「始めること」の部分が最も苦手で、現状「始めること」に関して考えると思考が堂々巡りした後に、これ以上考えるのは無理だ…とストップしてしまいます
質問
読書猿さん、失礼致します。
独学に関して、お聞きしたいことがあります。
以前 独学大全の副読本での回答文で、独学で一番大切なことは「始めること、そして続けることです。」と仰っていたのを拝見したのですが、私はその「始めること」の部分が最も苦手で、現状「始めること」に関して考えると思考が堂々巡りした後に、これ以上考えるのは無理だ…とストップしてしまいます。
こうなった際の考え方・技法と言いますか、対象法があれば教えていただけないでしょうか。
「始めること」に関しては、学習のやり方についてマシュマロで質問されている方々に近いのかもしれないのですが、私は考えること/調べることの多さに耐えきれなくなって思考停止してしまい、学習を始めるために今 最低限の準備がどれだけで良いのかが分からなくなります。
具体的な流れとしては、何かの分野を学ぼうと決めた後に、「まずは簡単な新書でも読もう」と考えるのですが、そこで「読み方はどうしよう?」 「1周目以降の計画はどこまで立てればいいんだろう?」 「そもそもこのジャンルが、何を知らなくてはならないか/覚えておかなくてはならないかの事前調査が先か?」などと考え込んでしまい、紙に書き出してリストアップすると その多さ/複雑さに圧倒されて、最低限何があれば、取り敢えずスタートが切れるのかが判断できなくなり、それ以上先に進めなくなってしまいます。
最初から準備を上手くやれるとは思っていないのですが、それでも あれもこれもと様々な方向に対して考えを向けてしまいます。
また、「始めること」が苦手と書きましたが、一度始めてしまえば 少しずつ調整していくといった柔軟性が欠けているという弱点はあるものの、「続けること」の方に関しては、長期間何とかやっていけている感じです。
(筋トレや瞑想といったやり方が殆ど決まっているようなものは、あまり考えずスタートが切れたため、その後問題なく長期間続けられています)
初歩の初歩の質問になってしまい申し訳ございませんが、このぐるぐる思考を脱して学ぶことに飛び込みたいです。
ご教授のほど、何卒よろしくお願いいたします。
解答
答えはすでにマシュマロの中に書いてあります。「筋トレや瞑想といったやり方が殆ど決まっているようなものは、あまり考えずスタートが切れ」るのですから、勉強に取り掛かる「最初の一歩」を決めておけば良い。
しかし「まずは簡単な新書でも読もう」では、お書きになっているように決めなくてはならないことが多すぎで難しい。
もっと具体的ですぐにやり遂げられる「小さな一歩」が良いでしょう。
例えば私なら、新しい分野やトピックを学ぶときはまず、事典を引くことから始めます。
事典の一項目はどんな本よりも、大半の論文よりも短くすぐに読めるからです。
成人の算数障害(Dyscalculia)の歴史的な背景と、この分野で重要なエピソードや発見について教えてください。特に、この障害が認識され始めた時期や、診断方法の進化、社会的認知の変遷などに焦点を当ててください。
成人の算数障害(Dyscalculia)に関連する重要な概念や用語を5つ挙げ、それぞれについて日常生活での具体的な例を用いて説明してください。専門用語をできるだけ避け、一般の人にもわかりやすい表現を使ってください。