空観はニヒリズムか
虚無論者と解された中観派
Miyabi.icon仏教外からの評価を外観する
「中論』の思想は、インド人の深い哲学的思索の所産の中でも最も難解なものの一つとされている。その思想の解釈に関して、近代の諸学者は混迷に陥り種々の批評を下している。そもそもナーガールジュナが何らかの意味をもった立言を述べているかどうかということさえも問題とされているのである。
Miyabi.iconなんか草
中観派を評して、ベルギーのL・ドウ・ラ・ヴァレ・プーサン、ドイツのP・ドイセン、インドのS・ダスグプタらの学者は虚無主義(Nihilism)であるといい、ドイツのM・ワレーザー、イギリスのA・B・キースなどは否定主義(Negativism)であるといい、ドイツのO・フランケはさらに最初期の仏教をも含めて否定主義であると主張する。これらの解釈に対し、ロシアのTh・スチェルバツキーはむしろ相対主義(Relativism)であると批評し、フランスのR・グルッセーがこれに賛意を表している。
Miyabi.icon世俗的な中観派の印象としてはこのあたりであろうか。
また出発途上の記号論理学に大いに興味をもっていたポーランドのS・シャイエルは、「中観派は哲学史上最も徹底した唯名論者(der radikaiste Nominalist)である」と批評した。さらに中観派を幻影説(do.cetism)ときめつける学者(たとえば姉崎正治博士)もあり、全く諸説紛々として帰一するところを知らぬ状態である。
しかしながらインド学者一般の態度をみると、中観派を虚無主義であるとみなす人が多いように思われる。
中観派は、何となく気味の悪い破壊的な議論をなす虚無論者である、という説は、近代になって初めて唱えられたのではない。すでに古代インド一般にいわれていたことであり、これに関してはスチェルバツキーがその事実を指摘し集録しているから(『仏教におけるニルヴァーナの観念』三五ー三九ページ)、いま再出する必要はないであろう
Miyabi.icon
面白い。現代になって虚無主義や否定主義の印象がついたのではなく、古代インドからそのような印象だったのか。
reira.iconへー
中論
有・無を排斥する『中
ところがこのような解釈はきわめて困難な問題に遭遇する。『中論』はけっして「無」を説いているのではない。その理由の一つとして『中論』の本文である詩句の中において有と無との二つの極端(二辺)を排斥している、という事実を示しうる(たとえば、第五章・第八詩、第九章・第一二詩、第一五章・第六詩、第七詩、第一〇詩、第二三章・第三詩、第二四詩、第二五詩)。
ナーガールジュナは「有」を否定するとともに、「有」がない以上、当然「有」と相関関係にある「無」もありえない、と主張する(たとえば、第五章・第六詩、第一五章・第五詩)。さらに有と無との二つを否定する以上、当然事物の常恒性を主張する見解(常見)と事物の断滅を主張する見解(断見)とを排斥せねばならぬこととなる(た〜さらに有と無との二つを否定する以上、当然事物の常恒性を主張する見解(常見)と事物の断滅を主張する見解(断見)とを排斥せねばならぬこととなる
Miyabi.icon有無の断見があるから虚無がせいりつするのである
「中論」の思想は虚無論を説いていると批評するのは果たして正しいであろうか。反対し対立する諸学派からそのような批評を受けたというのは、それなりに理由のあることであろうが、著者であるナーガールジュナの立場からみるならば、それは明瞭に誤解であるといわねばならぬ。「中論」は無や断見を排斥しているから、『中論』はたんなる無(nihil)を説いているのではないことはほぼ推察しうる。
仏教成立当初の思想と『中編』
『中論」は終始、有部・経部・子部・正量部などの諸学派を攻撃し、その教理を批判して、これらの諸派と截然たる対立を示している。この事実をみて近代の研究者は、たいてい、大乗仏教は、従来の仏教とは全く異なったものであると解している。
たとえば戦前の西欧における随一の中観派研究者であったスチェルバツキーは、従来の仏教、すなわちブッダによって説かれた教えは徹底的な多元論(radical pluralism )であり、これに対して『中論』などの大乗仏教は一元論(monism)であり、「同一の宗教的開祖から系統を引いていると称する新旧二派の間にかくもはなはだしい分裂を示したことは宗教史上他に例をみない事例である」と述べている(『仏教におけるニルヴァーナの観念』
Miyabi.iconこれもまた一般的な西洋の見方の一つだろう。
それは大多数の西洋の学者の意見であり、一般に大乗仏教は「仏教」(Buddhism)ではあるかもしれないが、「ブッダ(Buddha)の教え」とは非常に異なったものである、と考えられている。しかしながら「中論』を始めとし、一般に大乗仏教の経典や論書はみな自己の説がブッダの真意を伝えているものであると説き、しかも自説の存在理由をブッダの権威の下に力強い確信をもって主張している。
もしも中観派の所説がブッダの教えと非常に異なるものであるならば、それでは何故に自説をブッダの名において説きえたのであろうか。この理由を西洋近代の学者は全く説明していない。以下「中論』の思想を考究する間に、この問題をつねに考慮しておきたい。
『般若経』と『中論』
なお「中論』の思想の歴史的連関に関してもう一つの問題に注目したい。古来『中論』はもっぱら『般若経』の思想を闡明するものであるといわれている。中国で空の思想を体系し、三論宗を大成した中国の嘉祥大師吉蔵(五四九ー六二三年)も「中論』が『般若経』にあいている理由として六つの項目を挙げて説明している(「中講」巻一末)。さらにインドの諸証釈についてみても、「無長論」「青、」「プラサンナパダー」「般若灯論釈』などみな『般若経』をたびたび引用しているし、ことに『般若燈論釈』の最初では、『中論』が『般若経』に依拠すると書いている。またアサンガ(無者、三一〇ころー三九〇年ころ)は『中論』が般若思想の入門書であるとみて、いわゆる「順中論』(詳しくいえば、『順中論義入大般若波羅蜜経初品法門』)二巻を書いている。故に「中論』の思想が『般若経』に基づいていることは疑いないと思う。