パウロ書簡
from 新約聖書パート
パウロ書簡
パウロは生前のイエスについては見向きもしなかった
イエスの死後はイエスに会ったと思い込んで自分の言葉は神の言葉と言わんばかりに威張り散らしている
これにより、パウロがキリスト教をねじ曲げたと言われている
自分自身が一番正しいと思い込んでおり、イエスのことを見てしまったばかりに他に比べて自分が優れていると思い込んでいる
分派争いが起きても自分が正義だからそれ以外は知らないというスタンス
ユダヤ教での割礼は拒否
エスカレートして割礼割礼言うならちんこを切り落とせよと手紙を送る
イエスが十字架にかけられてみんなの分もまとめて呪われてくれた
自分たちは律法と無縁の存在になったという考え
本来なら律法を守らなかったからイエスが死んだという話
犠牲になったから自分たちはオーケーと発想が飛躍
ヤハウェが人間に対して怒る
彼の大切なイエス・キリストを殺す (お供え)
すっきりして機嫌を直してくれた (許し)
新訳でのキリスト教がパウロによってこのような状態にされている
ヤハウェが狂っているようにしか見えない
いつも通りか
ユダヤ教では牛やら羊やらを飼ってお供えする必要がある
キリスト教はイエスがお供えになってくれたから信徒の負担はなし
タダだったから一気に布教した。
ゆるいから広まった浄土真宗も似たようなものかもしれない
律法に囚われるせいで人は救われないから何とかしようとしている
そのことで思い悩んでいた手記も見つかっている
かなり落ち込んだ状態にまで追い詰められていることが分かる
彼は彼なりに頑張っていたらしい
働こうとしない者は食べるべからず
終末がもう来ているぞと仕事を放り出す人間に対して釘を刺すために使われた言葉
曲解されて、鬱病のキリスト教徒が非難される問題も起きている