イン・ザ・ミドル
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『イン・ザ・ミドル』読書会用メモ
第1章 教えることを学ぶ
ワクワクして読み進めた。このような本の構成もあるのか!と思った。最初にアトウェル自身の歩みを書くことで、通常の一般的な国語教師がいかにして世界一のワークショップの実践者になっていったのかがわかる。それは、まさに一般的な国語教師がどのようにしてワークショップの実践者となるかを追体験させられるものだった。
p17「『私たちが教える論理が、 子どもたちが学ぶ論理と同じだとは限らない』〜この言葉を目にするたびに、私は立ち戻ります。生徒を観察すること、お決まりの教え方に疑問を抱くこと、そして、教室で何が起きているのか理解しようとすることに。」 → これが決定的に大切なのに、どうしてこれをしようとしてこなかったのか! 生徒が必要としていることを教えるべきだし、生徒が学ぶ姿に信頼を置くことが大切なのだ。
p28:アトウェルが、自分が教室をコントロールするのをやめたくなかった、というのはよく分かる。教員は時々、自分の思い通りに授業が進み、自分の狙った通りに説明ができて、生徒が発問に答えてくれると、しめしめと思うものだ。しかし、それは「正解当てゲーム」であり「教師の独演会」だ。その中で満足するのは教師一人であり、生徒の満足は忘れ去られている。
p31:ライティング・ワークショップのスタート。私も今年から本格的にWWを始めた。学生の変容に驚き。しかし、この本に書かれていることは、ワークショップの実践者なら共感できるが、実践していない人には難しいのではないか? ワークショップの実践者にとって、この本に書かれていることはほとんど理想郷。とんでもない高みにある姿だ。しかし、実践していない人には、この生徒の変容やそれを見出すことの喜びを味わうことが難しいのではないか。
p35〜:「譲り渡す」=責任の移行モデルの「教師がガイドする」と「協働学習」と「生徒個々の学習」とが同時進行的に実践されている状態?
p36「ワークショップで譲り渡すとはどういうことでしょうか? 〜私の書くことについての知識を教室に持ち込むことなのでした。」:アトウェルは「教え」ている。そして、それが定着するよう、かなり強烈に仕掛けを設けている。決して、生徒の自主性任せのアナーキーな実践ではない。
p45「読むことも書くことも、自分で選択できるからこそ、生徒は学びに夢中になれる、私はそう信じています。ですから、国語教師としての私の責任は、すべての生徒が文学に夢中になれるように招き、育て、その状態を維持することに向けられます。」:「選択」の勝ち、重要性を信じているからこそ、生徒が「選択」できる環境を整えようと努力している。
p48:「リーディング・ゾーン」の重要性、「ただ楽しだけの読書とリーディング・ワークショップを分けているもの、それは結局のところ、私から生徒への「譲り渡し」だと言えるでしょう。」:RWで譲り渡されるものはRWの章へ
第2章 ワークショップの準備
p56:グレイヴズの言葉「君の授業は、最高に手順が整っているんだ。〜いいかい、手順が整っていない限り、この教え方で書くことを教えるのは無理なんだよ。これは生徒が自由に学ぶ授業ではないからね。」
p57「ワークショップの教師は、クラス全体に教えることと、25人やそれ以上の生徒それぞれが学ぶこと、この両方をサポートできるように、学ぶ場と教え方を構築しなければなりません。ここでの「手順を整える」とは、生徒が書き手と読み手として成長するために、一人ひとり、それぞれのニーズを明らかにし、それを満たせる機会を十分に提供することです。その場とは、生徒が授業の中でやることをわかっており、安心して挑戦できる場を意味します。」:う〜む、私は127名が書くことと読むことを学ぶ手順をきちんと提供しているだろうか?
p60:澤田さんの手順の例 → 40人学級での手順 127人を相手にする場合の手順というのがあるだろう。また、一般の学校では何よりも「時間の確保」が深刻な課題である。どのような方法が考えられるか? 週1回の実施? 進学校でできるか? ある時期に集中してやる? 現代文と古典とを合わせて。同僚教師への説得と協力が不可欠。『イン・ザ・ミドル』の校内読書会をするか。
それでも、目の前にいる生徒の書く力や読む力を伸ばすのは国語教師としての至上命題である。それぞれの学校の実態に即した、実践の方法があるはず。小学校での実践はいくつかある。大学もある。中学校は? 高校は? 進学校では?
高校の英語でのWWの例はある。国語ではどうか?
自分が高校生の頃、現代文の教師が中島敦の『李陵』の文庫本をクラス人数分持ち込み、1コマまるまる読ませてくれた。その時、自分はリーディング・ゾーンに入ることができ、気がつくと時間が経っていた。その経験はずーーっと覚えている。
p68〜69:50分授業の場合のWW、RWの例を参考にして、ある時期(試験終了後の1ヶ月など)に集中して行うか。
いずれにせよ、校内での理解が必要。そのためには、指導計画の明確化、評価方法の明確化、ワークショップの意義と成果の実例、が必要。
早通中学校では、以前は1ヶ月集中してRWを行なっていた。現在は週1の実践だそう。違いはどうか?
p74〜:パソコンの使用について。今日でWWを行うには、パソコンの使用が現実的である。ポートフォリオもクラウド上で実現できそう。しかし、推敲過程を残すことや、言葉遣いのチェック・アドバイスをするには難しいか。紙に印刷する工程も必要か?
p79:ピア・カンファランスの場所について。普段は静けさが不可欠だ、という記述は重要。何をしても良い、というわけではない。ピア・カンファランスをしたい者には、それ専用の場所を用意する。なるほど。
p80:学校図書館との連携、協力が不可欠。p81「各学期の終わり、教師は受け持ちの生徒に、自分の読んだ本の記録を振り返って上の質問の答えになる新しい本があるかどうかを尋ねます。」:生徒のお勧め本を推薦してもらい、そのリストを作成して、生徒に配布する。同時に、その本を図書館に入れてもらい、専用書架に配架する。
p84〜:ワークショップに必要な用紙の種類の多さ! それを学年の始まる前に全て用意しておく。
p86「今日の予定表」:Googleスプレッドシートを使い、学生にRWの授業の始まる前に書き込んでおいてもらうか? 教員はそれを見て、カンファランスする学生の目星をつける。もちろん、「チェック・イン表」の前回記録も参考にしながら。
第3章 ワークショップ開始
p123:読むことアンケートを参考にして、後期の授業開始時にアンケートを取るか。内容は実態に合わせたものにすべき。
p130:自分の題材リストを広げるためにもWWの参考になる。
p133:「マーカーの伝説」がよくわからなかった。p132「7・8年生にとってはステータスになる色もあるくらい」とはどういうこと?
p143:リーディング・ワークショップ開始で、「全員が、毎日、「リーディング・ゾーン」に入ってそこにとどまるのが目標」というのはすごい! でも、それを目指すべきだ。そのためには「本だけを読むこと、楽しめない本は読むのをやめること、静かに読むこと、邪魔されずにとどまれるようにすること」という強調点は大切である。
第4章 書き手を育てるミニ・レッスン
p157「私は7年生と8年生の異年齢クラスを教えているので、ミニ・レッスンは2年間で一つのサイクルとなります」:K〜6年生では「毎年必ず教える、書き手が使う技、トピック、書き言葉の慣習」は重ならないのか? 各担当の教師にミニ・レッスンの内容は任されているのか? 年齢間の連絡、教師間の連絡はあるのか?
p161:ワークショップ・ノートに書き込んで行くことで、生徒が書くこと/読むことの教科書を自分で作って行くような感じ?
p166:教師が書くプロセスを見せる → 学生は、自分たちの書く時間が少なくなる!と訴えていたので、ミニ・レッスンの時間を少なくしてしまった。しかし、教師が書くことで、学生に要求していることの意味を理解できるし、学生は書くことの具体例を目の当たりにできるので、一石二鳥!
p175:「それで?の法則」→ これはいい!
p179:「頭と心の法則」→ これも学生の悩むところ
p182:「一粒の小石の法則」→ これもいい!
p186:「メモ書きの法則」→ これも学生に意識させたい
p192:題名の工夫 → これも学生に考えさせたいところ
これら、自分で法則の名前をつけるのは良いかも。学生に名付けさせるか。
第5章 読み手を育てるミニ・レッスン
p208:読むことについてのミニ・レッスン
リーディング・ゾーンに入ることは教えたい
選書方法、選書の基準
合わない本のやめ方
読者の権利10か条は示しているが、学生はあまり意識しない
優れた読み手として計画的に読むことはさせたい
お気に入りの本、作家等を見出すのが読書家としての自分をどのように作っていくのか:これは大切かも
文章の種類による読み方の変化、読むペースの変化などはもう少ししっかりと教えたい
共通テストの「読解」部分への対応方法:日本のセンター試験に対応させるにはなかなか難しい。日本には古文・漢文がある
第6章 一人ひとりの書き手を教える
p248:ライティング・ワークショップでのカンファランスのガイドライン
「時間に注意し、教師は教室のすべての書き手の学びに責任があることを忘れないでください」:これを意識している教師はどれくらいいるだろうか? 30分間で12名とカンファランス! すごい! しかし、少人数で、一人ひとりをよく知っているからこそ一人ひとりをよく知っているからこそできるであろうこと。日本の教室の現状に合わせて、なんとか妥協点を見出していかなければならない。
p260:終わり方がうまくいかない、p263:書き出しがうまくいかない → 学生もそれを悩む。個々に対応したり、ミニ・レッスンで扱ったりしている。
p274「執筆途中の作品について生徒と会話することは、国語教師としての私のあり方に画期的な変化をもたらしました。どうやって若い書き手たちをサポートすればよいのかを把握するのはしばらく時間がかかりましたが、カンファランスが極めて効果的だということは明らかです。教師人生で一生ものの教え方です。経験を積むことで上手になっていきます。」
第7章 一人ひとりの読み手を教える
p279:RWではカンファランスではなくて「チェック・イン」。そう変えた理由が興味深い。どうしても教師は教えたがる。
p280〜:チェック・インの様子がよくわかる。しかし、アトウェルのしていることは単にリーディング・ゾーンに入っているかどうかの確認だけではなさそう。生徒が読んでいる本のほとんど全てについてアトウェルが知っているのがすごい。知らない本は、次に知るように努力している。生徒が読んでいる本についての知識は不可欠か? 確かに、その方が深いカンファランスができそうだが……。
p292:レター・エッセイを3週間に1回書かせる。うーん、毎日RWをやっているから可能なのだろう。私の場合、どうする?
レター・エッセイが文芸批評になるように注意させる
第8章 価値を認める・評価する
自己評価:教師がミニ・レッスンやカンファランスで教えたことと自己評価することの項目が一致している。当たり前のことだが、それを日本の国語教師はやっているか? 一致していてこそ、自己評価が生きてくる。
p330:教師による評価も同じこと。日々の授業で教えていることを生徒がどの程度身につけたか、それを評価している。日本の国語教師は実に読むこと/書くことについての生徒の能力のごくごく一面しか評価していない。授業中に扱ったことの評価、という点では公正かもしれないが、それならば作文はどう評価する? 生徒が書く内容は全く自分が教えたこととは違う。よく評価できるね。
p343「ワークショップでの評価は、読み手と書き手に焦点をあてます。そして教師がどうやって彼らを励まして成長を促し、次によりよく取り組む方法を伝えるのかを、評価の中心に据えるのです。」