先日「過去の独学の挫折から…出来なくなっています」の件で質問した者です
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質問
先日「過去の独学の挫折から…出来なくなっています」の件で質問した者です。
返答していただき、誠にありがとうございました。
折角いただいた返答に対し、質問を重ねてしまい申し訳ございません。回数を重ねるのはよろしくないと感じたので、失礼ながらもう1度だけ質問をすることをお許しください。
改めて、過去の挫折から独学に戻れなくなっているため、どのような心持(考え方)で向き合えばよいか教えていただけないでしょうか。
先の回答でのご指摘から、具体的な問題点(できていないこと)の情報が欠けていたため、挙げるとキリがないですが特に苦戦しているものを幾つか記します。
・行動記録等の学習の補助輪の記録を忘れる、管理・活用ができない
・本腰を入れる前、学習から長く遠ざかっていたため、改めて独学として本等の文章を読む際文章を追うのが不安定で上手く読み進められない
・上の様な状態から文章を読んで理解するどころか、取り敢えず読むというポーズをこなすことで精一杯
・学習中やり方はこれでいいのか/理解できているかといった恐怖心に襲われ、全てやり直した方がいいのでは、という突発的な衝動で頭が一杯になる
このような感じです。
こうした問題に対し、
・プログラミングを始めコンピュータに記録管理を任せる
・平易な教材に変え読むことは回避できずとも負担を減らす
・読書の際に決めた時間文章と向き合えれば取り敢えず良しとし独学自体を止めないようにする
等、自分なりにその場しのぎとは言え応急処置はしていました(いただいた回答にある様な不適切な処置もあったと思います)。
しかし、これらの問題それぞれが一工夫や、一朝一夕で完治することではなく、またそれぞれが完全に独立しているわけでもないため、問題が積み重なり干渉しあい、対処が間に合わず追い詰められた流れです。
それぞれ個別の問題解決に関し、克服する/諦め共に歩む、のどちらでも時間をかけ自分で探し出すしかないのは理解しているつもりです。
とは言え、そもそも独学に戻り/実行し、一応その時だけでも自分が選んだやり方に納得して続ける基本が恐怖心からできていない現状だけは、どうにかしないと何も始まらないので何とかしたいです。
恐怖感と自己嫌悪を拗らせ自縄自縛の情けない状態ですが、どうか読書猿さんの知恵をお貸しいただけないでしょうか。
解答
一言で申し上げると、注意という認知資源を無駄遣いして、肝心のことに回せていないのだと思います。
そうなってしまう原因は、常にたくさんのことを同時にやろうとしておられるからです。
その最たるものは、学習中やり方はこれでいいのか/理解できているかといった〈恐怖心に襲われる〉というものです。
学習の最中に当の学習方法について懐疑するのは、潜水中に息継ぎするようなものだといえば、どれだけ危険なことか、ご理解いただけるでしょうか。
多くの人は、自分の認知過程をその最中に自力でモニタリングできるほど、認知資源に余裕がありません。
「やり方はこれでいいのか/理解できているか」は、考えても分かるものではなく、心配しても改善するどころかパフォーマンスを悪化させるだけです(心配は大量の認知資源を消費します)。
さて対処法です。
恐怖心は直接(たとえば意志の力で/心の持ち方で)取り除くことは不可能です。
しかし方法はあります。ここでは行動実験という方法を紹介しましょう。
簡単に説明すると、恐怖心を引き起こすような行動を、自分の計画の下、行う(実験する)ことです。
(1)不快な感情は、回避することで増悪します(回避はあなたの場合「全てやり直した方がいいのではという突発的な衝動」という形で生じています。その衝動こそ逃げです)。逆に回避しないこと(恐怖心にも関わらず、そのまま学び続けること)で逓減していきます
(2)実験することで、恐怖心が実際のリスクに対して適度なものかそれとも過大なものか、査定することができます。過大であることが自らの行動によって確認できれば恐怖心のレベルは下方修正されます(これは考えを変えるだけでは望めない効果です)
恐怖心を引き起こすトリガーが何か、マシュマロには明示されていませんが、恐怖心が惹起する状況は分かりましたので、行動実験を計画することができます。
あなたの恐怖心は学習の最中に生じます。直接の引き金となる思考は「やり方はこれでいいのか/理解できているか」です。
本来「やり方はこれでいいのか/理解できているか」は考えても分からない(思考という名の心配は有害無益である)ので、対抗行動として検証(テスト)を導入します。つまり心配ではなく、検証(テスト)によって判断するのです。
目下、あなたの恐怖心はとても強く頻繁に生じるので、「ある程度学んでから検証(テスト)しよう」という悠長なやり方では、恐怖心に用意に追いつかれ追い越されるでしょう。なので検証(テスト)は、最初のうちはできるかぎり小刻みに頻繁に行います。
例えば、検証(テスト)を学習法自体に組み込んだものに、暗写と復文があります。
暗写は、暗記して写筆すること。たとえば1文や1フレーズを読んだ上で、元のテキストを見ずに、書き写すことです。書き写した直後に、元のテキストを見て、どこが違っているかをすぐに確認し、赤色で修正を書き込みます。検証(テスト)をすぐに行うわけです。
復文は、外国語の学習法の一つで、たとえば英文を日本語に訳し、それをまた英文に訳すことです。これも1文や1フレーズを読んだ上で、元のテキストを見ずに訳し、直後に、元のテキストを見て、どこが違っているかをすぐに確認し、赤色で修正を書き込みます。
おそらく、心配と恐怖心に認知資源を消耗し、学習にはほとんど回せていない現状では、暗写・復文ともに、ごく短いフレーズですら、たくさんの間違いが生じ膨大な修正が必要になるでしょう。
この真っ赤になった修正物は、あなたの現状を知らせ、あなたの未来をよりよいものにできる、あなただけのために設えられた教材です。これを前にして、あなたは強大な恐怖に見舞われるかもしれません。しかし、世界もあなたも、こんなことでは終わりません。むしろ、一歩ずつ恐怖心を克服し、それに費やしていた認知資源を取り返し、本来注ぐべき学習に回すこと、あなたの捲土重来はここから始まります。
独学には挫折はありません。ただ中断と再開があるだけです。