20200513 模擬授業の準備
新潟大学の非常勤の授業の1つ,国語科教育法Ⅲは模擬授業を学生にやらせようとしている。先週までに各自の指導案を作成させ,メールで送付してもらった。それに対してコメントを一人ひとりにして,学生全員が他の人の指導案も見られるようにした。3つの教材のそれぞれに2〜3名が担当するので,本来なら同じ教材を担当する者の指導案が見られれば良いだろう。しかし,他の教材を扱う者へのコメントもきっと役に立つと思ったので,全員が全員分の指導案を見られるようにした。結構辛口のコメントになってしまったのだが,はてさて,学生たちはこれをどう受け止めてくれるだろうか。
まだ授業の経験がない(または浅い)学生たちだから当然なのだけれど,提出された指導案のほとんどは,教師からの説明が主要な部分を占めていたりする。また,生徒のグループワークを計画していても,いきなり「さあ,話し合ってください」と指示したりしているものだった。机上の案では,それで生徒たちはすぐに話し合いに向かい,活発に議論をすると思ってしまう。しかし,現場の教室では「話し合ってください」と言って話し合いを始めることはほとんどない。もしくは数分で終わってしまう。ディスカッションをするためには準備が必要なのだという,考えれば当然のことがまだ想像できていない。
もちろん,当たり前のことである。そもそも私もこれに類する失敗を数多く重ねてきた。それを客観視できる今だからこそ言えるものだ。だから,学生たちの初発の指導案の不備を責めることはできない。むしろ,よくもまあここまで形にしてきたものだと,褒めるべきレベルである。やはり,辛口コメントばかりでなく,もっと褒めるべきだったかなぁ。いかんいかん。
話し合いを成立させるためには,生徒一人ひとりに意見を持たせる準備が必要だ。そのためには,①そもそも「考えたい!」「面白そう!」と思えるような質問を設定しなければならない。②そして,質問に答える十分な時間を確保することが必要だ。③さらに,考えを誘発するような補助資料が必要かもしれない。これだけの準備をして,初めて生徒は思索の翼を広げることができるだろう。教師のすることは生徒が考えることのできる問いと場を備えること。それがしっかり備えられたら,生徒は勝手にどんどんと学んでいく。自分で本文から根拠を探し,話し合いを始める。場を整え,生徒が動き出したら,あとは一緒になって面白がれば良いのだ。
次の動画はとても参考になる。
この数学の教師は問いを与え,生徒がそれに取り組むのを見守るだけ。いや,生徒に寄り添い,ともに考え,ともに楽しんでいるのだ。教師が考えることを楽しんでいるから,子どもたちも考え始める。教師が「教える」なんてとんでもない。教師は「一緒に勉強する人」であれば十分である。
そんな授業をする,その端緒でも学生たちが見つけてくれれば,私としては日々悩み苦しんでいる甲斐がある,というものである。