儒教
✅儒教
成立
儀式としての礼と律令国家
邑制国家では、国家の行う祭儀と結びついた祭政一致の場で、
礼が重んぜられ、上層部の意思で政治が決められてゆく。
礼はは じめは宗教的なものだったが、同時に周代では政治的原理ともなった。
そういった礼は、単なる形式にこだわる外面的儀礼的なものになりはてていて、
魂を失っていた。
それが後の孔子の思想を理解するに必要な原点となる。
世界史は一般に、氏族国家→都市国家→ 領土国家→大帝国
という順をたどって発展してゆくという見解は、正しいが、
そこに出現する「都市国家」の内実はギリシアと中国では大いに相違している。
礼の内面化 仁
つまるところ礼は、倫理である仁より生ずる
孔子は、その「礼」の根柢に「仁」というものが存在しなければならないということを、
初めて指摘し、主張した。
つまり礼というものは、人間の心の中に内在化した内面の仁がなければ、空洞化し意味を失うことになる。
「この仁はそれ以上のものはなく、それ自身で自足している。」
これは仁者を知者よりも上の安定したものとして優位においていると考えられる。
孔子は知だけを重んずる主知主義ではなく、彼には仁の実践を最も高く評価する実践理性の優位がある。
知識を単に知識として知るだけでは不十分で、
知識が実践に生かされて、本来の徳となり、仁となる。知は仁への階梯である。
合理的倫理を実践(処世)しよう。ということである。
孔子とソクラテスの比較
1.倫理学の創出
ソクラテスにおける「魂」の新たな認識と孔子における「仁」の新たな発見とは、
ともに人間倫理の精神的内面を明らかにしたものとして、人類史における精神革命としての共通性がある。
このことによって、両者は共に倫理学 (ethics)を東西において創出した。
2.背景社会の価値観
ソクラテスの生きた社会的背景をなしているものは、
ギリシアのポリス社会であり、そこではロゴスの交換が最も重要なものとなっている。
対して孔子の生きた古代の中国の制国家の根幹をなすものは、礼の追求であった。
3.対象範囲
ソクラテスの議論の相手となった人々の範囲―これを論圏というはポリスの市民であったが、
孔子のそれは諸侯につかえようとする士の身分の人々であった。
「君子」とは、孔子の時代には、学問と徳の修得をめざす士身分のものを指した。
この土階層はギリシアの市民一般より、やや狭いといえよる
ソクラテスの思想は、今日普遍的意味をもっているが、
それはあくまでも彼自身のポリスにおける生き方として見出された。
実際彼は迫害されても、決してアテナィを去ろうとはしなかかった。
これが、都市と天の概念による差分であり、天下国家を目指した孔子との違いである。
4.慈愛概念の有無
ソクラテスにおける「魂の配慮」というものは、人間の善 (tò 'ayabóv)の原理として 重要な意味をもつが、
孔子の内面的倫理としての「仁」のもつ他者に対する慈愛というものは見出されない。
ソクラテスも、『饗宴』において「エロース」を論じているが、この愛は慈愛ではな い。
5.主知主義
ソクラテスにおける「知行合一」には、なお主知主義の傾向があり、
あくまでも「知」 が先行し、よき行い(倫理)は正しい認識があれば可能と考えるが、
孔子にはこのような主知主義 はなく、むしろ倫理的根本としての「仁」が「知」に優越し、
「知」はこの「仁」の実現に貢献す るものにすぎないと捉えている。