どうしても興味を持てないことを勉強していかなければならないとなったとき、どのようなアプローチをしますか?
質問
読書猿さんこんにちは。
現在大学二年生で、来年度の前期を休学しようと考えています。
理由は現在大学で学んでいることにどうしても興味が持てず、意欲の低いままでお金を払って単位だけ取ることがよろしくないなあと思ったからです。
読書猿さんなら、どうしても興味を持てないことを勉強していかなければならないとなったとき、どのようなアプローチをしますか?
勉強は楽しいに越したことはないと思うのですが、やっていくうちに楽しくなることもあると思いますし、勉強がつまらないというだけで大学を辞めたりするわけにもいかないので、何かアドバイスがあればお願いします。
解答
まずお詫びを。申し訳ありません。あなたに含むところはありませんが、同種の質問があまりに多いので、今回で打ち止めにさせていただくために、直截な物言いをいたします。
「大学の講義に興味が持てない」とおっしゃる大学生の方にまずお伝えすべき回答は「大学で学ぶのが早すぎたのでは」というものです。
私達の社会には18歳+数年で大学に入学すべしという呪いがかかっているので、その責は個人に求めるべきものではありません。
しかし何事であれ、楽しむにはある程度の準備や能力が必要というのも事実です。
大半の人たちは、入学試験対策で時間と気力を使い果たし、ほとんど予備知識も予備トレーニングもないまま大学に入学してきます(ときどき受験校や受験産業にいる良心的か物好きな人たちがこっそり試験対策に大学での学びに必要な予備知識や予備トレを紛れ込ませていることはあります)。
たとえばレポートを書いたことがなく書き方も知らない方にとっては、大学で単位を取るのはもちろん、講義を聴くこと自体、簡単ではありません。学期末に穴埋め問題を解けばいい場合とは、講義からどこに重点をおいて何を得ればいいのかすら異なるからです。
もう一つ、意欲についても、大半の人たちは何の準備もなく、意欲を生み出すための何らかのリソースさえも持ち合わせていません。
説明のために、とある社会人学生に登場してもらいましょう。この方は10年間、社会人を続けた後に、思うところあって大学で学ぶことを選ばれた方です。
良いことばかりではなかった(むしろ悪いことの方が多かった)社会経験、そこから見えた社会における大学の位置づけと、そこで学ぶことの意義、これからの人生で持つ価値など、こうしたものを、18歳で大学に入学してた人たちの多くは持ち合わせていません。
繰り返しになりますが、こうしたものを持ち合わせないことは個人の責任ではありません。しかしこれらは社会が全員にもれなく配ってくれるものとも言えません。
人と社会の中間にあり、当事者でもある大学は、こうした欠落を自覚し、いろんな手立てや機会を提供するようになりましたが、受け取る側の学生にとってニーズが自覚されないためにか、あまり人気があるものではないようです。
多くの人がこの問題を、「興味がわかない」「やる気が出ない」などと自分の嗜好関心に誤って帰属させてしまい、せっかく提供されたリソースと結び付けることができないのは、オリエンテーションの不備不足もあるでしょうが、不幸としか言いようがありません。
繰り返し申し上げていることですが、やる気は行動の原因ではなく結果です。やる気が出ないことは、行動がうまくいっていないことを示すサインであり、やる気を上げること自体を標的にしたアプローチは、やる気を前提にした企てとともに徒労に終わります。
「どうしても興味を持てないことを勉強していかなければならないとなったとき」とお尋ねですので、ご指摘しますが「どうしても」と言うには、「これは自分にとってやりたいことではない」とただ確認を繰り返す以外の作業が必要です。
その方策には、やる気が行動から生まれることから分かるように
(1)うまくやり、良い結果を得る。そのために必要なスキルと知識を知って準備する。
(2)興味を持てない対象が位置づけられている文脈を明らかにし、別のより広い文脈に位置づけ直す(リフレーミング)
(3)自分の関心とそれを支えている体験を精査し、関心を広げ、興味のない対象との結びつきをつくる
といったアプローチが考えられます。
学んでいくうちに興味が出てくる場合にも、この(1)〜(3)が全て、順序はいろいろですが、生じています。