面白い文章や価値のある文章を生み出せる見込みの無い人間が自由に書いてもいいものなのでしょうか
質問
『ライティングの哲学』とても面白く読みました。書くことに対する恐怖感が少し軽くなった気がします。自己検閲を取り払う、諦めるといった「書かないで書く」ための方法はぜひ実践したいと思いました。とはいえ、この本に登場する方たちは書けないと言いながらも「書ける」側の人間であり、私のような文章能力の無い素人がどこまで真似してよいものかわかりません。面白い文章や価値のある文章を生み出せる見込みの無い人間が自由に書いてもいいものなのでしょうか。 解答
もちろん。というより、そうする以外にないと思います。
誰かのためになる見込みがなくても、あなた自身のために書いてください。
たとえ紙の上に(あるいはファイル上に)目を背けたくなる化け物のようなものが現れたとしても、そうして生まれた書き言葉は、あなたを前へ進ませます。
いくらかでも書くことを続ければ、これまで読んできた他人の書いた文章は、まるで違ったものとして読めるようになるでしょう。平板な意味をただ伝達するだけに過ぎなかったものが、血の流れる、脈打つ生きたものとして現れるようになります。
そしてまた自分の内から現れた書き言葉を読み返せば、強烈な違和感にふらつきながらも、人はようやく自分の考えを持つことを始めます。
こうして誰の目にも止まらない言葉を書きつづけた果てに、私達の書く言葉は、誰かに届くという僥倖を得るのです。