謎。
外から見て心について何を知ることができるのかという問題、
それは「他者の心という問題the problem of other minds」と呼ばれています。
簡単に言えば、心が主観的であるなら、自分の心を観察することしかできません。
では、他の人(または生き物や機械)が心を持っているかどうかを知るには、どうしたらいいのか?
心一般の働きを支配する客観的な法則を、どうしたら見極めることができるか?
科学は実験に信頼をおく
科学の利点の一つは、実験的方法が究極の真理を目指すのではなく、
むしろ最善の推測と記述されるようなものを目指しているということです。
観察から出発して、観察された現象を妥当な形で説明するような仮説を立てるのです。
そして、その仮説から予測を立てます。これが実験である。
たとえば
「仮説Xが正しければ、YをしたときにZが起こるはずだ」
(ただし、他の仮説の下ではZが起こらないという合理的な可能性があるという条件がつく)
もしZが起こらなければ、仮説Xは偽であると推論され、新しい観測に従って修正される。
そして、実験プロセスが再び開始され、反証可能で確証されるような予測がでてくるまで、実験が行われる。
予測が確証されると、私たちはそれに矛盾する観測がなされない限り、その仮説を暫定的に真だとみなす。
このようにして、科学においては、確実性を期待するのではなく、不確実性を減らすことだけを目指している。
中脳皮質─中脳辺縁系ドーパミン回路が実際に夢を見る主要な駆動因
神経科学がフロイトに謝罪する必要があることはすぐに明らかになりました。
脳の中で「願望」を司る部分があるとすれば、
それは中脳皮質─中脳辺縁系ドーパミン回路です。この回路は、まったく動機的に中立ではありません。
この回路を脳の「報酬reward」システムと呼んでいます。
ケント・ベリッジはこれを「不足wanting」系と呼んでいます。
ヤーク・パンクセップはそれをSEEKINGシステムと呼び、食料探しの機能における役割を強調しています
これは「動物が示すことのできる最も精力的な探索行動や検索行動」を司る脳回路です。
また、夢見を駆動する回路でもあります
FMRIで観察すると
「願望に満ちた」SEEKING回路が、夢を見ている睡眠中にクリスマスツリーのように点灯し、
この間、抑制性の前頭前野が本質的にオフになっていることがありありと示されています。
フロイトに示したこととは、
精神生活における主要な原動力のいくつかは、完全に主観的であると同時に、無意識的でもあるということ。
こうした力を体系的に調査した結果、
フロイトは第三の基本的な主張にたどり着くことになりました。
最終的に感じの根底にあるのは身体的欲求である、と結論づけたのです。
つまり、人間の精神生活は、動物のそれに劣らず、
生存と生殖という生物学的要請によって駆動されているというわけです。
これらの要請は、フロイトにとって、感じる心と物質的な体との間につながりを提供するものでした。
心理学と生理学の両立を可能にさせるのは、
機能という共通の基盤の上でしかない、というのがフロイトの主張でした。
考察
やはり内臓の感覚を感じるセンシティビティ(感じ)を脳から得ているのがどうやら自我らしい。
考察通りといった感じ。ともすると、内観により
自己を(感じ)ること自体を鍛えることが、自己内在性やバイアスを防ぐことに繋がるかもしれない。
マインドフルネスとはそういうことか?感じの拡大が自己の拡大と同一性を生むのでは。
生命感 生きていることを感じる、意識と無意識の境界性知覚
通常シームレスなものだから?
イド
イドは、外界から切り離されており、それ自身の知覚世界を有している。
イドは、その内部の変化を、特に欲動的な欲求の緊張度の揺れの変化を探知する。
そして、これらの変化が、 快不快の系列における感じ feeling として意識される。
これらの知覚が、どのような手段で、どの ような感覚終末器官の助けを借りて、生じるのかを述べることは難しい。
しかし、自己知覚、つまり全身内部感覚の感じと快・不快の感じが、
イドにおける出来事の経過を専制的な力で支配していることは確立された事実である。イドは有無を言わせぬ快原理に従うのである。
フロイトが、「イド」は無意識であるという結論に達していた。
これは、心がどのように機能するかに関するフロイトの最も基本的な概念の一つでした。
そして、「身体とのつながりの結果として精神に求められる仕事」を測定する脳の部分が、
つまり、フロイトが「欲動」と呼び、パンクセップが(願 望に満ちたSEEKIGNシステムの引き金を引く)
「ホメオスタシス的感情」と呼んだものを生み出す部分である。
フロイトは自我(皮質)とイド(脳幹)の実質的な位置関係を逆に考えていたらしい。
実際には、知覚する自我は無意識的で、感じるイドは意識的であった。
つまり40年代まで、フロイト以前は意識的と精神的は同意義で、すべての精神活動が意識的だと考えられていた
内観の意義
フロ イトが夢の場合に推論したように、作話は動機づけられているのです。
作話性健忘症の精神プロセスと は、願望に満ちたものです。
しかし、この事実が明らかになるのは、
精神分析家が行うように 情動的な文脈や(S氏だけが経験した) 個人的な意味を考慮に入れたときだけです。
これは、神経心理 学者が完全に客観的であることを目指しているときに、
さきほど説明した一人称的な観察の視点から、
作話のメカニズムについても新しいことが見えてくる。
作話は戦略的検索と情報源のモニタリングの欠陥だけが原因で起こるのではなく、
子どもの記憶の働き方と同じように、
*より情動的に媒介された形の想起を解放することが原因でも起 こる
意味不明
考察
内観の意義については以下のことが言える
内観や経験は主観的であるが、それが完全になんの証拠にもならないということはない。
主観的視点に含まれるバイアスや規則性を客観視することはできるし、
意識はどこにあるのか?
意識は脳の大脳皮質の中で発生するなら。
大脳皮質が存在しないと意識は消えるはず。
しかしながら、水無脳症の子どもでそのようなことは起こっていない。
行動面での証拠がむしろ、昏睡状態でもなければ、植物状態でもない。
意識の大脳皮質説は否定されるべきか?
一つの考えられる異論は、これらの子どもたちの大脳皮質は、外科的に取り除かれているわけではないというもの。
そうした処置を「除皮質」と言うが、
そうした処置をした犬や猫やラットなどの他の哺乳類の新生児では、
客観的な行動基準では、意識は保たれているという結果だった。
こうした動物の術後の行動は、どう定義しても「昏睡状態」や「植物状態」と記述することはできない
経験としての意識
経験とは
心に関するこの哲学的な考えは、初期の神経学者が追随する地図となった。
「経験主義」ヒューム かつての理論 科学的経験則の思想的土台
心は白紙の状態から始まり、感覚的な振動が残した印象から、すべての特異的な特性を獲得する、と理論化した。
その印象は、さまざまな 種類の規則的な結合によって互いに連合され、物体の記憶イメージを生成するようになると考えられ、
それが後に、より抽象的な観念の基本的な構成要素となりる。
その後の感覚的な振動は、こ れらの組み立てられたイメージを刺激して意識の前面に送り出しますから、
私たちが経験しているのは 生の感覚ではなく、むしろ世界について私たちが学んできたことだ、となるわけであった。
観念が外部からの刺激に反応して意識的になる仕方は、統覚と呼ばれました
(大まかには、過去の経 験のレンズを通して現在を知覚することを意味します)。
思考に使われる精神的イメージのような認知プロセスには、ほぼ同じプロセスが逆向きに含まれると言われていました。
つまり、内部で記憶イメージの 活性化が生じて、(外部で生じたそれよりも淡く) 適切に再配置されるというわけです。
「目覚めている状態としての意識」と「経験としての意識」という概念。
この観点からすると、
第一の意味での意識
目覚めている状態としての意識は、
第二の意味での意識
この二つの意味は、
意識の量的な「レベル」と質的な「内容」という、神経学の従来の区別と一致する。
したがって、除皮質された動物や水無脳症の子どもたちは、目覚めているが、その経験には内容 がないということが起こりうる。
目を覚ましていて反応をするという行動的な意味において意識的であることは、
現象学的な意味において意識を持つこと、すなわち、
経験の主体であることとはまったく違うと仮定することで、
大脳皮質が「経験としての意識」の座だ、との仮説を維持することができる…
盲視の意味すること
症例TNTNは完全に盲目で、
意識的な視覚経験をまったく欠いているにもかかわらず、歩く先に置かれていた障害物を巧みに回避しました。
その後で質問されると、TNは自分が何かを避けているという考えはなかった、と報告しています。
この驚くべき能力は、後頭皮質がないにもかかわらず、視神経から脳幹の上丘への経路がそのまま残っていたので可能になったものです。
盲視の存在は、視覚的認知の意識が脳幹ではなく大脳皮質で生じているはずだ、ということ暗に示すものと受け取られてきました。
脳幹は、カメラと同じように非意識なやり方で視覚情報を処理する自律神経の機械だというわけです。
この原理は他の感覚にも当てはまります。
それぞれの感覚は、特定の大脳皮質の意識領域に関わりますが、
(嗅覚を除く)各感覚は、無意識である脳幹の上丘にも情報を 伝達しています
知覚されないものを意識しない知覚 学習されるものを意識しない知覚が存在する
記憶イメージ(現在では「表象」と呼ばれています)として解釈される「精神」は、
本来、 意識的なものではないというのが、
現在の認知科学で一般的に受け入れられている見解です。
意識の 「内容」(経験としての意識)を生み出す脳の部分である大脳皮質は、
意識的な経験がなくてもまったく同じことができる。
しかし、もしそうだとしたら、
その無意識的な機能を精神的なものにしているのは何なのか?
精神の器官とされる大脳皮質は、
ここで、第3章の締めくくりとして書いた、大きな疑問へ戻ることになります。
つまり、大脳皮質が 私たちの意識の発生場所でないとしたら、意識はどこから来ているのでしょう?
さらに言えば、
「瞬間瞬間の心理的な生」のほとんどが意識的な経験なしに行われているとしたら、
なぜ普段は意識的な経験を伴う しょう?
これらの情報処理すべてが非意識的に行われないのは、なぜなのでしょう?
考察
知的機能が随意的情動からくる高次機能だとすると、
意識的恋愛で人類が、形質と価値観を重視するのは、高次脳機能が生存のための文脈的処理関数だから
食う目的以外で積極的に殺し合うのは文化形成を行う種のみか?
アルゴリズムに対する集団ゲームと自然選択
考察
ADHDの開きやすいと言うメカニズムと科学的な講義及び絶望への移行はドーパミンの手段と言う意味で意味的に似ている
つまり飽きると言う行動にはあきらめる講義の停止と同じメカニズムが働いている?
感じ
感じは、私たちのような生き物に必要なことをさせる要求の尺度でもある。
制御理論の専門用語で言えば、血液ガスの不均衡、
体温の低下、養育者の不在、天敵の接近は「誤差信号」であり、
それらが生み出す行動はその誤差を正すことを意図している。
満足などによって感情が解消されることは、誤差がうまく正されたことを意味し、
その後は感情は意識から消えていくことになる。
マインド 私たちは再び、
精神分析家には妙に馴染みのある領域へと足を踏み入れています。
フロイトが「欲動」を
「身体とのつながりの結果として精神に求められる仕事の尺度」と定義した
同時に感じることはできない。
一度に実行できることの選択が必要。
これは文脈に基づいて行われる。
優先順位は、
欲求の相対的強さ(誤差信号の大きさ)と、
現在の状況による機会の範囲との関係で定される。
最も重要なのは、欲求を感じられたときに、
欲求があなたの随意的な行動を支配することだ。
「随意的」とはどういう意味でしょうか?
それは「自動的」の反対を意味します。
感情の最も基本的な特徴である「価値」
自分の行動に感じられる結果に基づいて何をすべきか、
何をすべきでないかを決定する。これが感情の法則です。
感情に導かれた随意的な行動は、
不随意な行動よりも、非常に大きな適応上の優位性を与える。
生物学的に考える感じ
自然淘汰がこれらの生存メカニズムを決定したのですが、
感じが進化すると、つまり複雑な生物である私たちが自分の状態を登録するという独自の能力を持つようになった。それが主観的な存在です。
進化の中で最初に現れたものでもある
「意識の夜明け」 には、
価値づけられた身体的な感覚以上に精巧なものは含まれていなかったと考える
ここで示 したいのは、
人間の情動はこれと同型のものが複雑になったものであるということです。
人間の情動も 結局のところ「誤差」信号であり、
生物学的に好ましい状態からの逸脱を登録するもので、
感情の分類
現在の神経心理学には、
一般に合意された感情分類はなく、
多くは身体的感情と情動的感情を区別しているが、
自然界にはそのような明確な区分は存在しない。
ヤーク・パンクセップの分類法
彼の実験の目的は、
脳の構造や回路が、種を超えて。
情動的感情に関しては、七つの情動的感情がすべての霊長類だけでなく、
全哺乳類において、
同じ脳構造と化学物質を刺激することで、確実に再現できることが判明した。
哺乳類が鳥類から分離したのが約二億年前なので、それだけ古い情動ということ。
人間及び哺乳類における、
基本的な情動の構成要素である、七種に絞って説明する。
私たちの無数の喜びや悲しみは全部、
このシステムが互いに混ぜ合わされたり、
高次の認知プロセスと融合したりして、
出力されたもののように見える
目立った反対意見
リサ・フェルドマン
主に方法論の違いに起因。
人間の自己申告による感情に焦点を当て、
人および文化が感じを説明するには、
大きなばらつきがあることを発見した。
しかし、社会的に構築された表面下に、
自然な形の基 本情動が潜んでいるという事実を反証するものではない。
経験と学習による情動機能の補完
反射や本能では
生存や生殖を成功させる、
予測不可能な状況や環境に十分に対応することはできない。
そこで、人間は経験から学ぶことで、
生まれつきの反応を適応的に補う。
通常それは学習によって十分に条件付けられているので、「本能的」とは認識できない。
それでも、本能と反射は絶えず背後に存在する。精神分析 の理論全体は、この洞察に基づいている。
明示的な意図の背後には、
暗黙の本能的傾向を常に見ることができる。
高次脳機能は内部の古い脳を斬新的に刷新していった結果である。
意識や表情、心理機能に物理的位置関係は存在しないが、脳の、構造と機能には物理的位置関係と、進化の時間軸が存在する。
そして心は物理的になる
意識の客観的な生理学になぜ主観的で現象的な感じが伴うのか。
科学者たちは、二組のデータの間にこのような規則的な相関関係を観察すると、
その根底にある単一の原因を探します。
そのため、意識 の生理学的側面と心理学的側面の間の規則的な結合を理解するためには、より深く掘り下げる必要があり、
心理学や生理学という学問分野の制約を超える必要がある。
この場合、私たちが求める答えは、
エントロピーの物理学の中に見出すことになります。
自由エネルギー原理
カール・フリストンの提唱する神経細胞の処理を説明する理論
端的に言うと、生物は結晶の成長(つまり物理・熱力学的な)
といった、
「自己組織化」システムを形成したのと同じプロセスの複雑系を経て出現したに違いないと説明します
そこには共通したメカニズムがあるらです。
このメカニズムは、「自由エネルギーの最小化」 である、と彼は言います。
すべての自己組織化システムには、存在し続けるという基本的な課題を共通して持っている
フリストンは、
自由エネルギーを最小化することでこの課題は達成されると考えています。
結晶、細胞、脳はこの保存のメカニズムがこの順で複雑さを増したものだと彼は言います。
物理的な平衡はつまり熱力学的にも平衡を示すので、
あとは分かるな?
複雑系における定常化は動的になる。
つまり、平衡の概念は相対的である。
光は速度的に平衡なのでは
本書における 感じは、ホメオスタシスの意識レベルでの現象形態だと推論
情動には恒常性があり、恒常性は熱力学で説明可能なので、
意識は物理的な現象を示すというのがソームズの推論。
妥当なように思える。
脳において、実は覚醒状態の方が脳波のエントロピーが高いつまり乱雑であり、
確率的
非覚醒状態の方が、実は巨視的な情報量は少なくなる。
生物(システム)はエントロピーに抗う。
システムの平均情報量がそのシステムのエントロピーである。
↓
生物(システム)は処理する情報を最小にしなくてはならない。
言い換えれば、予期する情報を最小にしなくてはならない。
ここから生物進化につながってくる
展開していく出来事に関連した自分の生物学的状態について、質問(予期)を投げかける。
進化の生物学的地位にとどまることが、種のレベルでは恒常性のすべて
自己組織化
ウィーバーのフィードバック。
生物のホメオスタシスはある意味でフィードバックであり。
現在の自分の状態 基準からどれだけ逸脱したかということになる
自己組織化≒生物という概念の歴史
イマニュエル・カント 『判断力批判』
カントは、生物には内来的な 「目的」と「意図」があると主張しましたが、
彼によれば、生物を構成するメカニズムが結末 〔目的〕と手段の両方を同時に持っている場合にのみ真。
このような「目的論的実体」(内来的な目的と意図を持つ実体)
は、意図的に行動するに違いない、とカントは述べています。
目的論的存在がどのようにして生まれるかを科学の力では説明できない、とカントは信じていました。
ダーウィンが自然淘汰
ダーウィンが自然淘汰を発見しましたご存じのように、
自然淘汰は、生存と生殖という内 来的な目的と意図を生み出します。
生存と生殖はどちらも自己組織化の現れであることがわかりまし た。
そして、ダーウィンの洞察により、目的を持った存在の起源と構成に関する問題は、
科学にとっ て扱いやすいものとなりました。あとは細部を詰めていくだけとなったのです。
「サイバネティックス」
数学者のノーバート・ウィーナーが、
シャノンの情報の理解にフィードバックという概念を加えた。
ウィーナーによれば、システムは自分の行動の結果についてフィードバックを受け取ることで、
その目標「基準状態」を達成することができます。フィードバックには、誤差信号が含まれる。
誤差信号を利用してシステムの行動を調整し、軌道を維持することができる。
ホメオスタシスは、より一般的なサイバネティック原理の特定のケースであることがわかった。
つまり、ホメオスタシスは一種のネガティヴ・フィードバック。
このフィードバックの概念を、
先に紹介した統計物理学と組み合わせることで、
どのように自己組織化が自然のうちに展開するのかを明らかにしました。
アシュビーは、多くの複雑な力学的システムが、
ある定点に向かって自動的に進化することを示し、この定常点を、
周辺を取り囲んでいるさまざまな状態からなる「盆地」の中の「アトラクター」と記述した。
そのようなシステムがさらに進化すると、限定された状態を占めるようになっていく。
恒常性を統計学で解明する
フリストンのシミュレートした原始スープでは、
サブシステムの間にその可能性 [限定された状態を占める傾向〕を作った後、
それらの行動が三つの段階で発展するのを観察しました。
1)近距離のパラメータを設定すると、たくさんの点はあちこちに飛び散った。
(2)他のパラメータを設定すると、たくさんの点は安定した結晶のような構造に合体した。
3)さらに他のパラメータを設定すると、たくさんの点はより複雑な挙動を示した。
合体した後、落ち着きなく互いにせめぎあい、ダイナミックな構造の中で特定の位置をとった。
サブシステムが周囲の環境から分離した後、同心円状の層構造を形成し、
それぞれが内側のコアと外側の表面を持ち、
さらに二つのサブレイヤーに分割されるという複雑な力学的構造が現れる(図1参照)。
分割された表面の方のサブレイヤーは、内側のコアと周囲の環境との間で、
それぞれ、非常に興味 深いパターンの相互作用を示す。
外側のサブレイヤーの状態は、外部環境の状態に左右され、
それが今度は内部サブシステムの状態にも影響を 与えるが、この影響は相反的なものではない
(言い換えれば、コアの内部構成要素は外側のサブレイヤーには何の影響も与えない)。
同様に、内側のサブレイヤーの状態は、内側のコアの 状態から因果的に影響を受け、
それが今度は外部 環境の状態にも影響を与えますが、
その影響のラ インはまたしても相反的なものではありません。
このような因果的依存関係の配置が、マルコフブラケットとして知られるものの特性を定義する。
マルコフブランケット
「マルコフブランケット」とは、二組の状態を互いに分離する統計学的な概念。
そのような編成が生じると、状態は内部と外部に、
すなわちシステムと非システムに分割されるようになります。
その際、内部状態がシステムの外部状態から遮断されるようになります。
言い換えれば、 内部状態は外部状態を、ブランケットの状態として、
代理的に「感知」することしかできません。さらにマルコフブランケットは、
それ自体が、外部セットの状態に因果的に依存するサブセットとそうでないサブセットに分割されます。
これらのブランケットの状態は、それぞれ「感覚」状態と「能動」 状態と呼ばれます。
マルコフブランケットの形成により、
システムの状態は、内部、能動、感覚、外部の四つのタイプに分けられます。
外部状態は自己組織化する実体の一部ではありません。
重要なのは、これら四種類の状態間の依存関係が、循環的な因果関係を生み出していることです。
外部状態は、ブランケットの感覚状態を介して内部状態に影響を与えていて、
内部状態は、能動状態を通って外部状態に戻って連結します。
このようにして、内部状態と外部状態は、循環的なやり方でお互いを引き起こします。
生物的に言えば、感覚状態は、能動状態が外部状態へ及ぼす影響の結果をフィードバックし、
それによってシステムのその後の行動を調整するのです。
これが生物の知覚と行動のサイクルに似ているとすれば、
網様体賦活系、前脳、中脳の決断トライアングルの間の循環的な因果関係を思い起こさせる。
細胞膜とマルコフブランケット
細胞膜が果たしている機能は、「マルコフ・ブランケット」と同じ考え方で説明できる。
マルコフ・ブランケットという考え方は、システムが相対的に局所的な作用関係を中心に構成される場合、「遠い」サブシステムどうしは影響し合わないので、
その結果として常に「内部」と「外部」との区分けが起こり、
細胞膜の「内と外」を分ける機能が強化されていく。
「内部」と「外部」との間に仕切り─これがマルコフ・ブランケットーが生じ、
「内部」は「外部」の変化を推論して適応しようとするメカニズムが生成される、という考え方である。
フリストンは、
従来のように内部のエントロピーの拡大を防ぐために細胞膜が機能していると考えるのではなく、
より人工知能的に、細胞はその周辺の環境から
「サプライズ・ショック」を受けないように周辺環境に働きかけ、
その働きかけを通じて周辺環境を感知するという機能を果たしており、
そのことが結果としてあたかも内部のエントロピーの拡大をおさえ自由エネルギーを極小化しているように見えるのだ、と主張している。
そして、この常に外部のデータを感知しながら、
「サプライズ・ショック」を受けないようにするメカニズムは、
人工知能で活用されているベイズ推定と同値であるとする。
再帰するマルコフブランケット
フリストンは、
上記のマルコフ・ブランケットは、
さまざまなレベルに適用可能であり、
人間というマルコフ・ブランケットのなかに器官というマルコフ・ブランケットがあり、
器官というマルコフ・ブランケットのなかに細胞というマルコフ・ブランケットがあり、
細胞というマルコフ・ブランケットのなかに原子核というマルコフ・ブランケットがある…
というマトリョーシカ人形のような階層構造にあるようだ、とする。
この階層構造こそ、アンダーソンのいう「モア・イズ・ディファレント」そのものであり、
その階層性の繰り返しが同型性のもう一つの柱だと考える。
データ構造は、統計力学的な言い方をすると、単に受け取ることや、
熱の伝播だけでも捉えられる。
つまり原子が2つあり、
温度や運動量に差があるようなレベルでも成立する。
マルコフブランケットは、ある物理状態が2つある時、相対的性質を示すという。
物理学における性質を、システム構造として表現したものである。
考察
社会科学で扱うべき分野。
というか社会科学はもっと入出力や集団と個人レベルでのノードの性質を追いかけるべき。
ここからは熱力学とそこから派生した統計力学の分野になるが、
生命の進化やメカニズムの理解において、「あたかもそう見える」
という理解は非常に重要で、我々が高次脳機能と呼んでいるものも、
単に、「あたかもそう見える」という発生要因や機能であるかもしれない。
こういった推論を、高次脳機能は『仮想的に』再現している可能性がある。
「考える」とは、神経細胞が行う自由エネルギーの最小化を、
モデルの証拠を最大化することです
自由エネルギー原理
A=U-TS
A…自由エネルギー
U…全内部エネルギー
T…温度
S…エントロピー
自由エネルギーは、全内部エネルギーから、
温度によるエントロピーの増大というコストを調節する必要エネルギーを引いたもの
したがって、この方程式は
「自由エネルギーは、内部エネルギーの総量からすでに使われているエネルギーを差し引いたものに等しい」
自由エネルギーとは、自由ではないエネルギーを取り除いたときに残るものなのです
「ヘルムホルツの自由エネルギー」
古典的な熱力学型の自由エネルギー
「ギブスの自由エネルギー」
化学的アンサンブル型の自由エネルギー
化学的な文脈では、さまざまな温度や圧力の下で生成される追加の分子の分だけ差し引く必要がある。
「フリストンの自由エネルギー」
情報の文脈で自由エネルギーを定量化するために、同じ方程式の第三型を使用している。
「フリストンの自由エネルギーは、平均エネルギーからエントロピーを引いたものに等しい」
用語定義
平均エネルギー
あるモデルの下で起こる出来事の予期された確率。
エントロピー
実際に起こる出来事の発生率を意味している。
つまり、フリストンの自由エネルギーとは、
ある一連の事象から得られると予期された情報量と、実際にそこから得られる情報量との差のこと。
(予測システムのエントロピーは、 その平均情報量であり、その情報量の増加は確率の減少を意味する)。
「フリストンの自由エネルギー」=「平均エネルギー」−「エントロピー」という方程式は、
「ヘルムホルツの自由エネルギー」=「総内部エネルギー」−「仕事を遂行するのに利用できないエネルギー」
という方程式と、基本的に同じこと。
これは、フリストンの自由エネルギーではシステムとその環境との間の熱力学的な交換ではなく、
情報の交換がなされるため。
エントロピーとサプライザル(驚き)
生物システムがエントロピーを最小化しなければならず、
エントロピーが平均情報量であるとすれば、 システムは処理する情報の流れを最小にしなければならない。
それには、予期せぬ出来事を最小限に抑える必要がある。
これは専門的には「サプライザル」〔驚き〕として知られ。
エントロピーと同様に、サプライザルは確率の減少関数であり、確率が下がるとサプライザルは上がる。
サプライザルは、ある出来事がどれだけ起こりそうにないことかを測定し、
エントロピーは、その出来事がどれだけ平均的に起こりそうにないかを測定します。
つまり、エントロピーと同じように、サプライザルは生物にとっては悪いものなのです。
システムの内部状態が物理的に離れた出来事をモデル化するという同期性を観察したフリストンは、
内部状態が「推論」を行うと結論づけました。
自己組織化したシステムであるというだけで、
システムとその各部分に目的を与えるには十分であり、それがブランケットの能動状態の機能である。
自己組織化したシステムは統合性を維持するために環境を操作する。
つまり、閉ざされた自己、主観的な視点、目標、感知し行動する能力とともに、
マルコフブランケットという単なる事実が、作用主と同族のものをもたらすということである。
知覚 自己モデルと予測する感覚状態
生物学的システムは、自分のマルコフブランケットによって世界から隔離されているので、
自分のモデルを世界の実際の姿と直接比較することはできない。
それゆえ、 サプライザルを最小に抑えるためのプロセス全体を頭の中に取り込み、
質問をすることから流れてくる 「情報の「源」と「レシーバー」の両方にならなければならない。
私たちは行為によって予測された感覚状態と、
行為から実際に流れてくる感覚状態との間のギャップを、定量化することによってこれを行う。
これにより、フリストンの自由エネルギーと呼ばれる量が得られ、
それは実際のサプライザルよりも常に大きい正の値となります。
感覚的な証拠は頭の中で生み出されるスパイク列として、私たちが得られる唯一のデータである。
そのデータから世界の因果構造を推論しなければ なりません。
マルコフブランケットを持つ私たちは、絶対的な真理ではなく、
確率分布のようなものに頼らざるを得ない。
ベイジアンブレイン ベイズ的推論による統計的な自由エネルギーの最小化
計算し、入力信号を減衰させるための絶え間ない努力の中で、
感覚ニューロンに予測メッセージ を送る。
そして、知覚は文字通り、予測された分布と実際の分布の比較をまさに行い、事後確率を計算する。
その結果として生じる推論が、知覚の正体です。
知覚とは、入ってくる感覚信号を自己生成し、それによってその信号を説明しようとする試みであり。
最近、多くの神経科学者が ベイジアン・ブレイン 「ベイズ脳」と言っているのはそのためです。
物理システムの挙動は、情報の流れによって決定される。
したがって、フリストンの自由エネルギーを最小化することは、
同時にギブスの自由エネルギーとヘルムホルツの自由エネルギーを最小化する。
そうして予測誤差を最小にすることで、情報の流れを最小にし、
情報の流れを減らすことで、脳とからだ全体における代謝の支出を減らすことができる。
脳内の統計的な自由エネルギーを最小化することが、
体と世界の間の生理的なエネルギー交換を調節するからでもあります。
これらの交換にもまた、代謝の支出が伴います。
このように、予測脳は長期的には怠惰である。
予測階層
前述のように、マルコフブランケットと、
自由エネルギー原理によるベイズ推論は、物理的な意味で再帰構造を表している。
だが、それはシステム的にも同じことが言える。
フリンストンの研究により、神経系は反復予測階層の要件をみたしており。
いくつかの単純なメカニズムに還元することが実際にできるのです。
「脳は、環境的原因が生体に及ぼす長期的な影響と短期的な影響を、
必死に、しかし巧みに封じ込めて、生体の統合性を維持しようとしている。
そうすることで、世界の豊かで重層的な表象が暗黙の無意識のうちに浮かび上がる。
脳の世界内自己というモデルの中核には、
自己の生存可能な範囲に関する種に特異的な予測が生成される。
そしてこの予測は、自律神経反射という形で具体化される。
例えば、「それをすれば、 体温は約三七℃になる」
↓
この中核を取り巻く次のレベルでは、
脳が本能的な行動を生み出しますこれは、生得的な予測という形をとる。
その次のレベルでは、非陳述的な長期記憶システムから、後天的な不随意行動を生成する。
次の 段階では、陳述的な長期記憶システムから。随意的行動を生み出す。
↓
そして最後の一番外側のレベ ルでは、
短期記憶システムから「現在を予測する」最も暫定的な、今ここでの行動を生み出します。
予測階層の原則的動作と意味
脳の予測階層には五つ以上のレベルがあり、
第一の一般原則は、
脳が世界の出来事を先読みして、「それについての説明を免れる」ようにしているという点である。
神経系は、予測可能で情報量の少ない入力信号を抑制し、無意味な処理を軽減する。
第二の一般原則は、
この階層構造が、時間的・空間的な規模を徐々に小さくしながら展開していくという点。
中核の予測があらゆる状況で適用されるのに対して、より末梢部分の予測は一瞬で焦点を絞ったものとなる。一連の予測配列は、脳幹と間脳に位置する身体をモニタリングする核か ら、
大脳基底核や大脳辺縁系を経て、新皮質を通り、
受容野が非常に狭い末端器官(網膜の桿体細胞や錐体細胞など)に位置する。
モダリティ特異的な感覚受容器へと展開する。周辺部では短期的な正確さと複雑さが優先され、
長期的な一般化可能性が犠牲になるが、これはより深い予測によって享受される。
第三の原則は密接に関連しています。
つまり、可塑性にも階層が存在する。中核の予測は変更 できませんが、末梢の予測は変更することができ、実際に変更されるからです。これらは瞬時に更新さ れ、中間レベルでは中間的な程度で可塑性が得られます。このことは、脳のホメオスタット(脳の自己 モデル)の「コントロールセンター」は常に自らを更新しているということを意味しますが、連続的に 伝達される誤差はその中核に近づくにつれて、変更への抵抗は大きくなります。より末梢レベルでの可 塑性が高まることは、階層的な予測モデルの大きな利点の一つです。
第四の原則は、
知覚が(学習とは対照的に) 情報処理 の方向を反転させるという点だ。
最初に予測モデルを形作っていた因果的依存関係を反転させることで、脳は私たちの知覚的推論を生み出す。
メルケルはこの推論を「形のある固体で構成された、完全に統合された、概観的で、三次元的な世界、つまり、私たちに身近な現象的経験の世界」と記述しました。
「予測モデルの逆転」とは、 学習から、学習したことに基づく予測への移行である。
これは、受信した複数のデータから、世界の状態を推論 (「知覚」)していると説明できる。
知覚は内側から外側に向かって、常に主体の視点から[外側に向かって〕進む。
それはまさに統 覚であり、推論のプロセスであり、ベイズ理論の仮説検証の問題なのだ。
世界モデル 更新される世界
前述したように、
脳は、マルコフブランケットの向こう側の世界に直接アクセスすることなく、
入力された信号の最も可能性の高い原因を推論しなければならない。
脳が頼りにするのは、自分自身の感覚状態がスパイクとしてどう変化するかであり、
脳の仕事は信号を使って、
現実の世界(というよりも、自分と世界の間)に存在する規則性の確率的モデルを作ることだ。
そして、このモデルを使い、生存の確率をあげるような、動作の指針となる推論を行う。
その動作が今度は新たな感覚サンプルを生み出し、
そのサンプ ルを使ってモデルをさらに更新する。
モデルは不完全なものなので、更新しなければならない。これが新たな動作を導く。
したがって、動作は、生成モデルから生じる仮説を検証する実験とみなされるべきである。
ある実験において予測された感覚データが得られなかった場合、
システムは、
(1)データをより良く説明するた めに予測を変更するか、
または、元の予測に自信があるのなら、
予測を変えるか、入力を変えるか、この二つの選択肢が、
能動的推論はベイズ的になのか?
これまでは、皮質機能を脳の働きのモデルとする多くの科学者と同じように、
ベイズ型の知覚的推論にほぼ独占的に焦点を当ててきました。
しかし、能動的推論もある。
実際、能動的推論は(少なくとも生物学では)主要な形式です。
今しがた述べたように、ベイズ脳には予測誤差に対応する二つの方法がある。
「事後」確率が低下している仮説に直面したとき、
「事前」 予測か入力のいずれかを変更することで、仮説とデータの間の適合性を高める。
この二者択一の間にある違いは、統計的な適合度の方向性にある。
つまり、 予測が感覚入力に合うように変更されると誤差は減少し、
感覚入力が予測に合うように変更されても誤差は減少する。
動作と知覚の関係性
本質的なレベルでは、知覚と動作はよく似ている。
細胞のマルコフブランケットにとって、人体は外部に当たる。
このことは、フリストンの法則に従って、システム内の何かが変化しなければならないことを意味する。
これが、欲動と動作の間に存在する必須のつながりの形式的・機械的な説明である。
事前予測の階層が、変更可能なものも変更不可能なものも含めて、存在しなければならない理由だ。
身体そのものは、中枢神経系のマルコフブランケットの「外部」にある。
隠れた世界一 カスケードには、内臓を操作する内臓神経終末のレセプターとエフェクターに行き着くような、同心円状の層も含まれるだろう。
脳の世界モデルには、 隠れた因果と同じように、
あなたの身体的自己とその経路についてのモデルも含むひつようがある。
動作は、脳が全身の筋肉や器官に壮大な計画を広めるわけではなく、
階層を通して伝達される予測誤差が消えるまで、筋肉は収縮し、腺は分泌する。
このように、体の筋骨格系の「動作」器官と内臓系の「動作」器官は、
予測モデルが予期する遂行の内容と実際にの違いによって発生する誤差信号に従う。
予測誤差を抑制するこ とは、知覚と同じように、動作を制御することなのだ。
フリストンの法則を思い出そう。
自己組織化システムの中で変化しうる量のすべては、自由エネルギーを最小にする変化をする。
中脳のメタホメオスタットによって調整される複数の身体ホメオスタットは、
恒常性として私たちの身体を生存可能な範囲内に維持する。この範囲は変えることはできない。
背景知識は祖先からくる→感情は動作の源泉
ベイズの法則は、「背景知識」と呼ばれるものを仮定することから始まる。
ここで疑問が生じる。
システムが世界について証拠を集める最初の段階で、背景知識はどこから来るのか、という疑問だ。
その答えは、私たちの中核にある。
「予期された状態」は、私たちの種が持つホメオスタシスの定常点としてコード化されており。
その定常点の値は、過去の世代の生物学的成功の恩恵を受けており、それが我々の存在の最も基本的な前提を定めている。
感情と動作のつながりは、つまり心の奥底にある生物学的な欲動の要求は、容赦がない。
満たされるか死ぬかのどちらかでしか静まらない。
要するに、生物は経験から学ばなければならない。
更新する世界の誤差「経験」と内的な予測誤差としての「感情」
以上のことから示唆される興味深い点は、
もし感情が、これまで述べてきたようなホメオスタシスのメカニズムによって、
つまり「身体とのつながりの結果として精神に求められる仕事の尺度」として、実際に作用しているのであれば、
感情は自由エネルギーの最小化というその基本的な手段でなければならない。
したがって、感情は意志作用の主要な媒体であり、すべての精神生活の泉だといえる。
前述したように、経験からの学習によって階層的な世界モデルが作られ、
それを反転させると、同じ世界についての予測が生まれる。
しかし、そのプロセスはそこで終わりというわけではない。 予測を検証する必要がある。
これが予測誤差を発生させ、この誤差を用いてモデルを更新します。
これが「経験から」学ぶということなのだ。
予測誤差とは、現在の仮説では予測されなかった感覚信号のこと、つまり、自己生成されなかった仮説のことだ。
これが、データの目を引く部分であり。 この点で犯してしまう間違いは、入ってくるデータが外受容的なものだけだと思い込むことだ。
私たちにとって最も重要な予測誤差である、「感覚的な入力」は内側からやってくる。
これらの信号は、知覚ではなく感情を生み出す。
フロイト が言ったように、前脳は「交感神経節」なのだ。
意識は内因性に生成されるのであり、意識はその源においては感情である。
そして、知覚的推論を評価するために、知覚の上を外に向 かって拡張されるのだ。
意識は感情に基づいていること、感じに基づいていることはわかっています。
しかし、感じを生み出し、それによって意識を生み出す、形式的・機械的な法則とは、何なのか?
How did rise up mind? 意識はどのように立ち上がるのか
🙆♂️脳の階層性にそって、サプライザルを、最小化するように、推論についての予測モデルの妥当性を推論する。
推論についての推論。つまり、予測に関する信頼度の教育を行う(重みつけ)
予測誤差の最小化は無我。
欲求が生じないこと。、
初めに抽象化 次に言語
抽象化とはなんだ?
特徴量