反逆の神話
反逆の神話
美的判断はつねに差異の問題である。
下等なものと上等なものを区別することだ。したがって、趣味のよさの多くは否定形で、 「・・・・・・ではない」という言葉で規定されている。
社会の上層の人たちが美的に下等な財をあえて消費する場合は、とても皮肉なしかたでーこの財が悪趣味だと当人はわかっていると周知させるようにすることが不可欠だ。これがキッチュの本質である。
バーバリーはかつて「あこがれ」のブランドであり、上層と下層を差異化させるアイテムであった。
しかしバーバリーは主流になりすぎて差異のもととして機能しなくなった。
これは所謂「ブランド」の話だが、実はこの構造はカウンターカルチャーにもある。
カウンターカルチャーの反逆――「主流」社会の規範の拒絶は大きな差異のもととなった。個人主義が尊ばれ、順応が見下される社会では、「反逆者」であることは新たなあこがれの種類となる。
誰もが反逆者になれるわけではないことだ。みんながカウンターカルチャーに加わったら、カウンターカルチャーが単一文化になってしまう(だからカウンターカルチャーの様式は非常に排他的なものとして始まる)。そこで反逆者は差異を回復するために、新しいカウンターカルチャーを創出しなければならない(「オルタナティブ」のモデルチェンジ)。
カウンターカルチャーは常に差異を作り出していくわけだが、実はこれが競争的消費の主な駆動力になっている。
『ジャッカス』のアングラなスケートボード精神→MTV、ナイキ、スケートパーク
これは大企業の、サブカルチャーの取り込みではない→単なる大衆の要求への対応である