自分がやりたいが、現時点では就職が難しい仕事と、やる気はないが適性があると思われる仕事、どちらを目指すのがいいのでしょうか?
質問
自分は小説や詩、アニメ、ゲーム、映画などのコンテンツが好きです。しかし、改めて考えると、これらの媒体そのものが好きなのではなく、その中で語られる物語が好きなのだと分かりました。
そのため、理想としては小説家、脚本家、ゲームプランナー等になりたいのですが、現状なんらかの実績がある訳ではなく、就職することが難しいのではないかと考えています。小説は書いているのですが、一作書き上げたことがない状態です。
一方で、他人からは事務作業が合っていると言われることがよくあります。今やっているバイトでもそのような仕事を行っているのですが、充実感、楽しさがありません。もし職業にした場合、一定の成果を上げることはできても、それがやる気に結びつくとは考えづらく、辞めることになるのではないかと思っています。
自分がやりたいが、現時点では就職が難しい仕事と、やる気はないが適性があると思われる仕事、どちらを目指すのがいいのでしょうか? 物語の作成を趣味にすることも考えたのですが、そうすると興味のない仕事を本業にすることになり、続けられるのか不安です。 解答
「やる気」は行動の原因ではなくむしろ結果であり、そして「やりたいこと」は、あなたが小説を書き上げたことがないことからも分かるように、その多くは行動にも結果にも結びつきません。 つまり「やりたいこと」と「やる気」は、音は少し似ていますが、ほとんど関係がありません。
「やりたいこと」が行動に結び付きにくい理由は、それを考えることが今以上の自分をイメージすることを伴い、それだけで脳はいくらかの快感を感じるからです。
これに対して行動することは、必ずしも良い結果が約束されている訳ではありません。それどころか行動しなければ壁にぶちあがることも、己の無力に気づくこともない訳で(無論、成果も得られませんが)、 淡い心地よさをかなぐり捨てて行動に打って出ることは不可能ではありませんが、「やりたいこと」から行動が自動的に生じるわけでもありません。「ワナビー」という言葉が存在する所以です。
もちろん「やりたいこと」 を考えることは全くムダだという訳ではありません。目標を持たなくては失敗することすらできないからです。そして行動した結果、壁にぶつかり打ちひしがれたとき、「やりたいこと」を思うことで心の痛みを癒すことができます。
ただ、その心の痛みは、何かまずいことが起きているという生物的なサインなので、麻庫させすぎると逃げるべきところで逃げ遅れて心身に大きなダメージを受ける危険もあります。
では、どんなものが行動に結びつくかというと、ひとつは 「やめられないこと」です。例えば世の中には小説を書かないと死ぬ人たちがいます。言わば小説を書くことに取り憑かれた(良くいえば小説に選ばれた)人間ですが、こういう人たちはどんな職業につこうとつくまいと、場所が得られようと得られまいと、誰かに止められようと邪魔されようと、そして自分に才能があろうとなかろうと、書き続けます。必ずしも成果に結びつく訳でも、満足や幸福が得られる訳でもありませんが。 一方、ある仕事を続けられるかどうかは、大半は運のようなものです。
たまたま環境に恵まれ、たまたま自分が必要とされ、たまたまあなたを必要とする人たちから物心両方のリターンが納得いくレベルで得られるなら、その関係は持続可能でしょう。
つまり行動の結果、良きリターンが得られれば、その行動は強化され、さらに次の結果が生まれます。やる気とは、こうした行動と結果のよい循環から生じるのです。
意外に思われるかもしれませんが、こうした理由から、まともなキャリア教育は、その人の「やりたいこと」を軸にしません。社会には普通の人がやりたいと思うこと以外にもたくさんの必要な仕事があり、また生きていくための様々な方法があります。