神道を学ぶにあたって読んでおいた方が良い本、おすすめの本はございますか?また、神道をメタ的な視点から捉えた本はございますか?
質問
読書猿さんがおすすめされていた「プレステップ宗教学」が面白かったので同シリーズの「プレステップ神道学」を読みました。読んでみると、想像以上に面白く、あっという間に読み終わりました。
神道の面白さに気付かされ、もっと勉強したいと思ったので今は「日本神道史」を読んでいます。
神道を学ぶにあたって読んでおいた方が良い本、おすすめの本はございますか?また、神道をメタ的な視点から捉えた本はございますか?
解答
他の社会現象と同じく「宗教」は、外から/距離をおいて見た場合と、その内に参加し体験する場合では、見える像が一致せず、異なる像の間にはしばしば緊張関係が生じます。
「日本固有の民族宗教」だとされる「神道」についてはとりわけ、関係者=内側にある人たち(の努力や都合)に配慮した記述、言い直せば、それぞれの立場からできるだけ緊張を緩和できるような記述が採用されがちです。
なので、ストレートにメタ的な視点に立つものを求めるなら、海外のものが手っ取り早いです。
たとえばJohn BreenとMark TeeuwenのA New History of Shinto. (London: Wiley-Blackwell, 2010).は、刊行後、新しい研究者を多く引き込み、日本の宗教研究に現在の盛況をもたらした書物です。
こうした海外の新しい神道研究のルーツをたどると、神道なるものが仏教伝来以前から日本に存在していたことを否定し、中世の神道の諸形態を、支配的な仏教体系と深く結びついたものとして再構築した、黒田俊雄の「顕密体制」論に行き着きます(文献としての初出は、『日本中世の国家と宗教』(岩波書店,1975)に収録された「中世における顕密体制の展開」)。
黒田の仕事は、佐藤弘夫『日本中世の国家と仏教』(吉川弘文館, 1987)、平雅行『日本中世の社会と仏教』(塙書房,1992)によって継承され発展しました。これらを批判的に検討した末木文美士『鎌倉仏教形成論』(法蔵館,1998)も重要です。
ざっくりいうと、仏教というトランス・ローカルな宗教※と、日本というより各地方にバラバラに存在したローカルな宗教的伝統との間のダイナミズムから、神道という伝統を考え直す立場です。
※仏教は元々、後のキャラバンなどの商業活動を背景にしたイスラム教と同じく、北インドでの商業の発展を背景に、共同体を超えて活動する商人たちを背景に広域展開した宗教です。(そのために後に地方地主化したバラモンたちのヒンズー教にインドの地で敗退するわけですが)。
この立場に経つと、日本の神道は、例えばミャンマーのナッ信仰やチベットのボン教などとも比較可能な宗教現象ということになります。
また、この観点から仏教(史)についても見直しがなされています。こうした仏教とローカル信仰の関係は、個々の地域伝統信仰を信じる迷信深い、(仏教本来の教えを理解できない)無知な地元民に仏教サイドが妥協した日和見的妥協などではなく、仏教からローカル信仰への/ローカル信仰から仏教への、どちらか一方的な影響でもないと考えるのです。
例えばインドで北インドと南インドでそれぞれ一般的な現地神だったヤクシャとナーガと仏教が折り合いをつけた時代から始まるもので、そうしたローカル信仰との交流は仏教の発展と成長に中心的な役割を果たしたのではないか、と再考されています。
これは、従来、僧侶=知識人が書き残したものを中心に理解されてきた仏教を、それ以外の階層の人たちの実践による部分をより重視する見直しとも、つながっていきます。
たとえばミャンマー仏教の研究者であるメルフォード・スピロは、仏教を涅槃(ニルヴァーナ)指向の仏教Nibbanic Buddhism、業(カルマ)指向の仏教 Kammatic Buddhism、厄払い的仏教Apotoropaic Buddhismの3つの次元で捉える必要があると提起しました。
従来、仏教の中心とされてきた究極の救済としての悟りを求める涅槃指向仏教は、歴史的/人口的にはごく少数の仏教徒が関心を持っていたものです。
圧倒的多数は、業(カルマ)指向の仏教のように、徳を積むなどの生活世界での努力によって(生まれ変わりなどを通じて)現世での物質的なあり方を改善することに関心を寄せていたり、厄払い的仏教のように、もっと直接的に邪悪な力に対する呪術的な勝利や人的努力の敵わない自然災害からの保護を求めてきました。
仏教をこうした3つの志向の相互作用を扱う複合的な実践だと理解すると、神仏習合にみられる仏教とローカル信仰との相互作用は、仏教にとって周辺的な現象ではなく、むしろ実践の中心に位置するものと理解できます。