『春のこわいもの』川上未映子
6つの短編集。年齢も置かれた状況も違う彼女・彼らたちが暮らす日常に新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめる予感が満ちてくる。まるでウイルスが目に見えないところまで蔓延するように、日々の生活に潜む不安感が気配を消して背後ににじり寄ってくる。普段気にも留めなかった他人の視線や、言葉、仕草、それらが何らかの意味を持ってこちらに存在を主張してくる。そんな居心地の悪さと怖さを感じる短編集だった。
『青かける青』
・「ねえ、戻れない場所がいっせいに咲くときが、世界にはあるね。」
『あなたの鼻がもう少し高ければ』
・「誰にも頼まれてなどいないのに、あるいは自分で自分に課しているわけでもないのに、感想というのは常にやってくるからしんどいものだ。」
・「そのとき彼女はたしかにトヨとマリリンを見たけれど、ふたりの姿は目に映らない。」
『花瓶』
・「そういえば、世界の終わりという言葉はあるけれど、世界が老いるという言葉はある?」
『淋しくなったら電話をかけて』
・「ただ歩いているだけのことが何かどうしようもないものを、宛のないものをひきずっているようにしか思えない。しかもそれは自分のものでもない荷物なのだ。」
・「あるいはこういうものを来る日も来る日も書きつづけて人の目に触れさせることで、何かが加算されたりするのだろうか。何というか、神とか、そういうものにたいして。」
『ブルー・インク』
・「『書いてしまうと、残ってしまうから。』」
・「もし仮にいま、彼女が顔をあげて僕が勃起していることに気がついたとして、いったい何がまずいのか。そのことについて考えるべき何かがあるなら、それを考えるのは彼女のほうなんじゃないか。」
『娘について』
・「全神経を集中させて、ひとつの風も吹かなければ、誰かが訪ねてくることもない、開け放たれるひとつの窓もないこの場所に留まらせようとした。」