環境にいることを選択しているのは本人
環境によって求められるスキルは違うと思うが、その環境にいることを選択しているのは本人。
電車の専門家が、「僕は自分が目的地に辿り助ける程度に電車に詳しければいい」という話をしていたら、僕は「この人は、何かがあっていつものルートで目的地にたどり着けなくなった時に、全然役にたたなさそうだな」と思う。
専門家が専門家たる所以は、専門分野についての雑学を知っていて、イレギュラーケースに対応できることにあると思っている。専門分野についての雑学を持っていないとしたら、それは専門家とは呼ばれないと思う。 自分が生活の糧にしている本業で、何の専門家とも認定されないのであれば、それは悲しいことだと思う。
仕事だけで人生の幸福度は決まらないはずなので、良し悪しはわからない。少なくとも、仕事は粛々とこなし、何の専門家にもなろうとしていないものの幸せな家庭を築いている人はいるはずだろうし、そのような人が何らかの仕事の専門家として認定されている人よりも幸福度が高いことはあり得ると思う。