『「ひとりで頑張る自分」を休ませる本』
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41zGfElQ4LL._SX346_BO1,204,203,200_.jpg
人間関係が苦しくなる原因の中でもとても大切なのが恒常性 個人の体内ホルモンバランスだけでなく、人間関係でも「恒常性」が働いている
あなたが周りを気遣う「いい人」になると、相手は「悪い人」になってあなたを振り回してバランスを取ろうとする
誰かの「快・不快」に気を遣ってしまうと、とたんに自分の「快・不快」がおざなりになってしまうからストレスが溜まる
「いい人」は、ほかの人たちのように「快・不快」で動いていないので、みんなと一緒に笑っても自分の「快」から出た笑顔でないから、「作り笑顔」になる。それが「嘘くさい」と思われてしまい、「本音を出さない人」と受け止められて、「浮いてしまう」状態ができあがる。
相手の「快・不快」を想像して行動している「いい人」は、他の人から見ると「快・不快」の反応がわからないので、「同じ人間として認識されない」
機械と同じ。コピー機が指定された枚数だけコピーしても感謝されない。なぜなら、コピー機に感謝しても「快」という感覚が返ってこないから。
周りの人の「快・不快」スイッチを中心に動いてしまうと、「アトリビューション・エラー」(根本的な帰属の誤り)が生まれてしまう
話しているときに誰かがあくびをしたら、その人はただ眠いだけなのに、「私の話が退屈だと思ってる」と間違った原因を考えて悩みを作ってしまう
相手の「快・不快」の原因は相手にしかわからないのに、それを勝手に推測してしまうと「エラー」を起こしてどんどん悩みが増える
「いい人」は「エラー」を起こしているのにもかかわらず、「自分は相手の気持ちを読むのが得意」と信じてしまうので、「相手の不快を消すためにはどうしたらいいのだろう?」と悩んで、自分なりの解決策を考え出そうとする
脳がストレスで帯電すると「自分はなんでも分かる! なんでもできる!」という万能感が湧いてくる
「いい人」が電車やレストランなどで全然知らない人に絡まれたりトラブルに巻き込まれたりするのは、ストレスで帯電している脳のせい。
「いい人」になってしまう原因は、幼少期に「母親が大変な目にあっている姿」を目撃していることが多い
いろんな不幸な人、いら立ってる人を見たときに、母親と重ねてしまい「救わなければ」となって「いい人」を演じてしまうようになる
「いい人」になれば母親から愛されるかもしれないと思うが、いくら努力しても母親から「愛」は返ってこない
自ら進んで「いい人」になってしまう人は「周りを自分と同じような『いい人』だとは思えない」という可能性がある
自分には何の価値もないから、いい人になってちょっとでも人の役に立たなければいけないという感覚
「自分のせいで、あの人が悲しんでいる」「不快にさせてしまった」「みんなに迷惑をかけている」「自分のせいで、あの人が大変な目にあってしまった」と、人の感情や不幸の責任を感じることは、実は万能感
「万能感を許す」と唱えると、助けが必要だと思っていた友人も自分と同じ人間で、自分が手を出す必要なんかちっともないとわかる
「他人の力に乗っかる!」と唱えると、「みんなすごいからいか!」と仕事を任せて生き生きとした生活が送れるように変わる
「不快」と感じても「相手に伝えたらかわいそう」ととっさに考えてしまうから、笑顔になってしまい、不快がそのまま脳にたまってしまう
「いい人」が「笑顔をやめてしまったら、他人に不快感を与えてしまう」と思っているのは、相手を信用していないから
つくり笑顔をやめるには、「安心感」と頭の中で唱える
本当の自分じゃない性格を演じそうになったら、「相手に対する怒りを感じる」トレーニングをする。
相手に直接的に表現する必要はない。頭の中で辛辣なダメ出しをするトレーニング
「いい人」は、自分が感謝されなくても犠牲になってもいいから少しでも相手が幸せになってほしい、とまじめに願っている。ところが、「いい人」が自分を犠牲にして相手を助けても、「相手はちっとも幸せにならない」
求められてもいないのに手を差し出してしまって自己嫌悪に苛まれたら「自分は余計なことをしたんだな!」と潔く認めて、でも反省はしないこと。
「人のために何ができるのかな?」といつものように考え始めたら、まっさきに「自分は輝く星」と脳に呼びかける
「いい人」が世界の中心になって、幸せにならなければ、相手は輝くことがない
自分が「不快」なことはしない
自分の中心にいけばいくほど嫉妬されなくなる
相手は嫌っているんじゃなくて、「嫉妬の発作を起こしているだけ」
「私が間違っているのかも?」と落ち込んだり、不安になって不快にまみれていたら「嫉妬されてる」
そんなときは相手の話を聞くのではなく、足の裏の感覚に注意を向けると、嫉妬の電気ショックをやり過ごすことができ、「怒りと反省」の行き来の苦しみを味わう必要がなくなる
「嫌いは嫌い!」という自分の感情を大切にしてあげる