主要論敵は説一切有部
主要論敵は説一切有部
さらに仏教内の諸派の中でも、詩句本文の内容および「般若灯論釈』からみると、ある詩句は明らかに、憤子部・正量部のような、プドガラ論者(個人存在の中心主体を承認する論者)を排斥しているし、また経部を論破しているらしいところもある(もっとも後に述べるように『中論』はまた他方経部と共通の説を述べているところもあり、一概にはいえない)。
しかしながら「中論』の主要論敵は何といっても説一切有部であろう。吉蔵が「〔第〕二に毘曇を折す」という場合の「毘曇」は有部をさしているし、また各註釈(ことに『般若灯論限にからみても、1部を最も主要なる論敵としている。中観派は自己の反対派を概括して自性論者、または有自性論者と総称している。それは事物または概念の「自性」すなわち自体、本質が実在すると主張する人々である。『中論』はこれに対して無自性を主張したのであるから、「中論』を徹底的に研究するためには有自性論一般を広く考察せねばならない。
ただしいま、仏教外の諸派を論究する余裕もなく、また犢子部・正量部・経部などの諸学派の思想は現在いまだ充分研究されていないから、これらの諸派との関係を論ずることは将来の独立の研究問題として保留しておきたい。