日記10/25
①行動
10時ぐらいに起床。同じ部屋で眠っていたいとこがそのぐらいに外に出ていったので、その音で目が覚めた。
適当にXを見て、今日がMADDRIFT2の日だったことを思い出す。行くかどうかをさんざん悩んだ。
行くのを渋る理由はいくつかあって、まず武蔵野美術大学が遠いという事だ。最寄りの駅まで最低でも1時間半かかるし、さらにそこからバスに乗らないといけない。最近は遠出をすることがめっきり減って、自分がその旅路に耐えれるかどうかが怪しい。しかも起床したのが10時でそこから食事をしたり身支度を整えると12時ぐらいにはなる。そこから出ても会場につくのは2時ぐらいで、そこからたった三時間しかいられない。移動にかかる金銭を考えると、コスパが悪い気がする。
もう一つは、自分が音MAD10選界隈に対して貢献できていないからだ。界隈に何も寄与出来ていない状態で、流れる動画を消費するという行動をオフラインでやることに抵抗が出てきた。もちろんこれは他の人間に対する思考ではなく、あくまで自己に感じていることだ。普通はそんなこと考えないし、考える必要もない。自由に楽しめばいい、と思う。
また攻撃的な話題になってしまうけど、音MADのリアルイベントだったり、音MADmixは増えすぎな気もする。既存の動画を使ってmixを作ったりDJをすることを悪いとは思わないけど、どちらかといえば後ろ向きの行動であることは確かだ。それらをしている人らはそのことを意識しているだろうか。
この視点をさらに突き詰めるとトリビュート系の合作が多くなってきている事にも言及したくなる。特定個人ではなく、界隈全体で昔の動画を慈しむようなムーヴメントが起こっていて、それが現在とどまるところを知らないのは少し問題な気もする。
別に誰が悪いとか、これを止めるべきだとかを言いたいわけではない。茹で豆は別に音MADが衰退してもいいと思ってるし、音MADが自分の居場所だとは思っていない。
結局、行かないことにした。どっちみち明日はバイトでいけないので、キリがいいかもしれない。
しかし、やることがない。どこか自転車でも使って外に出ようかと思ったが、どうも天気が悪くそれも叶わなかった。結局家の中でゲームをしたり音MADを作ったりする。
せっかく新しいアカウントを作ったので、もう少し動画を出したい。金星のダンスピコピコリミックスを原曲に使った。最近の音MADを見ていないのでよく知らないが、金星のダンスで妙な形式の動画が流行っているらしい。しかし、流行らせた本人がXで「こんなにいっぱい派生動画が出てるのに俺らが音MAD界隈を衰退させた事になってるらしいw」的なポストをしたことは知っている。
上記の通り衰退は特定個人の責任ではないと思っているし原因も興味無いが、動画の投稿本数を基準に衰退の話をするのはあまりにも見当違いな気がする。コメントで煽られて売り言葉に買い言葉で言ってしまったのだろうけど、そういう基準を心の中に持っている人が若い作者に多くなってきているなら、音MADの衰退はやむなしといったところだろう。
上の話はあくまで公共の場においての態度と視点についてのツッコミで、個人的には動画をいっぱい出しているのは単純に凄いし、エネルギッシュでとても羨ましいと思っている。
自分はその形式にそこまで魅力を感じていないので、ベーシックな方向で作っている。ボカロ曲、特にナユタン星人曲というのは、動画の構成や画面作りにおいて相当の束縛を強いられる。そこに更にノルマとして形式を要求されるのは、自分としてはかなり窮屈だ。
しかし、束縛があったほうが作りやすいという意見もある。間違いないし、動画を作って投稿するというのを目的としている場合はそれが100点満点の正解だろう。
あと自分の感覚として、形式に収まった動画なら自分が作らなくてもどうせ誰かが作ってくれるだろうと考えている節がある。できることなら誰もやらなそうなことにに対して心血を注ぎたいものだ。
この精神で行ったのがクッキー☆グラサージュだ。もしアンデスさんが合作を開催するそぶりを見せていたら絶対に主催なんてしていない。誰もやらなそうだったから、自分がやったのである。
外に出たい欲が収まらないので、近所を散歩する。よく遊んでいた公園が改修され、トイレなどが新しくなっていた。また、よく登って遊んでいた大きな木も切り倒されていた。仕方がないし、残念とも思っていない。むしろ、そこまでやるなら遊具回りもすべて変えるべきだと思う。今考えるとどの遊具も危険なものばっかりだった。
散歩をした後疲れてしまい、風呂に入った後すぐ布団に入ってしまった。体力の減少が著しい。世の中には何もしていないといいながら結局色々と活動している人間が多い。もう少し自分のような本当に体力のない人間に配慮してほしい。
寝ながらXを見ていると、自分の大学の文化祭のイベントが炎上していた。弱者男性ではない人間が弱者男性を名乗っていることに対して、Xに生息している本物の弱者男性が怒っているらしい。
気持ちは非常にわかる。本物の弱者男性は文化祭になんて参加しないし、そもそもサークルに入っていない。自分のいる理工キャンパスに行けばいくらでも弱者男性を捕まえる事ができるだろうけど、彼らには理工学部が同じ大学には見えないのだろう。それはこちらから見ても同じで、Xで自分の大学の名前が出てきても全く持って当事者意識を感じることがない。
しかし、青春を楽しんでいる人をこうやって批判の的にさらすのも好ましく思えない。茹で豆は素直に文化祭を楽しんでいる人間、青春を楽しんでいる人間が好きだからだ。今後の日本は彼らのようなエネルギーに満ちた人間が担っていくのだから、せめて邪魔はしないでおきたい。