高校生です。現在自分には居場所が無いと感じています。
質問
高校生です。
現在自分には居場所が無いと感じています。受験や勉強について親と話す際、最後の言葉は決まって「今は理解できないかもしれないが後々分かって後悔するから〜やれ又はやるな。」と無批判に肯定させようとしてきます。自分は論理的に、そして経験のみの主観に頼らずに平和的に共感のできる結論を導く様に口論等の問題を解決したいのですが、親は一方的に持論を語り自分の言う事に対して聞く耳を持ってくれません。自分の居場所を作るという事はその集団の因習を全肯定するということですか?自分は向上心を大切にしていきたいので間違った、或いは理解に苦しむ因習には抵抗したいと思っています。しかしそうすれば解決策は居場所をより適切な場所に変える事のみになってしまい、高校生として居場所を変えるには必然的に家族の呪縛から逃れられないという事になってしまいます。なにか解決策、もしくは誤解があればご教示ください。閉塞感に悩まされていて、とても窮屈にそして悲しく感じています。
解答
高校生でそこまで気づいておられるのはご立派です。なので、いつもより踏み込んだお話をすべきだと思います。状況を整理するのに少しは役に立つかもしれません。
いつにも増して長くなります。
コミュニケーションには大きく分けて、伝え合う《内容》に関する側面と、やり取りする両者の《関係》に関する側面があります。
例えば同じ内容を話しても誰が(どんな関係の者が) 言うかによって受け取られ方が異なる、といったことを、あなたも体験されていると思います。
あなたは、ご両親の頭ごなしの言い方を批判しても、言われている内容については書いておられません。つまり内容(の当否)は
とりあえずは問題ではない、ということです。
そしてまた、この内容より関係が優先されるコミュニケーションは、あなたの悩みの核心でもあります。
あなたがどれだけ正しい見解を持っていて正確な言葉でそれを表現しても、あなたが子供でありご両親が親であること(だけ)で、あなたの主張は取り上げられず、ご両親の主張は「一方的に」押し付けられるからです。
さて、問題の在処を確認したところで、因習の話に進みましょう。
あなたが因習を呼ぶものは、ヒトという生き物が集まりを作るときには(形は様々ですが) 必ず現れるものです。そしてある集団に参加するということは、確かにそこでの因習を受け入れることを含みます。
しかし、これだけではまだ話は半分です。
因習→個人があるならば、個人→因習もあるはず。
何故なら因習を実際に生み出し支えているのは、個人の行動であるからです。
さて、地球に存在するものはすべて重力の影響を受けています。しかし、重力の影響は、我々の行動を決定している訳ではありません。たとえば建造物ひとつとっても、重力の法則に逆らう形は倒れたり崩れたりして存続できませんが、重力(やその他力学)の法則を理解できたことで(またいろんな材料や建築方法を開発したことで)実に様々な建造物を建てることができるようになりました。
同じことは因習についても言えます。集団に属する以上、我々は従うにしろ逆らうにしろ、そこでの因習の影響を受けています。しかし因習の力学を理解すればするほど、その力学に従いながらも自由の幅は拡大します。
では、何から理解すればいいのでしょうか。
まず因習は当然ながら自己保存的です。因習的なコミュニケーションは、コミュニケーシ ョンの参加者の間の関係を、これまでどおりの関係として作り直すように行われます。
例えば親子間の因習的コミュニケーションは、親が親であり子が子であることを再確認し、 同様の関係が存続するように働きます。 たとえば親は経験豊かな保護者という役割を再確認するために、「(年少の経験の少ない) おまえは今は理解できないだろうが◯◯をしろ。(経験を積んだ後)その理由は分かるから」といったフレームを使ってきます。
これに対して子の側は「親が言うのは合理的でない因習に過ぎない」と反発することで、まさに「経験を頼みにできない年少者」という役割を演じてしまっています。
つまりあなたは因習的なコミュニケーションにうんざりしているのに、そのためにかえって、因習的に若者が担うことになっている役割を引き受け、因習的なコミュニケーションを持続させている訳です。
コミュニケーションというものは、時に一方的に見えたとしても、このように双方向的であり円環的です。
因習的な対立関係を続ける親子は、たとえれば、綱をお互い反対側へ引き合うことで、因習という綱引きを続けているのだと言えます。
綱引きであることが分かれば、動かしがたい関係をあなたの側から変えることは難しくなくなります。引いてもダメなら押してみろ。親が今よりずっと「経験豊かな保護者」の役割を演じられるようにすればよい訳です。
事あるごとにアドバイスをもとめ、経験(若い頃の経験がおすすめです)について根掘り葉掘りインタビューするようにすれば、親は次第に嫌がって、そのうち「もう私の話はいいから。あとは自分で考えろ(考えて)」と言うようになるでしょう。