南方曼荼羅
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南方曼荼羅
「南方マンダラ」
明治36年から翌年にかけて緑濃い那智の森の山
・熊楠37歳。
・真言僧・土宜法竜
・熊楠は土宜法竜との出会いと往復書簡の中で10年ほどの月日を経て「南方マンダラ」の思想へと至る
熊楠が留学をしていた19世紀末の英国(なお、土宜法竜はパリ)
・人類学が新たな学問として立ち上がりはじめていた頃。
大英博物館を中心
・植物学
・人類学
・宗教学
・社会学
西欧の学問を夢中に学ぶと同時に、
当時の科学の支配的なパラダイムの土台にそれらが築かれていることに次第に強烈な違和感。
・ダーウィンの進化論
・ニュートン力学
・スペンサーの社会進化論
当時の西洋自然科学の素晴らしさと同時に、
その方法が世界の実相をとらえるためにいくつかの重要な欠陥を持っていることにも気がついていた。
科学は仏教哲学、
華厳経や真言密教のマンダラの思想と融合で現代学問の限界を乗り越える
南方マンダラ誕生の裏にある大きな背景。
第二章:南方マンダラの来歴:
・「事」は「心」と「物」がまじわるところに生まれる。
・建築物そのものは「物
自分の頭の中に生まれた非物質的なプランを、土や木やセメントなどを使って現実化する。
・「心界」でおこる想像や夢のような出来事を実現すべくつくりだされたひとつの「事」として、
・あるいはいく中にも重ね合わされた「事」の連鎖として、
・「心」と「物」があいまじわる境界面のようなところにあらわれてくる現象にほかならない
今の学者、ただ箇々のこの心この物について論究するばかりなり。
小生は何卒心とものとがまじわりて生ずる事(人界の現象とみて可なり)によりて究め、
心界と物界とはいかにして相違に、いかにして相同じき所にあるかを知りたきなり。
明治26年12月21日-24日「往復書簡」)
「この世界はあらゆるものが「心」と「物」のまじわりあうところに生まれる
「事」として現象している」
熊楠は当時の学問に一番欠けているものは、この「事」の本質についての洞察だと考えた
南方曼荼羅は熊楠の広範な哲学的探求を通じて展開される
1.「心界と物界は根底を流れる原理が異なる」
熊楠の哲学は「心界」と「物界」の相互作用に焦点。
1. 基本原理
・「心界」と「物界」はそれぞれ異なる原理に従って動いている
・「物界」では因果応報が明確に存在する
・「心界」では必ずしもそうではない
2. 「事」の生成
・熊楠によれば、純粋な「心」または「物」だけでは意味を持たない。
・両者の交わりから「事」という現象が生まれる。
・「事」は異質なものの出会いから生じ、さらに「心」や「物」に影響を与える。
3. 人間の世界の構築
・「事」が「心」や「物」にフィードバックする。
・過程が積み重ねられることで、人間にとって意味ある世界が構築される。
4. 「事」の概念
・熊楠は、「事」は分離することができない構造を持ち、物と心の交わりから生まれると述べています。
・また、「心界」の動きが異質な「物界」に出会うことで、「事」の痕跡が作られ、
・「心界」の知性では、「事」を物のように対象化して扱うことはできないと指摘しています。
唯心論
心界と物界の相互依存性:
熊楠は純粋な「物界」は存在できず、観測時には必ず人の意識が関与すると説明しています。
物質現象が人間にとって意味を持つ時点で、「事」として「心界」と「物界」の境界面に現象していると指摘しています。
「事」の現象:
知覚の時点で心が物的世界と出会って「事」として現象し、人の心がすでに関与しているために、
「事」を対象化し切り離すことは不可能であると熊楠は考えています。
主体的な世界構築:
生物学者ユスクキュルの「環世界」の概念を引用し、すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、
各生物が主体的に構築する独自の世界であると説明しています。
「南方マンダラ」と「不思議の体系」:
「不思議の体系」「マンダラの構造」「縁の論理」の3つの側面
「不思議の体系」
熊楠は存在世界のすべての現象を「不思議」と呼び、「心」「物」「事」に「理」と「大日如来」を加えることで、
世界を重層的な全体構造を持つ運動体として理解し直しています。
「不思議」という言葉
・存在世界に底がないという彼の直観を強調しようとした。
不思議と知性:
知性は森羅万象の中に秩序を求めるが、森羅万象は底無しの玉ねぎ状の重層性を備えている。
・知性が「物」や「心」や「事」の示す、現象のあるレベルに何らかの秩序を見出したとしても、
・その途端にさらに深いレベルの実在が動いていることを発見する。
ものごとの理解が深まれば深まるほど、未知の実在が次々と現れる。
・存在の世界には底がない。
・那智の森で南方が実感していた、その世界の成り立ちを「不思議」と呼んだ。
「不思議」という言葉で、世界は全体運動を行なっていることを表現しようとしている。
その全体構造は大日如来の大不思議から始まり、現象を生み出す「諸不思議」に至る。
複雑で大きな運動体であり、実在のどんなに小さい部分でも、常に運動し変化する全体とのつながりを失っていない。
どんな微小部分でもそれだけを独立させて理解することはできない。
「ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。大日如来の大不思議あり…今日の科学は、物不思議をばあらかた片付け、その順序だけをざっと立てならべ得たることと思う。心理学といえども、物不思議を離れず」
(明治36年7月18日「往復書簡」)
熊楠は「心」や「物」や「事」や「理」の「諸不思議」が複合しながらも、
多元的な全体構造を作り出していることを表そうとしている。
この宇宙では、いっさいの事理が全体構造の中で、運動を行い変化を起こしている。
人間の知性
・異質な不思議同士が出会ったり、結び合ったりしているところに関心を引かれる。
・事理の集合が多ければ多いほど理のすじ道を認識できる仕組みになっている。
・知性は差異の現れるところで最も活発な認識の働きを行う。
・レンマ哲学や現象学ー存在を「対立」ではなく「差異」において見ようとする態度。
レイチェルカーソンはこの好奇心をセンスオブワンダーと表現した。
自然の中に身を委ねると、ヒューマンスケールを超えた存在への圧倒的な敬意や畏怖を感じる。
不思議は人間の謙虚さの表現でもある。
南方マンダラの全体構造
– 無意識の集団記憶や共同幻想の発生のメカニズム
熊楠の心物交わり論と「事」「名」「印」の生成(密教的記号創発システム論)
熊楠の哲学において、「事」は「心界」と「物界」の交わりから生じ、
その交わりがほどける際に「名」として残存する。
このプロセスはエクリチュール(記述)と言語体(ラング)の形成に関連し、
人間の認識と共同体の無意識を通じて、「印」を生み出し、象徴的表現を可能にする。
「事」の生成
・- 熊楠によれば、「事」は「心界」の働きと「物界」のプロセスが交わる点で生じる。
・「事」は発生し消滅するが、その存在によって力が内在し、何らかの痕跡を世界に残す。
「名」の発生
・「事」が絶えた際に、「名」として残る。
・「名」は物の単なる名前ではなく、言語や習慣のような無意識の深層構造として解釈する。
エクリチュールとラング
・「事」の痕跡はエクリチュールとしてアーラヤ識に残り、これが言語体(ラング)を形成する。ラングは物質的実態を持たない抽象的構造で、言葉として表現されない限り無意識の中に潜在する。
「印」の生成
・「名」が抽象的構造であるのに対し、「印」はそれに物質性を付与した具体的な象徴を表す。
・「心」に再び反映されることによって生じる。
学問の土台としてのエクリチュールの前空間
・南方曼荼羅は人類の学問の土台をエクリチュールの前空間に置くことを提案しており、
・この空間で物質や「心」が生成され、「事」の世界が形成され、「名」が生まれる。
数学と自然科学の自己言及
・-数学者岡潔
・自然科学は自然の存在を主張できず、数学は自然数の「1」が何であるかを知らない
・熊楠の哲学の中での認識と無意識の探求と対応している。