具体と抽象
#Philosophy
具体的な言葉を使って説明できない、もしくは手間がかかる場合に抽象的な言葉を使う。抽象的な言葉は便利な道具だ。
抽象化された言葉を使って説明するということは、その言葉が表す具体的な言葉全てに対してその説明の道理が通っている必要があるということだ。
抽象と具体の狭間は何か。
「〜を具体的に述べよ」と言われた時に述べることができる場合、その言葉は抽象的な言葉である。逆に、述べることができない場合は具体的な言葉である。なので恐らく、抽象と具体の関係はN分木構造で表現可能だ。この場合、具体ノードは木の葉になり、それ以外のノードは抽象ノードになる。
この木の具体例として、ファイルとフォルダの関係が挙げられる。ファイルが具体ノードでフォルダが抽象ノードとなる。
ここで発覚するのは、具体と抽象の関係はN分木構造で表せるが、抽象ノードは具体ノードでもあるということだ。さらに、具体ノードは実は抽象ノードだったということもあり得る。
これが僕の確かめたかったことだ。
つまり、抽象と具体の関係は絶対的なものではなく、相対的なものであるということだ。
この世に木の葉のようなものは存在するのだろうか。世界をある枠組みに限定すれば存在すると考える。
例えばファイルとフォルダの関係であれば、ファイルは確かに木の葉だ。
あるシステム上の話に限れば木の葉は存在する。これが「世界をある枠組みに限定する」ということだ。
例えば、ファイルとフォルダの場合はファイルシステムのユーザーインターフェース上の話に限っている。
「〜とは何か」という思考の取り組みは、抽象を具体化する試みかもしれない。
これ以上まっすぐ進むと存在とは何かという話になってしまう。
単純なN分木で表すことはできない?
ノードの構造について議論する必要があるかもしれない。いや、表せるか?