会話
会話
会話の分類
王位に正当性・非正当性があるように、会話における話題にも正当性・非正当性がある場合がある。だが、そもそもそれが問題にならないケースもある。どういうことだろうか。
例えば、はじめから議題を決めた真剣な議論においては、ふざけた脱線は正当なものとして認められない。それは注意を受け、ひどい場合にはその場から追い出されることになる。だが、友だち同士の雑談では、ひどい話題変更でも「いきなりなんだよ」で済まされることも多い。このように、会話における話題の設定について、その正当性について、問題になるケースとならないケースとがある。前者を議論と呼び、後者を雑談と呼んでみてもいい。
こういった分類の効用
ルールを定めやすい
細かなニーズに応えやすくなる
人と話したいとき、その人じゃないと意味がないという場合もあるし、その人とこそ話したいという場合もある。その人とであれば、真面目な話でもふざけた話でも楽しめる。そういう場合もある。一方で、誰でもいいから特定の話題について話したい場合もある。知ってる人でも知らない人でも関係ない。とにかく、あることについて話したい。あるいは、とにかくふざけて気を紛らわせたい時もある。そんなとき、真面目な話なんてされたら、そんな人は追い出してしまうかもしれない。あるいは、時には、一方的に誰かに向かって話をしたい場合がある。逆も然り。ただ誰かの話を聴いていたいときもある。
話題の正当性が問題になるか否かという点においては、議論と雑談は排中の関係にある。DiscordのVCで喩えれば、それらはチャンネルを分けるべき関係にある。この関係をVCルールに盛り込むという観点からすれば、こういった分類は全く無意味というわけでもない。
プログラム型雑談
話題明確型雑談
話題を提示するのが望ましい
話題が変わるときはそれを明示する
話題不明確型雑談
連想型
内容的には連絡がないが、言葉の端などから連想された話題が連なる
とりとめのない話がだらだらと続く
話題の正当性が
問われる > 厳粛型議論
そこに参加している人は承認している:変な話をしたら「いまそんな話してないだろ」と叱られても仕方がない、と。
問われない > 連想型雑談
ピダハン的会話:全員が同時に語る
呟きの間:ぽつぽつと呟きが言われる
私たちはある程度において話題に無関心であるからこそ、あらゆる話題に等価値を認めることができる。議論の場合、この態度は、司会の機能としてはあまり良くない場合もある。雑談の場合は、歓迎されるものともなるだろう。
会話
一時期、相手と瞬発的に話してばかりいたころがあった。けっこう感触は悪くなかった。さすがにネットでそれをしたことはない。瞬発的な反応、会話、感情をよく覚えておければ楽しいだろう。……忘れてしまう。