R・D・レイン
R・D・レイン
レインは、生物学的または精神的な器官ではなく環境が、病気の即座の引き金としての偶然の役割(精神病理の原因としての「ストレス原因モデル」)を果たすと考えた。都市型の家は、人格が鍛えられる坩堝であり、そこで病気が生まれるという説である。この病気の生成軌跡の再評価とそれに伴う治療の形の変化は、精神医療の主流とは全く対照的であった。レインは精神病の行動やスピーチを、その状況の中でだけ意味のある、象徴的な謎めいた言葉に包み込まれている、苦痛の有効な表現であるとして評価した。
ベイトソンと彼のチームが提唱した「ダブルバインド」仮説の見方を広げ、「狂った」過程、すなわち「両立しない結び目」で展開する非常に複雑な状況を記述する新しい概念を思いついた。
「反精神医学」らしい
精神疾患はおこる。その症状も多様である。けれどもそれは、たいていは他者とのかかわりの中でおこることであって、自己が自分自身を歪曲したわけではない。レインはこの「他者とのかかわり」を「境地」として名づけ、その境地は自己の中にあるのではなく、他者の中に発見できるものなのだとみなした。他者の中に境地が発見できなくなって、精神疾患がおこると考えた。
一方、レインらの反精神医学には批判も殺到した。精神医の努力を果たしていない、精神医学の科学性を理解していない、精神科病院を監獄のようにみなすのは誤解もはなはだしい、薬剤治療を試みもしないで否定するのはおかしい、そもそもレインやクーパーには精神疾患の原因をさぐろうとする意志がないのではないか……。
批判には当たっているところも含まれる。また、批判をした学界が目をつぶったところもある。それは「精神病のレッテルは社会統制である」とレインが強調した点だ。レインは精神医学がくりだす病名が、社会のスティグマとして機能し、心にトラウマを刻印させることに、闘いを挑んだのだった。