2024-07-22 13:59:47
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小津安二郎略年譜
明治33(1903)年
12月12日、東京市深川区亀住町に小津寅之助、
あさゑの次男として誕生。祖父、両親、3歳上の
兄新一との5人家族。のち、妹のとき、とく誕生。
大正2(1913)年 十歳
仕事のある父は東京に居を構え、母子は三重・
松阪に転居。
大正5(1916)年 十三歳
大正6(1917)年 十四歳
三重県立第四中学校入学、寮生活に入る。
米映画「シヴィリゼイション」を観て映画開眼。
監督を志す。翌年、弟・信三誕生。
大正9(1920)年 十七歳
下級生への付け文事件に連座させられ停学処分に
以降、自宅からの通学となり、禁止されていた
映画を盛んに観る。
大正10(1921)年 十八歳
神戸高等商業学校を受験し失敗。 1年浪人する
が翌年の三重県立師範も不合格で、飯南郡の
宮前尋常小学校の代用教員になる。
大正12(1923)年二十歳
東京の深川区和倉町に、再び一家が集う。松竹
キネマ蒲田撮影所に入所、撮影部助手になる。
9月1日、関東大震災。
大正12(1924)年二十歳
12月、近衛歩兵第四聯隊に一年志願兵として入隊。
翌年、伍長で除隊。
大正12(1926)年 二十三歳
時代劇部の助監督となる。撮影所近くに仲間と
家を借りて共同生活をする。
監督に昇進、処女作「懺悔の刃」。
昭和2(1927)年 二十四歳
昭和3(1928)年 二十五歳
「若人の夢」など5本。翌年、「大学は出たけれど」
「突貫小僧」など6本、5年は「朗らかに歩め」
「その夜の妻」など7本。以後もナンセンスものの
中編等を量産。
昭和7 (1932)年 二十九歳
この年の「生まれてはみたけれど」、8年「出来ご
ころ」、9年「浮草物語」がキネマ旬報ベストワン
連続受賞。批評家には受けたが、興行成績はふ
るわなかった。
昭和9(1934)年 三十一歳
前年に会った山中貞雄親交を深める。 4月、父寅
之助死去。
昭和17 (1936)年 三十三歳
劇映画トーキー第1作「一人息子」。母と弟を引き
取り、高輪の借家に転居。
応召して中国戦線へ。激戦地を転戦する。
昭和12 (1937)年 三十四歳
昭和14 (1939)年 三十六歳
7月帰国。「彼氏南京へ行く(お茶漬の味)」の
脚本執筆。 内務省の検閲で中止。
昭和16 (1941)年 三十八歳
帰還第1作「戸田家の兄妹」が大当たり。名声と
興行成績が初めて一致した。
昭和16 (1943)年四十歳
昭和20(1945)年四十二歳
軍報道部映画班員としてシンガポールへ。インド
独立を描く映画製作は戦況悪化で中止、アメリカ
映画を大量に観て過ごす。
敗戦。民間人収容所へ。引き上げ船の順番を
スタッフに譲ってとどまる。
2月に帰国。翌年に「長屋紳士録」。
昭和24(1946)年 四十三歳
A
散歩する小津と野田静
雲呼荘の小津安二郎
小津安二郎
昭和8(193
昭和9 (194
昭和10 (192
昭和11 (19
昭和12 (19
昭和13 (19
昭和14 (19
昭和15 (19
昭和16 (19
昭和1 (19
昭和20(1
昭和2(10
昭和20(1
昭和20(1
昭和24(1
昭和25(1
昭和26
昭和2
昭和5 (193
昭和6(193
昭和29年 一本桜の小津と野日
明治33(1904)
明治42(1908)
大正2(1913)
大正6(1917)
大正7(1918)
大正9(1920)
大正10(1921)
大正11(1922
大正12(1923)
大正12(1924
大正11(1925
昭和2(1927
昭和3(192
明治26(1893)年
明治2(1896)年