20200603 意見の分かれる問いはむしろ生徒に聞こう!
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ご近所の家の前に咲いていたポピー(別名「コクリコ」!)いいなぁー。
非常勤の授業の1つでは学生に模擬授業をさせている。今日は古典(古文)の授業,伊勢物語「芥川」である。この文章はいろいろと料理のできる優れた教材なので,学生の取り組みが楽しみだった。結果として,これまた健闘してくれた。遠隔授業というハンディを負っている中で,ワードで解説の資料を作成してくれ,それを画面共有して生徒役に示していた。学生が自発的に画面共有をしたのは今回が初めて。いやぁ,良かった! こうして誰かが実践してくれれば,次の人のヒントになる。こうして遠隔での模擬授業のスキルが少しずつ蓄積されていく。良いことであった。
惜しむらくは,文章の解釈の場面で,2通りの解釈ができる箇所を教員役がさらりと解説してしまったことだ。解釈が難しいところなので,教員側で説明するのが必要だと考えてのことなのだろう。しかし私は,そういう解釈が難しい箇所こそ生徒に意見を求めるべきだと思う。
「はや夜も明けなむ。」という箇所である。この「明けなむ」の「なむ」は願望の終助詞か,完了の未然+推量=強意か,解釈が分かれると思う。何故なら,語形だけではどちらでも矛盾ないからだ。そうするとこの解釈を決定するには別の要素との比較検討が必要になる。「はや」という語の意味,さらには前後の文意から願望か強意かを決定しなければならない。これこそは生徒に問うべきである。そして,生徒がそう考えた理由を言わせ,その解釈の正当性を主張させる。もし生徒から一方の解釈しか出てこないなら,あえて別の解釈を提示して,何故そうではないのかを考えさせる。そうして,文法の知識及び前後の文脈から解釈を決定していくという過程をともに体験させるのだ。
これは,この教材ではない別の文章を読まざるを得なくなった時に役立つだろう。そして,古典の解釈の目的とはそういうものだ。生徒が自分で古典の文章を読む時に,誤解することなく文意をたどる力をつけてやらなければならない。決して,「芥川」さえちゃんと解釈できればそれでいい,という問題ではない。
それにしても,やはり古典は良いなぁ。世の国語教師で古典好きが多いのがよくわかる。話せることがいっぱいあるからだ。しかし,教師の持っている知識をひけらかすことができるという理由で好きであってはどんなものか。それを生徒に体験させ,生徒に自ら考えさせることのできる箇所が多いから好きだ,というものであって欲しい。久しぶりの古典の授業で,私は燃えた!(^_^)