『独学大全』って分厚すぎませんか?
質問
『独学大全』って分厚すぎませんか?
少なくとも私にはあんなに必要ありません。
解答
よくあるご質問なので、改めて現時点で思うところを書いてみます。
『独学大全』を含めて、私は「大全』シリーズを道具箱として、あるい辞書として、書こうと思っています。
『独学大全』に書かれた技法や情報を、ある時点/段階で、すべて必要とする人はおられないと思います。辞書に載っているすべての単語を必要とすることがないように。
しかし将来、必要にならないとも限りません。独学者が将来に渡って出会うかも知れない様々な困難と必要に対処するために『独学大全』はあれくらいの分量が必要でした。
今の自分に必要な単語だけしか載っていない辞書は、辞書としての役割を真っ当できません。今は出会っていない言葉に対して開かれているからこそ、辞書は私達を助けることができます。
あるいはこう言い換えることもできます。その人の可能性が未来に開かれているからこそ、人は辞書を必要とし、また活用することもできるのだ、と。
実はこのことは、辞書以外の書物や知識についても同じことが言えるかもしれません。「今ここ」の必要以外/以上のものを含み持つからこそ、書物も知識も有用なものとなることができるのだと。
あらゆる書物は、書かれた同時代の読者だけでなく、未来に出会うかも知れない可能性としての読み手に向っても書かれている、ということができるでしょう。
知識もまた同じ。我々が知ることを、学ぶことを必要とするのは、ヒトが現在を生きるだけでなく、未来に向って生きる存在であるからです。