鬼畜の所業と呼ぶべき目を覆いたくなるような凶悪犯罪を知っています
質問
読書猿さんはじめまして、現在高校生の者です。
鬼畜の所業と呼ぶべき目を覆いたくなるような凶悪犯罪を知っています。同じ人間がこんなことが出来るのかと心底恐怖しました。この事件を見た時「知らない方がよかったな...」と思ってしまいました。
「知らない方がいいこと」を知れば知るだけその分他の人よりもハンデを負ってしまう気がします。
私は事実としてあるものは歴史として保存し、次世代に繋いでいくのが責務だと考えていました。ですが正直舐めていました。 人の悪意・欲望の何たるかを私は全く知らないのだと前述の事件で気付かされました。むしろこんな事件など忘れられてしまえばいいのではないか。修正主義だと批判されそうなことも考えてしまいました。
私と比べ物にならないほど数多の情報に触れてきた読書猿さんは「知りたくなかった」と思った経験があったのか興味があります。
また、そもそも「知らない方がいいこと」というのは極めて主観的な判断だと思うのですが、そのような情報と出会った時どう対処するべきかご教示いただけると幸いです。
解答
まずお伝えしたいのは、ヒトはあらゆる物事に対峙できるほど強くできていません。あなたを壊してしまうまで何かを抱え込まなくてよいし、逃げても忘れてもかまいません。
たとえあなたが忘れても、私達が(それぞれに様々な形で)覚えています。私達の世界を支える知は、多数の人たちによって分かち持たれ、更新し続けているからです。
たとえば私達は、「おぞましい犯罪」が私達の中に強い負の感情を生むことだけでなく、それが社会を支えるのにどのような役割を果たしているかを、知っています。
そうした感情は、何をあってはならないことだと感じるのか、何を人間にとって無くてはならないものだと考えるのか、そしてどれほどお互いを信じるに値すると思いたいかを、私達に再認識させるものです。
普段は改めて考えることも無く忘れていますが、この(再)認識は、善と悪を、あるべきこととあるべからぬことを、画するものであり、社会が社会であるために不可欠なものです。
つまり、あなたが「鬼畜の所業」に怖気立つのは、人間について何も知らないからではなく、人間にとって何が大切であるかを知っているからです。