結語
4結語
所伝の共通点
以上、ナーガールジュナの生涯と活動とを『龍菩薩伝』、プトン、ターラナータにしたがって紹介したのであるが、それらの所説は必ずしも一致しない。どこまでが歴史的事実であって、またどれだけが空想的伝説であるか、さらに空想的伝説の下に何らかの歴史的事実があるかどうかも、はっきりしない。 〜ただ、以上の所伝を通じていえることは、次の諸点がほぼ共通である。
一
かれは南インドと関係があった。そうして南インドのサータヴァーハナ王朝と何らかの関係があったのではないか、と想像されている。南インドのアンドラ・プラデーシュ州にあるナーガールジュナ・コーンダという古代港市の遺跡では多数の仏教寺院の遺跡が発見されているが、しかし大乗仏教の哲学者ナーガールジュナと関係があったかどうかは不明である。古碑銘にも何ら証跡はない。そうしてその地で発見された古理銘によると、そこに栄えていたのは、伝統的保守的仏教、いわゆる小乗仏教であったことが知られている。
二
かれはバラモンの生まれであった。
三
かれは博学であって(とくにバラモンの)種々の学問を修めた。だから、かれの哲学思想にバラモン教のほうの哲学思想の影響があったという可能性は充分に考えられる。
四かれは一種の錬金術を体得していた。
ところでインドでは錬金術をシヴァ教の一派の水銀派なるものが昔から行なっていた。この水銀派の開祖をやはりナーガールジュナという。ナーガールジュナに帰せられている水銀派の諸典籍はまだ刊行されていないようであるが、それらとの対照研究は今後の課題である。
ナーガールジュナ複数説
ところでナーガールジュナに帰せられる著作が多数あるが、それらがすべて同一人によって書かれたかどうかは、大いに論議のあるところである。甲書と乙書とが別の人によって書かれたという主張を考慮すると、複数のナーガールジュナが考えられる(各著作については第I部の「著作概観」参照)。
一『中論』などの空思想を展開させた著者
二 仏教百科事典とよぶにふさわしい『大智度論』の著者
三 『華厳経』や十毘品の註釈書である「十住毘婆沙論』の著者
四 現実的な問題を扱った「宝行王正論』などの著者
五 真言密教の学者としてのナーガールジュナ
六 化学(錬金術)の学者としてのナーガールジュナ
右のうちで、五、六は一と大分色彩を異にしているので別人ではないかと思われるが、これも、後の研究にゆだねることにしよう。