プロトコル
from ノート(てじ)
プロトコル
関連:/arpla/アープラノート・プロトコルの開発
Scrapboxプロジェクトでもなんでもいいが、プロトコルは便利だ。
プロトコルは自由な利用を制限するものである。
例えば、〈ユーザーは参加後、「ユーザー(USERNAME)」というページを作り、そのページをピン留めする〉ということはプロトコルの例だ。
プロトコルを定めることで、グループにおける共通の意味がはっきりと定められる。
プロトコルを定めない場合、例えばピン留めの場合、ピン留めされたページの意味は「なんか大事」とか「なんか重要」とか「なんか読んでほしい」とか「自分がよく使う」とか「今盛り上がっている話題」とか、意味があやふやになる。これはこれで悪いことではない。一方、ピン留めのルールを明確に定めた場合、《ピン留め=ノートページ》という共通見解を作ることができる。この共通見解はUserCSSによって強化することができる。
しかし、こういったプロトコルを定めた場合でも、ぜんぜんその規約から外れたページをピン留めすることはできる。するとそのページは、〈ノートページではないがピン留めされた特殊なページ〉と見なされるだろう。これを許容するか否かは、プロジェクトによる。
つまり、プロトコルはルールというほど厳しいものではないし、ある特定の行為をさせるものというわけでもない。むしろ、参加者相互が共有できる〈共有意味〉を創出することができるという機能がある。
例えば、
〈ノートページでジャンル分けできないようなメモや呟きのタイトルは「メモ」にする〉というプロトコルを定めると、それの切り出しがひとつのページに集まっていくことになる。
これをしない場合、各自がそれぞれ、タイトルづけできないメモのタイトルは「メモ」とする人もいれば「memo」とする人もいて、「呟き」という人もいれば、「hoge」とする人もいる。こうなった場合、少なくとも、切り出したときにはそれらはバラバラになる。これにはメリットもあるが、仮に〈ユーザーそれぞれのジャンル不問のメモがひとつのページに集まれば面白いな〉という意図があり、これを実現させようとした場合、あらかじめプロトコルを定めておけばその意図通りになる確率は高くなる。
しかし、そもそもメモを切り出すかどうかは分からないし、「メモ」なんて超やだ!僕は「めも」とひらがなで書く以外認めない!という人もいるかもしれない。ルールとして強制するようなことではない。だが、プロトコルを定めておけば、各自のノートにおける「メモ」というタイトルの下のテキストがいずれどうなるかの予測の確度は上がる。おそらくそれは、自分も「メモ」という名のしたに書いているテキストと同じページへと転送される定めであるだろう。
ポイントは、〈完全にユーザーに委ねない〉ということと〈ルールではない〉ということ、か?
from ノート(てじ)
プロトコル
プロトコルは機能化されていない概念を現実化しようとする
例
New pageは脱線を意味する(New pageの痕跡があるということは脱線があったということ)
プロトコルは規範を指示する
プロトコルが遵守されることで、遵守の痕跡に意味が生まれる
例
プロトコル:ページにリアクトするときは@[ページタイトル]と書きましょう
@[ページタイトル]と書かれているということは、そのページへのリアクションなのだ
※「@」には〈ページへのリアクション〉という意味はない
例
https://gyazo.com/0dcacb790db65fa8a369a1016e232ee0
プロトコル意味:from [ノート(てじ)]と書かれているということは、元々てじという人の〈ノートページ〉に書かれていたことを意味する。
この〈意味〉は、プロトコルがあるから理解可能になっている。
なお「ノート(てじ)」というページタイトルもまたある種のプロトコルにもとづくようにみえる
だが、「ノートのタイトルはノート(:USERNAME)とすること」というプロトコルはない
造語案
ローカルプロトコル:明文化されていないが複数の人が守っているプロトコル(?)
例
このプロジェクトの〈ノートページ〉のタイトルはノート(:USERNAME)とする。※そういうルールはない
反例:オンズルケスケスケス(オンズルケスケスケス)
ローカルプロトコルでは、その「違反」が問題にならない。そもそも違反ではない。
仮にプロトコル(明文化されたプロトコル)の場合、それに反するものは違反となる。
プライベートプロトコル:個人が勝手に守っているプロトコル(マイルール)
プロトコルとローカルプロトコルの峻別の重要性
公共的意味の典拠としてのプロトコル
公共的プロトコル意味は〈ルールブック〉に明記されている
ルールブックに明記されていないプロトコルはプロトコルではない