ある友人
同時並行が得意で情緒的であり、機械に弱くないけれど難しいことを考えたくないタイプ。
ちょっとした科学の話(理論、学問)の話をしたらすごく嫌がるので驚いてしまった。
私は理屈の話が好きなのでその意味では彼とは違う。
"知に働けば角が立つ、情に棹させば流される"
と言ったもので、今はバランスが大事だと考えている。
どちらも良し悪しだと思う。
誰かと一緒にいる時に
情緒的プロセスを楽しむ人と
身体感覚、状況の変化を楽しむ人がいるが
彼は後者でその部分も合わないと言えるだろう。
死生観、人生観も違う。口論に近いこともした。
また彼は違う人間が好きでないらしい。
私は違う人間が好きだけれど健全な自己肯定感を持っていればそうならないのだろうか?
他人に責任を持つとしきりに言っていたが、自分と違う他者の判断にどう責任を持つというのだろうか…?
私ができることは自身の行いに責任を持つこと
自分の考えを上手く伝えることだけであって
他人の行動をコントロールしたいという欲求ではないか?と思う。
極端に嫌いな人間がいる(声、容姿)とか
よく一目惚れするとかがあるらしい。
理解できない…
自分は中身と対話ができるから好きになる。
普通に話していても理屈が嫌い。
だから何?となるらしく合わない。
新規性追求がなさ過ぎるとつまらないし
意見の否定を人格の否定と取らない様にしているけどやっぱりしんどいし、向こうもこちらも消耗する。
あとは言葉の使い方が違いすぎてストレスが高まる。
断定的に話をするし、言葉も感情的で疲れるし合わないんだなぁと。
かなり高レベルで合わない人なのかも。