人権というものが人間のみに与えられているのは
質問
人権というものが人間のみに与えられているのは, その名前に惑わされなければ, それ程自明なことではないと思います. 「貴族」と「平民」の区分けが, 「人間」と「人間以外」に置き換わっただけです. これは平等ではない, 強者の定義が拡張しただけに過ぎないと思えてなりません. やはり勝つことが全てなのでしょうか?
解答
「人権というものが人間のみに与えられている」とありますが、この場合「与えている」のは誰(何者)なのでしょうか? また「与えられた」ということは、与えた誰かによって奪われることもあるということでしょうか?
「貴族」と「平民」という話が出てくるので、マシュマロを投げた方は人権を(条件や状況に応じて)与えたり取り上げたりできる「特権」のようなものと、お考えになっているのかもしれません。
というのも、「貴族」は普通、特権を備えた名誉や称号を持ち、他の社会階級と明確に区別された社会階層に属する集団のことをいう言葉だからです。称号の付与や特権の保証は、普通「君主」が貴族に対して行います。称号が剥奪されると、それに伴う特権もまた取り上げられてしまいます。
しかし人権は、特権とはちょっと違います。
もう少し遡って、権利について確認しておきましょう。
ざっくりいうと、権利とは正当な要求です。
たとえば、あなたが誰か(Aさん)にお金を貸して、30日後に返して貰う約束をしたとします。30日後あなたがAさんから「この前貸したお金を返して」と貸した分のお金を要求するのは正当な要求です。
この約束によって、あなたには「30日後に貸した分のお金をAさんから受け取る」権利が、Aさんには「30日後に貸した分のお金をあなたに渡す」義務が、生じます。
この権利はささやかで、限定的です。あなたがお金を受け取ることができるのはAさんからだけであり、受け取れる金額も貸した分だけ、また一度お金を受け取ればそこで権利と義務は解消されて、あなたは繰り返しAさんからお金を受け取れるわけではありません。
もうひとつ、権利は正当ではありますが、たかだか要求なので、反故にされる場合だってあります。約束にもかかわらず30日後にAさんはお金を渡してくれないかもしれません。しかし正当な要求なので、お金を渡さないAさんは不正であり、様々なお咎めがあります。
さて、正当な要求の中には、金銭の貸し借りのように、特定の相手との一回きりでかまわないものもあれば、条件を満たす場合は継続してほしいもの、さらに不特定多数に対してずっと続いてほしいものもあります。
条件を満たす場合は継続してほしい正当な要求は、たとえば許認可のようなものがそうです。貴族の称号に伴う(称号を条件とする)特権もそうですね。
さて、やっと本題です。不特定多数に対してずっと続いてほしいような、正当な要求について考えてみましょう。
たとえば、生きたい、殺されたくない、という要求は、誰が誰に求めたとしても正当なものだと思われます。
この種の要求が、約束した相手に限定されたり、期間限定だったり、時と場合による(条件次第)というのは不便です。
つまり、この種の普遍的で永続的な「正当な要求」は、事前の約束が不要である方が良いし、条件次第で付与されたりされなかったり取り上げられたりしないほうがいい。
人権はまさに、特定の相手と事前に約束した訳でないのに、正当であると認められる要求です。
繰り返しになりますが、権利は要求なので、必ずしも実現するわけではありません。
しかし正当な要求なので、実現してない現実に対して「おかしいよ」という声があがり、実現するための方策が取られます。
人権という権利についても同様です。
たとえば、「殺されたくない」という要求は正当だとしても、不当にも命を奪われる人は現実にいます。しかし正当な要求なので、命を奪われるという事態は不当なものとして扱われます。命を奪った人は裁かれ、殺人は非難され、様々な対策がとられます。
もちろん、これまでのは話の始まりにすぎません。
・約束の場合なら正当な要求の宛先はお金を貸したAさんでしたが、人権に場合はどうなるか?(人間全員?社会?国家?)
・正当な要求というけれど、その正当性は、どう判断され、また保証されるか?(人間の尊厳そのもの?共同体の決定?社会契約?)
・人権というけど、人間以外だって、殺されたくないんじゃないの?(動物の権利?)