私はほとんど本も文化的な何かも無い家庭で育ちました
質問
先日来読書猿さんのツイートをきっかけに、各家庭で買われたまま眠っていた百科事典や文学全集、美術全集を次の世代が読んで育ったという体験談が沢山流れてきます。
とても好ましい微笑ましく拝読していますが、ふと我が身を振り返ると、私が育った環境は皆さんとは程遠いことに気付きました。私はほとんど本も文化的な何かも無い家庭で育ちました。
それに気付くと、さっきまで心温まるものとして読んでいた皆さんのお話が、急に羨望心を掻き立てるものになり、そんな自分の浅ましさが悲しくなってしまいました。
解答
掛ける言葉がありませんが、少し私の話をしたいと思います。
私も事典も全集もない家庭で育ちました。百科事典や文学全集を手にとったのはかなり成長してから、図書館でだったと思います。
このことは、私の知識に欠けたところが多い点や、自他とも認める文学オンチである点等の一因になっているのかもしれません。
その一方で、私が事典や図書館に一方ならぬ強い関心を抱いているのは、随分後になってから出会ったことが関係あるのかもしれません。
「もっと前に知りたかった」と出会いの際に思ったこと、今もどこかで同じ思いを持ち続けていることが、私の考えることや書いたものに影響を与えていると思います。
私が書くものはどれも、今よりずっと若かった自分に「もっと前に知りたかった」ことを伝えるために書いているところがあるからです。
今はこれが私のミッションであり、以前の自分と同様のことに悩んでいる後に続く人たちの一助となれば、「もっと前に知りたかった」という思いも浮かばれると思うのです。
こうした仕事を続けながら、私が手にした数々の知識や知恵を眺め直すと、それらもまた、私より以前に壁にぶつかり考えてきた先人たちが、ただ発見や発明をただ自分のところに留め置く以上の何かをしてくれたおかげで届いたものであると、思うことができるのです。
Books can wait. 書物は待ってくれる。
かつて出会えなかった事典や全集は、今でもあなたを待ってくれていると思います。