認知の問題ではなく現実に、実際に欠陥がある人間はどうすればいいのでしょう
質問
認知療法では認知の歪みを正すことで症状の軽減を図るそうですが、認知の問題ではなく現実に、実際に欠陥がある人間はどうすればいいのでしょう。例えば醜形恐怖症ではなく、実際に容姿が醜い人間は。
解答
認知療法がターゲットにするのは、「私は容姿が醜い」という認知よりむしろ「容姿が醜いから私には良いことは一つも起こらない」という認知の方です。
付け加えると「認知療法が認知の歪みを正すことでうんぬん」は、デマとは言いませんがかなりデタラメです。
誤解の元になっている「認知の歪みリスト」は、極端で破局的な考えを見つける/気付くためのガイドラインみたいなものです。
もう一つ、マシュマロ主を追い込むようで恐縮ですが、誰かがわざわざ「現実」と言い出す場合、その周囲に極端で破局的な思考があることが多い。現実には、実に様々な要素やいろんな側面があるはずなのに、わざわざ「○○は現実だ」という人は、ある一点だけを特に取り上げている訳で、この「過度の注視」と絡む形の極端で破局的な思考がしばしば見られます。
そもそも容姿の美醜は、価値判断をはらむもので、単なる物理的事象ではありません。まして自分の「容貌の美醜」は、客観的な観察から得られるものではなく、他人から比較されたり貶められるといった社会的な体験によって植え込まれる「判断」であり「誰かの主観」です。
様々な現実を無視して、特定の「誰かの主観」を、現実そのものと置き換える勢いで過度に注視してしまうところには、確かに何らかの歪みがあるかもしれません。