人はどうしてアドバイスしたがるのでしょうか?
質問
人はどうしてアドバイスしたがるのでしょうか?
気持ちがいいのでしょうか。気持ちがいいにしても、それは一体どういった欲求による動物的な行動なのか。
特に「年下=アドバイスできる対象物」と無自覚に認識してしまう大人が多いようにも感じるのですが、身の丈に合っていない/実情が伴わないご立派なアドバイスを、恥ずかしげもなく堂々とアドバイスしている大人を見て、色々な意味で凄いなぁと思います。
解答
ヒトは、教える/教えられる、ほとんど唯一の生き物です。
学ぶことは神経系を持たないゾウリムシやモジホコリのような単細胞生物も行いますが、ほとんどの動物は教える/教えられることができません。
鳥の鳴き声学習や霊長類の道具使用に模倣学習や観察学習は見られますが、積極的教示者に促される学習は動物界ではかなり特異なものであり、なのにヒトにおいては文化/時代を超えて普遍的に見られます。
「教えるサル Homo educans」たるヒトの特徴は、生活史においても見られます。
ヒトは他の霊長類と比較して著しく長い子ども期(生まれてから永久歯が生え終わるまで)と老年期(閉経後死ぬまで)をもっていますが、これらは生きていくために必要な知識を習得するのに必要な時間を確保する(子ども期)、生業に従事する負担なく子どもに知識を教えることを担当する時間を確保する(老年期)ための適応であると考えられます。
ヒトが進化の歴史の中で長く過ごした狩猟採集社会では、学校などの教育専門の場はなく、上記の生活史パターンに埋め込まれたナチュラルペダゴジー(生得的教学・自然な教え方)が教える/教えられることを担ってきました。
ざっくり言い直せば、年長者が教えたがるのは、ヒトが進化の過程で獲得し、遺伝子に書き込まれた「本能」です。
しかし我々は、祖先がこのような「本能」を獲得したのとは、ことなる環境、ことなるあり方の社会で生きています。
ナチュラルペダゴジーの本来の宛先であった子ども期のヒトたちは、学校などの教育専門の場に囲い込まれています。習得すべき知識の多くも、学校のような意図的・組織的・計画的教育でなければ習得できないほどに複雑化/高度化しています。
つまり老年期のヒトの多くは、そのナチュラルペダゴジー、教える「本能」をいわば持て余しているのです。
これが「年下=アドバイスできる対象物」と無自覚に認識してしまう大人が多い生物学的理由です。
(蛇足)
今世紀に入り、ようやくヒト以外の生物に教える/教えられる行動が発見されました。ひとつは、ミーアキャットのサソリ捕り技能の習得*1、もうひとつは、アリ(Tenmothorax albipennis)が後続の仲間に食べ物のありかを 学習させる機会をつくるタンデム(二連)走行する行動*2です。
(蛇足の蛇足)
定義がはっきりしないと、ヒト以外の動物は教える/教えられるが見られない、という話に違和感を持たれる思うので、文献を追加します。
Caro, T. M., & Hauser, M. D. (1992). Is there teaching in nonhuman animals?. The quarterly review of biology, 67(2), 151-174. https://doi.org/10.1086/417553 この論文は、教える/教えられる行動(積極的教示者に促される学習)と、積極的教示者の積極的な参加がない他の社会的学習と区別できるよう、そしてヒト以外の動物の教える/教えられる行動を探す手がかりとなるよう、次のような積極的教示行動の定義を提案しました。この定義は「内面の変化」のような観察できない条件が含まれず、他の動物にも適用可能なものです。
① (積極的教示者となる)ある個体Aが、経験の少ない観察者Bがいるときにのみ、Aの行動を修正する。
② Aはその行動によって直接の利益を享受しないか、コストを払う。
③ Aの行動の結果、そうしなかったときと比べてBは知識や技能をより早く、またはより効率的に、獲得する。あるいはその行動がしなければ、Bにはまったく学習が生じない。