恋人との関係を続けたいけれど、愛に対する考え方が違います
質問
恋人との関係を続けたいけれど、愛に対する考え方が違います。 恋人は「浮気は悪いことではない。恋人が複数いてもそれぞれが特別であり、平等に愛すことができる。1人だけを愛するように強いることは拘束だ。1人だけをパートナーにする人生は勿体無い。1人だけと付き合うよりも違う人とも付き合うほうがコストパフォーマンスが良い。恋人に対する好きは、映画や音楽といった趣味趣向と同じカテゴリーに属する。だから、好きな映画が複数あるようち恋人が複数いても自然」という考えを持っています。それに反して私は「パートナーは1人。お互いが、唯一であり、特別扱いしたい、してほしい。複数の人を平等には愛せない。」と考えています。恋人曰く、他に恋人ができる蓋然性は今のところ低いそうです。私は恋人の考えは理解できます。寧ろ、自分の考えが高慢であるとも思います。しかし、もし相手に他の恋人ができたらと考えると、心が壊れてしまいそうで、今のところ相手の考えを許容できません。このまま恋人と一緒にいるためには、私が考えを改めるか、「浮気したら別れる」という約束をして、恋人を拘束し続ける手段しかないのでしょうか。長文失礼いたしました。 解答
質問者様も彼氏の方もどちらも魅力的な方なのだろうと想像しました。彼氏の方に魅力がなければ、ここまで恋愛観の異なる(正反対の)人とあなたは付き合い続けようと思わないでしょう。また、わざわざコストをかけてまで付き合うだけの魅力ないし得られる見返り(リターン)がなければ、人間関係のコスパを考える彼氏さんがあなたを選ぶことも考えられないからです。 さて人間関係をコスパ(損得計算)で考えることは合理的ではありますが、問題もあります。
いわゆる機会主義的行動(うらぎり)の問題が生じて、人間関係が不安定化しやすいからです。それどころか、これをとことん推し進めると人間関係自体、成り立たなくなります。 商品を選ぶ場合なら、コスパを考慮することは賢明な消費者としての行動です。しかし相手が人間の場合、状況は複雑なものになります。何故なら相手にも意思があり選択肢があるから、そして人間関係から得られる利益は相手次第であるからです。
商品の場合、消費者にとってのコスト(価格)も価値(リターン)も基本的には一定ですが、人間関係の場合はコストも価値も相手の反応に依存します。どれだけコストをかけても相手が応じてくれなければリターンは得られません。この場合、コスパを考えるならば、早期の損切りが必要になることもあるでしょう。しかし人間関係における損切りは、相手から見れば裏切りに他なりません。 そして裏切る可能性が高い相手に、時間や手間といったコストをかけることは合理的ではありません。
こうして、そもそも人間関係はリターンの不確実な割の合わない投資となり、人間関係などにコストを費やすのは不合理的だという結論が得られます。
互いに合理的に行動した結果、よりよい成果を得られないという事態は、囚人のジレンマゲームにも似ています。より良いのはお互いに愛し合うことですが、自分が愛し相手が愛さない(コストをかけてもリターンは得られない)というコスパ的には最悪である事態を恐れるあまり、お互いに愛し合わないという選択のペアがゲームの均衡となるのです。 幸いにして、ことわざ(「恋は盲目」「蓼食う虫も好き好き」)や物語が繰り返し教えるように、我々は恋愛において合理的なプレイヤーではありません。身の程知らずの向こう見ずであればこそ、しばしばひどく傷つく傷つけ/傷つけられる一方で、お互いに愛し合うことができます。
以上のような考察から、私のような徳の低い者には、彼氏さんの合理的な恋愛観は、次のように聞こえます。
「俺がお前と付き合っているのはお前がコスパの高い(=魅力的だが扱いやすい)女だからだ。コスパが下がったら(=面倒くさい女になったら)別れるからな」
なので、私があなたなら、この男は私を馬鹿にしているか、馬鹿にしていることになると分からぬほど、この男自身が馬鹿か、どちらかだと思うでしょう。
いずれにせよ、人間関係にコストパフォーマンスを持ち出す相手はコスパ次第で逃げ出すことが予想されるので、自分の貴重な時間を投じる先としては不適格(ドブに捨てるようなもの)だと私なら判断します。
勿論、あなたの人生ですから、あなたが幸せであれば何も言うことはありません。