20181015-2:成蹊大学・塩澤先生の授業訪問
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(授業の後で連れて行っていただいた天丼屋さんでのお食事。いやぁ、美味しかっったです。)
成蹊大学法学部の塩澤一洋先生の授業3つを見学した。かねてからBlogを拝読して、まさにこれこそアクティブ・ラーニングだと思っており、とても関心を持っていた。しかし、その実際はどんな授業なのだろうと思い、今回はお願いして授業を見せていただいた。今回は東京大学の他の先生や大学院生、OB・OGの方々も参加されており、それらの方々とのお話もとても参考になった。 最初の3限は1年生のゼミ形式の授業である。このゼミは成績優秀な学生が選抜されているクラスで、前回の授業で実際の司法試験の問題の解答案を各自で作成し、それを3〜4人グループでブラッシュアップしておいて、この時間で発表する、という形式だった。授業が始まっても、司会進行は学生である。誰がするかということも学生が決める。先生は何も指示をしない。ゼミは学生のもの、という意識が浸透していると感じた。グループの発表に対して、Shio先生が時折コメントを加えたり、「いいね」と受け止めたりしている。そのうち、学生が発表した内容の不備な点についてアドリブで質問をし、学生全員に考えさせ、その根拠の元となる条文を確認させたりしていた。この討論の中でわかったことは、学生が自分でノートにとっていた。Shio先生は決して「ノートに取れ」という指示は出さない。それでも学生は自分で必要と思ったらノートに書いていた。
そして、これらの討議の全てはScrapboxで共有されていた。学生は各自でScrapboxに自分の解答を上げておき、グループで事前にScrapboxを介して解答を検討している。それをAppleTVを通してスクリーンに映し出しながら発表する。そこで行われる討議について議事録を書く学生が決められ、同じくScrapbox上に議事録が共有された形で書き込まれていく。よって、他の学生がコメントを加えれば、それも反映されていくわけだ。これは素晴らしいと思った。自分たちの討議の内容は、今目の前で更新されているScrapboxの議事録を見ればわかるのだから、討議の内容を後に戻ることもできるし、何より全員の解答が共有される。それを参照するのも容易である。
Shio先生によれば、法学という学問は解答のない問題に取り組むことであり、各自の考えが価値がある、とのことだった。そこで、各自の考えをScrapboxで共有し、互いにコメントし合うことにより、学生が勝手に学んでいく流れを作っている。これはいいね! 保育における事例についての検討も、まさに解答のない問題である。様々な対応法があるだろうし、正解などはあり得ない。そうした事例検討の場面はShio先生のこのゼミの授業と同じ種類の問題を扱うことになるのだと気付いた。これは大きな収穫だった。
4限は大教室での民法1の授業である。1年生向けで、およそ150名が受講する。事前に前回の授業でのオピニオン・ペーパーを教室の後ろに置いておくことで、学生が各自で持っていくようにしていた。そして授業が始まってもざわついている教室の前で、Shio先生は学生が自分で静かになるのを待っていた。3、4分間くらいかかったろうか、静かになったところで授業開始。最初に前回の授業の振り返りをした。学生に質問をし、前の席に座っている学生が挙手をする。各列の前にはマイクが用意されていた。これはいいね。大教室で学生の声を拾うには必須のものであろう。しばらく、学生との問答で進んでいく。話題についての立場を学生に問い、その理由を問うて挙手をさせる。解答に対しては「同感の人?」と尋ねて学生の態度を確認していた。
次にオピニオン・ペーパーに記された学生の授業への感想をスクリーンに一つ一つ映し出して、一つ一つにコメントしていった。これはすごいと思った。どの感想にも必ずコメントをする。時に、その話題について長く話しをしたりする。3、40くらいあったろうか。雑談の時間でもあり、学問につながる話でもあり、自分の感想がこうして授業の中で紹介され、コメントされていくのは学生にとって嬉しいことだろう。
次に前回のレビューである。これは前回の授業内容の復習であり、学生が自分で重要だと思って書き留めたものを一人一人が挙手をして、発言していった。これに対してShio先生も一つ一つにコメントしたり、確認したり、修正したりしていた。これも良い方法だ。前回の授業の内容を学生全員で確認できる。そして、これらの発言は学生によってカウントされ、この発言回数が授業への貢献として評価される。この指名は、前の席に座っている学生に優先権がある。こうすることによって、意欲のある学生は自然に前の席に座るし、そうでない学生は後ろにいる、ということになる。いやぁ、よく考えられた手法である。
ここまでで35分間経過。ここから今日のトピックに入る。民法の基礎について、条文の内容の意味を根元から考えさせる内容のものだった。民法の構造を考えさせたり、条文の語句一つ一つの意味を確認させたりしていた。それを全て、学生との問答形式で行っていた。語句の意味について、学生に答えさせる。様々な回答があるが、それを全て拾い上げ、より良い解答を引き出そうとしていく。Shio先生は「教育は教えない、学生から引き出すこと」と後で語ってくださった。なるほどの授業展開である。その間、ほとんど板書はしない。時折、iPadの画面をスクリーンに映し出したものに(GENBAノートかな)書き込みをしたり、条文をすぐにコピペして要素に分解し、それらの意味について学生に確認させる箇所を示すのに用いていた。そのShio先生の話しを、学生は自分で判断してノートに書いている。書くこと=考えることということで、書くことによって考えを促している。決して板書して「これを書け」という指示はしない。学生との問答、特に学生から解答を引き出すことによって授業を組み立てていき、学生はその中から自分で重要なことをまとめ、書いて考えている。よって、自分の考えを書く足跡を残すために、書くのはペン書きを要求する。面白かった。
私は一番後ろの席に座り、時折前に行って学生の様子を見ていた。後ろに座った学生は、中には何もしていなかったり、居眠りをしていたりするものも確かにいた。ノートの記述量も前に座った学生よりも少なかった。しかし、それはそれぞれの学びの姿勢によるのだろう。自ら考えようとする学生にはたまらない形式の授業であろう。
5限は1年生のゼミ、著作権法の判例研究の内容である。14名の授業である。前回の授業で、Shio先生からお題が出ている。それについて各グループで判例を探し、良い判例についての考察をしてくる。これらをScrapbox上でグループで共同作業をしておき、結果について発表して質疑応答をゼミ同士で行う、というものである。Scrapboxに自分たちのグループの検討結果を書いて共有しておくことで、レジュメを用意する必要がない。これは良い方法だと思った。
そして、この授業に驚いた。始まりから最後近くまで、全て学生が運営し、司会進行し、グループでの考えを発表し、それに対して検討し、その後で全体で討議していた。それを全てScrapboxで議事録を書きながら共有し、自分たちで他の考えの矛盾点を指摘したり、足りないところを補ったりしていた。この間、およそ1時間以上、Shio先生は一言も発しない。全て学生に任せている。しかし、もちろん議論の行方は聞いておられ、最後に学生たちの考えの不備な点を指摘し、より根源的なことを指摘して、それを次の授業でのお題としていた。うーむ、こうした授業もできるのだなぁ。
3つの授業を見学して、とにかく学生たちが主体的に動いているのに驚いた。そこで、このように学生が動くためのトレーニングが必要だったのではないかとShio先生に尋ねたところ、トレーニングはしていないとのことだった。その代わりに、モチベーションを高めるということだ。学生の発言はとにかく褒める。受け入れて褒める。おかしな発言でも受け入れる。また、上に書いた授業の仕組みにより、学生の授業への参加のモチベーションが上がるようになっている。参加したいと思わせるような授業をすることで、自然と学生が主体的に動く、というわけだ。これにも驚かされ、気付かされた点だった。
授業が終わり、Shio先生とともに参加者で夕食を食べに行った。おいしい天丼屋さんだった。その時のお話もとても刺激的だった。同じ見学者であった東大の助教の方の反応やご意見が新鮮で、その発言からも様々なことを考えさせられた。さて、この授業のような授業をどうやって自分で展開できるだろうか。できるところからやっていきたい。総じて、Shio先生の授業はソクラテスの産婆術の授業であった。問答により、学生自身から考えを引き出すことを大切にする。モチベーションを上げる工夫をして、学生を主体的に参加させる。こうしたところから自分の授業に生かしていきたいものだ。
〈追記〉私が訪問した際のことを塩澤先生もご自身のblogに書いてくださった。合わせて読んでくださると、先生の授業の良さがより一層理解できるだろう。